2026/01/20

2026年1月10日(土)第395回グローバル・セッション・レポート「昨日までの私の旅」

開催後のレポート

場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:Noah Mathyさん(亀岡市国際交流員)
コーディネーター:和田健一さん
参加者:13名

 今回のタイトル:「昨日までの私の旅」

自己紹介

亀田さん:では、自己紹介から始めてください。

和田さん:市役所国際係で仕事をしています。

Y・Hさん:総合商社に勤めていましたが、3年前に退職し、亀岡に帰郷しました。英語や読書が趣味ですが、頭を使おうとGlobal Sessionに参加し、いろいろな話を聞いて楽しんでいます。

N・Fさん:市役所の職員となり、2年目です。亀岡出身で、ボランティアとして、ひまわり教室や京都駅でガイドなどもしています。

S・Zさん:2年前に、亀岡市の国際交流を5年間していたのを終了し、今は「森の京都」の仕事をしています。

M・Tさん:アメリカの大学で教授をしていました。今は日本に帰国しています。友人で、スイス生まれの人がいて、5カ国語を話します。そのひとの頭はどうなっているのかと興味があり、今日も何かのてがかりが得られるかと参加しました。

F・Kaさん:3年前に住んで居た滋賀県日野市から、京都市内へ移動しました。それまで、35年間支援学校(昔は養護学校)の教員をしていました。退職後は学び直ししたいと歴史や古文書の研究をしています。外国には遠い感じだったのですが、最近は新聞でも国として見る意識や地図なども見ています。

M・Fさん:あけましておめでとうございます。このGlobal Sessionはかなり前から続いていますが、多分私は、最古参だろうと思います。映画会社に勤務していて、今も映画制作関係のボランティアをしています。時代劇を映画文化として残したいという願いを持っています。

A・Nさん:エスペラントを亀岡に普及したいという活動をしています。

L・Hさん:2年前にマレーシアから2人の子どもといっしょに亀岡に来ました。

S・Hくん:このGlobal Sessionの参加は2回目です。外国と日本の文化のちがいを見るのが好きです。Globalなアクティビティが好きです。亀岡高校1年生です。

E・Oさん:2年前にまた、亀岡に住むようになりました。JTの子会社に勤めて1年になります。(GSは長く参加されています。:児嶋)

児嶋:このGlobal Sessionは、毎回言っていますが、1999年から始めて、大体一ヶ月に1度のペースでつづけて、26年目くらいになります。394回目になります。

亀田さん:私は、2002年からGSに来ています。(ドイツ語で)ノアさん、あけましておめでとうございます。私はツアーガイドをしていますが、大学1年からドイツ語も学びました。和田さんもドイツ語話しますよね。ノアさん、では、自己紹介から始めてください。

グローバルセッション スタート

ノアさん:初めましてノアと申します。和田さんと同じ国際係で国際交流員として、2024年8月から、仕事をしています。今日は話を聞きに来ていただきありがとうございます。2025年の12月には、ヨーロッパに帰国しました。今日は、オープンディスカッションとして、いろいろ聞いてください。

(亀田さん:今来られたR・Tさんの自己紹介もお願いします)

R・Tさん: 小学校の教員をしています。

ノアさん:みなさんに質問ですが、外国に住んだことがありますか?

和田さん:ドイツと中国に2年間ずつ住みました。

Y・Hさん:イギリスとアメリカに住んでいました。

N・Fさん:フランスにいました。

M・Tさん:スペインに2年間、アメリカに半世紀、メキシコに1年間いました。

ノアさん:第2の質問ですが、外国語を話しますか?また、外国に行って日本の文化とちがうと感じたことはありますか?

和田さん:あります。

N・Fさん:あります。

ノアさん:ふたつの文化がある国もありますね。カナダなどもそうですね。

 私の父は、ドイツ人で、母は、イギリス人です。父はドイツの南部の出身で、母は、ロンドン生まれですが、母の父の祖父がハイネケンという会社に勤めていて、いろいろな地方に住んでいました。ロンドンは、1歳で離れ、幼少期は、イタリアで、小学校はオランダで、中学校からは、親がアメリカに住み始めたので、寮のあるイギ

 父母はルクセンブルグで出会い、当時母はパリで働いていて、父はマインツで仕事をしていて、その後、母もマインツへ来たので、私はドイツのマインツ(フランクフルト近く)で生まれ、7歳まで英語の幼稚園に行っていました。ドイツとイギリスの両方の国籍を持っています。その後、ランダウというフランス近くの、ドイツの普通の小学校に通っていました。夏休みやクリスマスには、イギリスへ行き、イギリス料理も味わいました。学校は、ドイツ人が多い学校でしたが、自分は両方の文化がわかるようになっていました。16歳で南アフリカのケープタウンのイギリス風の高校に留学しました。

M・Tさん:お父さんとお母さんがけんかしたら、何語でけんかしていたのですか?

