2025/12/23
2025年12月13日(土)第39回グローバル・セッション・レポート「昨日までの私の旅」
開催後のレポート
場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:藤井那菜さん(亀岡在住・ひまわり指導者・市役所職員)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:13名
今回のタイトル:「昨日までの私の旅」
自己紹介
亀田さん(コーディネーター):では、みなさん、話の前にそれぞれの自己紹介をお願いします。
M・Hさん:亀岡に住んでいますが、生まれは八木町です。前回のGlobal Sessionのゲストとして「嫁いだ家は、武家の家~400年の歴史あり~」をやったところです。
F ・Kさん:児嶋さんと長くいっしょに仕事をしていて、オフィス・コン・ジュントのホームページも担当しています。
M・Tさん:半世紀前に、フルブライト共生資金でアメリカに留学しました。その後アメリカに残り、カリフォルニア大学で人類学を研究し、指導もしていました。留学すると、言語の問題は大きいことがわかります。アメリカ留学中に、スペインのカタルーニャ地方に1年間住んだことがあります。そこで、カタルーニャ語を習ったのですが、なかなかでした。日本の外に出ることをどうとらえておられるかが興味があります。
K・Wさん:GSには、初めて参加します。市役所の国際交流の係にいて、先日の先日の市制70年記念式典では、藤井さんにも手伝ってもらいました。
A・Nさん:エスペラント語の知名度を上げるための活動をしています、教えてもいます。140年前に始まり、世界には100万人~200万人の話し手がいると言われています。
E・Oさん:JTに努めています。フランスに留学されたようですが、私も、フランスは好きな国のひとつです。はなやかな印章がありますが。
Z・Yさん:外国につながる子どもの教育支援をしています。小学校、中学校を訪ねています。今日は、ひまわり教室でもお会いしているので、楽しみにして来ました。
Eさん:フランス生まれで、ガイドとして仕事をしています。3年前にイタリアに留学し、楽しかったです。その後、ガイドになるために、いろんな言語を学びました。日本語も学んで、今はワーキングホリデイビザで来日し、ボランティアとして幼稚園などで仕事をしています。
児嶋: いつも自己紹介で言うのですが、このGlobal Sessionは、1999年に亀岡国際交流センターで仕事の一つとして開始しました。退職後は、私のオフィス・コン・ジュントが主催しています。毎月やっていて、今年で26年目になりますね。
亀田さん:ぼくも最初のころから参加しているので、GSの資料がいっぱいあります。ガイドとして、フランスのアビニオンにも行きました。
では、藤井さん、まず、自己紹介から始めてください。
グローバルセッション スタート
藤井さん:亀岡生まれで、中学校までは亀岡でした。高校からは市の外に出ましたが、海外留学もしました。今は、亀岡市役所に勤務しています。
5歳の頃に、家族でオーストラリアのケアンズに行ったのが海外に行った初めての経験です。その時、レストランでワニの肉を見ました。コアラも海で泳いでいるのを見ました。
母が英語の通訳や翻訳をしていたので、旅行のアレンジもしてくれました。
高校は、京都の音楽関係の学校だったので、修学旅行は、クラシック音楽が聞けるウイーンのオペラ座とチェコでは楽器のレッスンもありました。旅行中にベートベンの家も行き、ウイーンの教会ではコンサートもしました。いっぱいの人が来られて、ことばの壁を越えて楽しんでいただいたのがうれしかったです。またいつか戻ってきたいなあと思って帰ってきました。
大学は立命館大学国際関係学部に入学し、国際協力開発や、政治なども学び、英語での講座もありました。留学生の多い、グローバルスタディーズコースと日本人が多い国際関係学コースもあり、いろいろな人と話しができました。第2言語として、1年間は、ハングルを学び、2回生からはフランス語を学び、留学もしました。コロナ禍もあり、3回生になった2022年にようやく留学生としてフランスに行きました。別の国であるイギリスなどにも行きたかったのですが、それは無理だったので、すが、それは無理だったので、南フランスに行きました。南フランスのトゥールーズでエアバスの工場があり、インド人が多くて、彼らは英語で生きていました。でも、大体は英語を話す人は少なかったです。フランス語学習のクラスには、留学生が少なく、移民の人がほとんどでした。ラテンアメリカやアラブ系も多く、年齢もばらばらで子どもさんがいる人もいました。難民の方も何人かいて、アゼルバイジャンやパレスチナからの人もいました。「なんで日本には宗教がないの?」と聞かれ、「いろいろあるけれど」と言ってもわかってもらえないようでした。