ノアさん:けんかはあまりしなかったようです。私は、父とはドイツ語で話し、母とは英語で話していました。

児嶋:ここにも両方のお父さんとお母さんを持つ家族がいらっしゃいますよ。廣島くんですね。

S・Hくん:家では中国語で父(日本人)とはミックス言語でしたね。

和田さん:ドイツとイギリスの弁当のちがいはありますか?

ノアさん:ドイツには丸いおいしいパンがあり、よく食べました。イギリスはtoast、ドイツはbrötchenを食べます。

育った環境と生まれた環境は、どちらが影響すると思いますか?

和田さん:基準とする時期にもよると思いますが、触れる時間の長い環境が強い影響を及ぼすと思います。

N・Fさん:ドイツではよくビールを飲むようですが、ドイツでは何歳からビールを飲めるのですか?

ノアさん:16歳からです。

S・Hくん:日本に来てドイツと日本の文化のちがいは感じましたか?

ノアさん:working hardは、両方に共通していると思います。時間を守るのは日本だと思います。

家庭の文化と学校の文化のどちらの経験が多く影響をしていますか?

和田さん:ちがいを経験したことがないですね。日本生まれて日本で育ったので。

ノアさん:日本では、先生と両親とどちらの影響が強いですか?

R・Tさん: 多分、家庭の影響力の方が強いと思いますよ。

ノアさん:ドイツでも両親の影響の方が強いと思います。子どもの時からドイツに住んでいたので。

児嶋:廣島君はマレーシア出身のお母さんと日本出身のお父さんですね。家では中国語で話していると聞きましたが、学校では英語やマレー語を選べるとか。

S・Hくん:学校ではマレー語ですが、英語や中国語も小さい時から習うのを選ぶことができます。

ノアさん:ドイツの高校を卒業すると、GAP Yearというのがあって、大学に行く前に他の事をやるという意味があります。インターンシップとして、1年間、ボランティアや旅行に行き、その間にこれから何をやるかを考えるのです。私は、オーストラリアで、ワーキングホリデイを体験しました。3ヶ月間、バナナ農園で、働きました。ナイフでバナナの枝を切る仕事です。イギリス人やカナダ人もいました。ドイツでは大学でお金がいらないのですが、イギリスでは要ります。でも、卒業したら、イギリスで勉強したいと思えるようになりました。18歳になると、1週間日本に旅行しました。それは、ドイツから離れたところに行きたいと思ったからです。その時、日本への旅行代金が安かったのです。それから、日本にまた来たいと思うようになりました。母と4か月間話をしていて、モダンラングエジ専攻にして、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語、日本語などを学びました。その後、1年間の日本への留学をするために水戸市の茨城大学に留学しました。その時はイギリスのパスポートを持っていたので、イギリス人と思われていました。

 そのころから、ドイツではイギリス人とみられ、イギリスではドイツ人とみられ、自分はどっちだろうと考えるようになりました。

M・Fさん:日本に来ていちばんおいしいと思った食べ物は何ですか?

ノアさん:ラーメンです。ヨーロッパにも日本料理はたくさんありますが。

M・Fさん:日本料理は安くておいしいと言われていますが、どうしてラーメンがいいのでしょう。そばやうどんもあるのに。太秦で仕事をしていたとき、ちいさなレストランにいると、外国人が来て、「ラーメンはあるか?」と聞いていました。このごろはスマホで探して見つけるようですが。

ノアさん:種類が日本料理は多いと思います。また、店によって味もちがいますね。

M・Fさん:イギリスの料理はどうですか?

ノアさん:日曜にはイギリスでは大きな肉を家族と食べる習慣があります。

M・Fさん:オランダでは食べる時間がちがうと聞いたことがあります。

M・Tさん:メキシコでは、食べる時間が2時ころで、夜は簡単な食事ですが、ヨーロッパはどうですか?また、日本では英語だけは、誰もが話せるようにしないといけないと言われていますが、どうですか?