フランスに滞在中の2023年には、大きなデモがありました。学校は封鎖され、授業もテストもなく、オンラインで学習したことがあります。
留学後にフランスやいろいろな国を訪問した時の写真です。フランスのシャンゼリゼ通りでは、年末の歩行者天国に入るまでに、持ち物検査もありました。オランダではコンサートに行きましたが学生には学生割引もありました。ヨーロッパ旅行に中には、ポーランドのアウシュビッツも行きました。暗い歴史を見たくないとか、事実を受け止めるのが不安だとして、私はあまり行きたくないと思っていたのですが、友達がどうしても行きたいといったので行きました。戦争犯罪は組織的行われ、収容所でも階級をつけ、上が下をいじめるとか、ナチスの兵士が、自分で手を出すことが少ないように作られたようです。生き残った人も「生き残ってしまった」という感覚を持つ人も多かったようです。今もユダヤ系の人々の訪問者があり、高校生もいて、祈りながら、暴力に反対すると言っていました。
最近のニュースでもイスラエルのガザへの侵攻があり、普通に生きていた人たちが、爆弾で怪我をしたり、何もなくなってしまうようなことが起こっています。暴力が少しでも無くなるように考えていきたいと思います。
亀田さん:S・Hくん達も自己紹介をお願いします。
S・Hくん:亀岡高校の1年生です。マレーシア出身です。(お父さんは日本人・お母さんは、マレーシア人)
A・Hさん:大成中1年生です。英語が得意です。(英語が中心の学校に通学していた)
亀田さん:質問があればどうぞ。
S・Hくん:フランスからイギリスに行くとかはできなかったのですか?
藤井さん:イギリスはEUから離脱したので、パスポートが必要ですね。オランダなどはいらないです。日本人以外は、ビザ無し観光ができるので、パスポートを持っている人としての対応で早く入国できますね。
児嶋:市役所に今、藤井さんは仕事をされていますが、どうしてかなと思って。
藤井さん:留学から帰国したら、正直仕事をしたくありませんでした。でも、働かないといけないので、就活を始めました。亀岡市内では市役所も受けてみました。実家からも近く、内緒でしたが、受かったので、とりあえず始めてみようと市役所に入りました。
K・Wさん:ぼくも大学時代にドイツへ留学しました。帰国後、大学院に行き、刑事政策などが専門でした。博士課程でハンブルク大学の大学院に行き、その後中国の大学に勤務していました。コロナ禍もあり、戻ってきたら、母の病気もあり、市役所に入り、今年で3年目です。
児嶋:市役所の仕事は、おもしろいですか?
K・Wさん:市制70周年の事業や、ウクライナの市長さんが来られたり、11月には、亀岡の中学生が台湾にスタディアブロードしたりといろいろあります。いっしょにいると、中学生が成長するのが見えて、おもしろいです。12月21日(日)には、スタディアブロードの報告会があります。
M・Hさん:70周年年記念でアメリカのStillwater市のラリー。ジョーンズさんが来られましたね。(ジョーンズさんは、OSU京都校の副学長でした:児嶋)その奥さんの日本出身のカヨ・ジョンズさん(もう亡くなりましたが)は、仲良しでした。
Z・Yさん:K・Wさんは、ドイツに留学していたようですが、何年いたのですか?
K・Wさん:2年いました。ドイツ語やドイツの刑法などを勉強していました。ドイツで生活しているときにデモを目の当たりにしましたが、過激なデモはほんの一部であったと思います。多くの住民は平和的な抗議活動をしていたと思います。フランスではどうでしたか?
藤井さん:フランスでは、一部が暴徒化していましたが、112万人ほど参加し、111.9万人は、静かでした。
Eさん:一部の人が暴徒化します。一番後ろにいる人が、夜に破壊行為などをすることがあります。
E・Oさん:ヨーロッパではテロの脅威はありましたか?
藤井さん:コンサートホー-ルに入るまでにも手荷物検査があります。クラスメートはイスラム系が多く、テロに参加すると思われがちなのもつらいだろうと思います。テロを抑えるといいながら、差別を生むこともあると思います。
M・Hさん:ヨルダンから入ると警戒されるでしょうね。
藤井さん:高校の時、1個前の学年が、フランスへ行きましたが、先生がマスクをしていただけでコンサート会場に入れなかったそうです。
児嶋:インドネシアのイスラム教の友人は、神と自分との関係は神とだけつなぐのであり、教団が決めているわけではないと聞いています。そのため、自分の息子さんも日本の学校の給食は全部食べていいと神様と約束したそうです。
M・Hさん:9.11以降、移民に厳しく、南米からは麻薬に注意しているようでうすね。
亀田さん:27年前に、ブリュッセルからパリへ行く飛行機の荷物検査でアジア系が全部調べられたことがあります。
M・Hさん:アメリカでは白人社会が優先されますね。
亀田さん:フランスは移民が多いですが、ドイツはトルコを入れてから失敗したと言われています。
藤井さん:パリは移民のコミュニティが多いのですが、移民として住んで居る人は、フランス人と同じとしての扱いを受けていないようです。フランスには意見を言う文化があり、デモもあります。パリは不安定になるかもですね。
M・Tさん:外に出るとしたら、どこが多いですか?
藤井さん:アメリカに行きたいです。北米もカナダも。若い人は最近、海外に行かないようですよ。
藤井さん:インターネットで海外旅行ができてしまうとか、「留学するなんて」という人もいて。
M・Tさん:大学に入った1年生の時にメキシコに行きました。日本で勉強させて50人ほど留学したいと。8人ほど選ばれ、私もその中に入り、21歳でメキシコで他の文化を見て大きな役に立ちました。両親に感謝したいと思います。
藤井さん:マイナーなところへ行くと、「どうして?」と言われることがあります。世界はアメリカだけではないのに。
M・Tさん:メキシコとアメリカの境に行くと、差がよくわかります。でも楽しかったですよ。
児嶋:アジアの国々に日本が戦争前にしていたことを、今の時代に学習しなければならないと思います。朝鮮半島に35年間、台湾に50年間植民地にし、その間学校で日本語しか教えてはならないとしたことを学校で教えてももらえず、教えてもいませんね。
藤井さん:町を歩いていたら、「ニイハオ」とよく声をかけられます。中国人を日本人の区別がほとんどないのです。そして、排他される経験を受けると、他を傷つけることを考えることができるようになります。
日本人ファーストなどと言う政治家がいますが、反対です。
M・Hさん:アジア人というと、中国人のイメージが大きいのかもね。娘がアメリカに留学していたので、サンフランシスコやニューヨークにもいきましたが、チャイナタウンがあり、中国人のコミュニティがあります。その次には、コリアンタウンがありますね。日本のコミュニティはあまりないですね。
児嶋;ブラジルにはいくつもありますよ。
廣島君:マレーシアにも日本人街がありますよ。
亀田さん:ハリウッドの映画でも、日本人の役を中国系の人がやることがありますね。
A・Nさん:実際に、日本人か、韓国人か、中国人かは、わからないでしょう。
M・Hさん:娘に聞くと、黒人が一番使用料が高く、チップがアジア系にも必要で、白人が一番安いとか。
藤井さん:清掃などの仕事は移民の人が多いですね。フランスでは接客業は、フランス人です。
亀田さん:最近日本でも、コンビニは外国人が多いですね。日本語がだんだんわかるようになったのですね。土建業はベトナム人が多いようですが。
M・Hさん:農業でもベトナム人の女性が多くなっています。介護施設でも多いですね。
児嶋:介護には資格は必要なのではないですか?