ノアさん:ヨーロッパにはいろいろな言語があるので、共通な言語として、英語を学習しなければならないと言われています。

亀田さん:スイスに5ヶ月間いましたが、英語は公用語でもありましたね。ヨーロッパには小さな国がいっぱいあるので、英語がコミュニケーションの道具ですね。それぞれの国がいろいろな国とくっついているので、住んでいるところだけでなく、列車で、行くとわかりますが、途中でドイツ語になり、次はイタリア語になったりします。日本は島国なので、他国とはちがう言語圏ですね。そのため、日本ではちがう言語で話す機会が少ないのです。昔は、医者はカルテをドイツ語で書いていたようですが、今は英語ですね。

M・Fさん:ヨーロッパでは国がつながっているので、6カ国語くらいは話さねばいい仕事につけないと言われています。日本はちがって、総合職と一般職は大卒かどうかのちがいくらいです。

Y・Hさん:最近は、国境という意味が薄れているような気がします。ネットのつながりもあり。

 昔は、多言語を話せるからいいといわれていましたが、今は、共通語としての英語が重要視されてきていますね。時代が変わって来て居ると思います。

 日本ではドイツ人として扱われているのですね。なぜと思いますか?また、「それをどうノアさんは思いますか?

ノアさん:日本に来てドイツの大使館ではドイツのパスポートを見せれば、ドイツ人と言われるのですが、イギリスとドイツのハーフというのと、日本人からはどうなのでしょうか?

R・Tさん:ノアさんの話を聞くと、国籍はあまり意味をもたないみたいですが、日本人は単一民族なので、他の文化に触れることが少なかったのだと思います。

児嶋:日本では二つの国籍を認めていないので、日本国籍を取得すると、外国から来た人でも、前の国籍を捨てなければならないのです。それは大きな課題でしょうね。

ノアさん:昨年つなががるフェスタであったインド人がインドの国籍を捨てると言っていました。

児嶋:Identityとnationality は、ちがうと思います。

R・Tさん:Nationalityは日本でも、インドのルーツを持つ日本国籍を持つ人ですね。

ノアさん:なるほど。

S・Zさん:ぼくもカナダですが、「イギリスとフランスとどちらの感覚が強いの?」と聞かれたり、「ベースは、どっち?」と聞かれることがあります。

M・Tさん:アメリカ人は、他の言語に興味を持つ人が少ないです。今のトランプも自分のルーツが移民だということを忘れていて、「こういう人がアメリカ人」というのを作り上げたと思います。

Y・Hさん:カナダも二重国籍を認めていますね。

S・Zさん:英語圏とフランス語圏と2つの文化圏があり、文化も大きくちがいます。

亀田さん:スペインでもカタロニアは大きくちがいますね。

ノアさん:ドイツもバイエルン地方はちがいます。

和田さん:ふたつの言語を持つことは2つの文化を持っていることですね。そのことにしんどさはありますか?それぞれの文化を十分に知っていると思って、質問したときに、「知らない」と返ってくることが多いと感じます。二つの文化にルーツがあるということは、どちらの文化にも中途半端に属しているということになり、不安定な状態なのかなと思います。

ノアさん:言語は2つ知っていても、知らないことは多いと思います。ジェイシーさんなどは英語だけですが、いろいろな観点から見ることができる人です。2つのルーツが在れば、しんどいというデメリットもありますね。ただ、私は二つの観点から物をみることができるというメリットの方を強く感じるので、いいことだととられています。

N・Fさん:2つのルーツがあると、歴史教育にちがいがあるかもしれませんね。ドイツは戦争に負け、イギリスは勝って誇りを持っていたり。

ノアさん:ドイツの歴史教育としては、戦争で悪いことをしたことを理解させることが重要視され、誇りを持っている人は少ないと言えます。

M・Fさん:1999年に東ドイツの壁がくずれましたね。

F・Kaさん:家の整理をしていたら、江戸末期の先祖の持って居た物の中から、戦利品が出て来ました。青島(チンタオ)で、ドイツ軍に勝った錫の入れ物です。1800年代のドイツ製品のようで、誇らしげに残していたようです。今は徳島県にいる母に聞いてみると、第1次大戦でドイツ人の捕虜が第九を詠ったり、パン作りをしたりしたと聞いた事があるそうです。第1次大戦のころですね。

児嶋:ドイツと日本は第2次大戦では共に戦ったのですが、戦後の教育の大きなちがいがありますね。日本は、戦後の教育の中で戦争についての教育をあまりしなかったので、教えてももらわず、そのため教師も教えてもいないことがたくさんあり、ドイツと大きく違うと思います。

Y・Hさん:今は、教える量が増えてきているとは思いますが、近代の歴史を学ぶことが手薄ではありますね。

児嶋:この点では、政治的意図も感じますね。

亀田さん:ミュンヘンへツワーを連れて行ったときにドイツ国内の虐殺の歴史のあるところにも行きました。ポーランドのアウスビッツにもドイツから学校の遠足で行く事もあるようです。

R・Tさん:亀岡市としては、国際交流員に何を求めているのでしょうか?