E・Oさん:介護施設でもインドネシア系の方がたくさん入っていたそうですが、やめることも多く、雇う側の負担も大きいようです。
亀田さん:何年かいると思いますが、2年経つと日本語検定を受け、受かると1級になり、長く居られるのですが、中国からのひとの方がとれる確率が高いようですね。
Z・Yさん:試験は喋るのではなく、いくつかの中から選ぶ形なので、漢字文化圏の方が有利なのだと思います。受かっても全然話せない人もいますよ。
児嶋:日本語能力は、日本に住む時に問われるわけではありません。これは、課題ですね。
Z・Yさん:日本語を勉強したいからと言って会社に入るひとは少ないのです。
E・Oさん:会社には、フィリピンの人が多いのですが、日本語は知らなくて来ていて、難しいので、ジェスチャーだけで話しているようです。会社で日本語講座を開いてほしいと思います。
M・Hさん:力になりたいということも伝えたいと思いますが。就労ビザと日本語学習との関係もありますね。
児嶋:以前から、亀岡でも、会社で日本語教室を開校してほしいと言ってきています。日曜日は、このガレリアでもずいぶん前から、日本語教室がありますが、日曜日がいつも休みとは限らない働き方をしている外国人雇用形態があり、なかなか続かないようです。そのために、会社で毎日開校していれば、行ける時に日本語教室で学ぶことができるので。
Z・Yさん:日本語をしらなくても来る外国の方が多いです。どこかで日本語を勉強したいとは思っているようですが。京都市内にも日本語学校はありますが、授業料も高く、仕事をしながらでは、難しいですね。学校に行く子どももいっしょに来る場合がありますが、子どもも日本語を話せないので、学校で反発を受け、行きたくなくなるケースがあります。その国の言葉で話せたら、とてもうれしいですね。ひまわり教室のように。
K・Wさん:行政も、どこで外国人が働いているかを把握しつつあります。2025年度からは、協力確認書制度が始まり特定技能で外国の方を雇用する企業は地方自治体に協力確認書を提出することになり、それも一定数集まってきたので、今年度末には提出企業に集まっていただき意見交換会を開催する予定です。京都府とも連携し、多文化共生についても力を入れていきたいと考えています。
E・Oさん:仕事以外にも、好きなことができるといいですね。
Z・Yさん:例えば、マレーシア出身の子が、クラスの子どもたちに、そこの文化を発表して伝えるとか。
児嶋:ひまわり教室で、先日、ネパール出身の女の子が自分で文化などを伝える練習をしましたね。英語で。その横で、指導者が日本語の訳をしながら。その後、通学している学校で、発表するようです。
Z・Yさん:仕事として、取り出し指導をしていますが、学校によってやり方が違います。1.2年生はその子をクラスから出して別の所で日本語を教えれば力がつくのはわかりますが、高学年になると、たやすくはないですね。英語ができるならば、まず、子どもが英語で自己紹介するのもいいと思います。他の子どもたちに対しても。
M・Hさん:最近は、留学したい学生が減っているようですね。9・11以後は。
藤井さん:私が留学しているときには、他の国からの留学生が多かったです。留学中に、人間的な成長もしますね。東南アジアの国々への留学も殖えてほしいです。
M・Hさん:トランプさんになってから、アメリカに留学したい人は少なくなったのではありませんか?
A・Nさん:ヨーロッパは時差がおおきいですが。ロシアや中国とは時差が少ないのでネットでの会合も楽ですね。最近はネットがあるので、留学が減っているのでしょうか?
亀田さん:日本にはどれくらいエスペラントを話す人がいるのでしょうか?
A・Nさん:一般に10000人くらいと推定されています。日本エスペラント協会の会員数
は、1000人くらいです。組織に所属しないでネットでやる若い人も多くなってきていますが。
Z・Yさん:ホームページなどありますか?
A・Nさん:たくさんあります。日本エスペラント協会や世界エスペラント協会などの他、ウィキペディアやGoogleの言語としても使われています。
M・Hさん:ブラジルに大本さんが布教に行かれて、日系人の方達の間で広まったのではないですか?
A・Nさん:大本の布教はされましたが、ブラジルでのエスペラントの普及とは直接関係ないと思います。最近、京都新聞で、大本教の弾圧の歴史を取り上げていましたが、大きな弾圧がありました。
M・Hさん:天皇と皇帝のちがいとか。
A・Nさん:日本古来の宗教感覚は、おてんとうさまとして仏教も全部取り込んでいるのですが。開国・明治維新のころに西洋思想にかき乱されたと。
M・Hさん:やおよろずの神ですね。
A・Nさん:山折哲夫さんの「信じる宗教・感じる宗教」という本がありますが、気配を感じるということもあります。
F ・Kさん:藤井さんが、留学したり、海外に旅行して、一番気づいたことは何ですか?ヨーロッパなどでは、キリスト教の影響が多いとは思いますが、なぜそんなに多いのか考えたことは、ありますか?
藤井さん:日本では、知らず知らすに目だけで会話しています。日本人以外は、ことばにしないと伝わらないことが多いです。空気を読むという文化も他では無いと思います。
F ・Kさん:その後、自分の性格なども変わったと思うようなこともありましたか?
藤井さん:大きく影響を受けたと思います。
児嶋:言いたいことは言えるようになりましたか?
Z・Yさん:日本人が、「ええっとね。・・とか、それでね・・」などの言い方をしていると、 言いたいことがよくわからないのですが、留学生は、はっきり言うので、何が言いたいかよくわかりますね。
亀田さん:それでは、12:30も過ぎたので、終わりにしましょう。疑問や意見があれば、児嶋さんのメールに出してみてください。