和田さん:姉妹都市交流の推進や、中学校などへの異文化紹介など、亀岡市の国際化に関わる仕事だと思います。

S・Zさん:5年間の国際交流員としての感覚から言うと、国際交流員と言っても、市や町によってやっていることがばらばらだと感じました。架け橋として、言語や文化のちがいをわかりやすく伝えることが責務だと思います。

M・Tさん:学校に派遣などは?

S・Zさん:ALT(英語指導助手)とのちがいはあります。

Y・Hさん:国際交流推進員とのちがいは?ジェイシーさんがいますが。

和田さん:CIR(国際交流員)はJETプログラムの派遣で国際交流推進員は亀岡市の新しい雇用形態です。CIRは5年という期限があります。

M・Fさん:今は、日本には小学校から英語を指導するという決まりがありますね。

Y・Hさん:マレーシアでは、マレー語が母国語だと思いますが、マレー語以外の言語の教育を受け入れをしているのですね。

廣島君のお母さん(スイミーさん):英語が中心になってきて、華僑の人は英語の教育が主ですね。

Y・Hさん:マレー語は死語ですか?政府は?

A・Nさん:単一民族が普通の国ではまちがった考え方もそのままになっていることが多いですね。日本も明治時代以前は、多言語だったと思います。大和語も、琉球語も、アイヌ語もありました。日本の明治以後は、納税者と兵隊を作るためにもNHKを中心に共通語を広めたのだと思います。

M・Fさん:ひとつの漢字を見たら意味がわかるのはすごいことだと思います。スペルだけでは意味はわからないですからね。

A・Nさん:日本に漢字が渡ってきて、カタカナやひらがなが生まれましたね

Y・Hさん:日本は単一民族と断定するのはまちがいかもしれませんね。

A・Nさん:縄文人もアイヌ人もいましたね。

Y・Hさん:生まれた時から英語の場合、英語だけでいいのかと思いますね。

A・Nさん:共通する言語と多様さを両方使うのがいいかもしれませんね。どこにもメインの言語があり、マジョリティの傲慢さがあると思います。

M・Fさん:日本で育ったので、ことばを話し、字も見て成長したと思います。

A・Nさん:明治の漢字の教育もありましたね。

M・Fさん:入国するときに日本語の試験をという考えも出て来ましたね。

児嶋: 移民文化もありますね。

M・Fさん:香港は強制的に中国語に変更されていますね。

児嶋:ドイツとのちがいもありますね。

M・Fさん:ドイツの経済を支えているのはフォルクスワーゲンなどの自動車産業ですね。これは日本とも似ています。

亀田さん:ミュンヘンにはマイスターがありますね。アウトバーンは無料で、ドイツでは200kmくらい出して走っています。

M・Fさん:車の走る側もちがいますね。ヨーロッパで左に入りたいと思うと、車間をあけて譲ってくれますが、日本ではブレーキをかけてゆずってくれることはないです。

A・Nさん:あけてくれることもたまにありますよ。

亀田さん:フランスの凱旋門などでは、車ごとぐるぐる廻っているので、地元の人でないと出られないです。

Y・Hさん:入る車が優先で、外国の人は押し込まれると出られないです。

M・Fさん:アメリカのような車社会に日本もあとから入って行ったので、ちがいがありますね。

亀田さん:外国に行って調子が悪ければ、「靴屋に行け」と言われます。足の状態が悪ければ元気になれないと。靴や刃物などの技術系はドイツがすぐれていますね。

そろそろノアさん、まとめましょうか?

ノアさん:ありがとうございます。今日の話で、日本の言う国籍とアイデンティのちがいがあることが理解でき、楽になりました。

S・Zさん:ぼくも父はイギリス系ですが、あまり気になりませんでした。

M・Fさん:ドイツにファルツの森というのがありますね。

ノアさん:自然のままで、いのししや鹿もいます。

M・Fさん:ワイン祭もありますね。

ノアさん:日本では、亀岡市と南丹市とかのくくり方がありますが、ドイツは、市は大きくて町はちいさいので、市と町の組み方が大きくちがうと思います。

亀田さん:では時間も来ましたので、もっと聞きたいことがあれば。児嶋さんに送っておらえればノアさんにも聞いてもらえますよ。よろしくお願いします。