2025/07/04
2025年6月22日(日)第388回グローバル・セッション 「短編映画『Hola! 出来島!!』~「こんにちは」からはじまるコミュニケーション〜」
開催後のレポート
開催日:2025年6月22日(日)13:30~15:30
場所:ガレリア3階 第2会議室
ゲストスピーカー:堤健介さん(映画脚本家・亀岡市在住)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:1名
今回のタイトル:「短編映画『Hola! 出来島!!』~「こんにちは」からはじまるコミュニケーション〜」
参加者自己紹介
亀田(コーディネーター):では、自己紹介からお願いします。
M・Hさん:何も無い人ですが。数年前まで「へき亭」をやっていました。今は1から勉強中です。堤監督とはつながりを持っていました。
K・Nさん:ぼくも。堤監督とのつながりがあります。『chair』を見ていなかったので、今日の上映を楽しみに来ました。
Z・Yさん:私もM・Hさんの紹介で堤さんとは会ったことがあります。楽しみです。(外国につながる子どもの亀岡市の支援員)
M・Yさん:多文化共生をテーマに映画を作られたと聞き、来ました。外国人がいっぱい来ている京都に住んでいるので、興味があります。国立博物館で、「美のるつぼ展」なども見たことがあります。知ると世界地図が変わる気がします。
S・Oさん:デザイナーで、クリエーターで、映画作りもしています。4月には、インドネシアの撮影クルーと『ピンクランドリー』を撮影しました。亀岡に住むコーディネーターとしていろいろやっていきたいと思っています。
E・Oさん:JTの子会社に勤務しています。短編映画を撮影されたということですごいなと思って来ました。
M・Mさん:「やさしい日本語」を広める会をやっています。日本語を第1言語とする人たちに、外国人との話し方を考える仕事です。
K・Yさん:日本語教室で教え、ひまわり教室でも10年前から指導しています。今年は亀岡の支援コーディネーターとしての仕事もしています。
H・Mさん:結城テキスタイルという木綿屋をしています。堤さんとは、食でつながっています。
Y・Hさん:以前は商社に勤めていましたが、今は亀岡に帰り、無職です。Global Sessionではいろいろな人と会えるので、ずっと来ています。
M・Fさん:映画会社に居ました。今も太秦で子どもたちに映画つくりを教えています。
S・Fさん:日本語教室のボランティアを続けています。最近、日本語N4レベルのフィリピン出身の生徒さんに「老人」と「高齢者」はどうちがうのかと聞かれました。 「老人と呼ばれたくない高齢者もいる」などと言っていましたが。」
児嶋:このGlobal Sessionは、私は亀岡市交流活動センター勤務時代の1999年から始め、今も継続していて、20年を過ぎましたね。いろいろな方が、いやといわずにゲストに来ていただけるので、続いていると思います。ゲストと参加者との接点がおもしろいですね。それと、毎回、レポートを会員さんに参加者だけでなく、150名ほどに送っています。帰国された外国人ももちろん含まれます。今回もよろしくお願いします。
亀田さん:ツアーコーディネーターですが、ここでみなさんとお会いし、いろいろ話しができるのが楽しみです。最近大阪の文化に興味のある外国人の移住が増えていて、京都と大阪のちがいにおもしろさを感じている人に合いました。京都も大阪もなじめば、長く居られると思います。
グローバルセッション開始
堤さん:私は、亀岡の生まれで、主に独立系映画の脚本家として活動してきました。一昨年、亀岡でオールロケを敢行し、短編映画『Chair』を制作しています。今回上映した『Hola! 出来島!!』は、出来島商店街の方から依頼があり、制作されたものです。16分くらいの短編映画ですので、まずご覧ください。
(内容:児嶋)(参加者は説明はなく、映画をまず、鑑賞しました)
「子どもたちに出来島商店街のことをそれぞれ聞いてきて、どんな店かを話してもらうようなストーリーです。その中で、ペルーから来たとされている少女が、商店街の人たちと心をひらき、なかよくなっていくというようなストーリーです。」
堤さん:ありがとうございました。この映画のキャストさんは、ほとんどが素人さんです。プロは、日本語学校の先生をしている人だけでした。

脚本:堤健介 この映画の監督は、いつも組んでいる岸本景子という女性です。映画を企画し、物語の舞台ともなった出来島商店会さんは、大阪府西淀川区にあり、製造や物流に関する中小企業の多い街です。尼崎の手前にある街で、尼崎生まれの母が、よく出来島の駅を利用していたそうです。僕も一時期、西淀川区に住んでいたことがあり、出来島は縁のある街です。当時製造業に勤めていたこともあり、同僚には実習生のベトナム人の方が多くいました。近年、出来島には外国人の移住労働者の方が増えてきています。
先ほども触れましたが、出来島商店会さんから映画を撮ってほしいと依頼がありました。これは助成金事業の一環で、商店会のPRになりつつ、でもちゃんとした映画を撮ってほしいというものでした。
そこで、僕と岸本はどういう物語が良いのかと考えました。
まず出来島商店会では、外国につながりをもつ子どもたちに向けて、日本語教室の活動に取り組んでいます。ブラジル、ペルー、パキスタンなどいろいろな国にルーツを持つ子ども達が通っています。
そして、商店会に加盟しているお店で、子どもの通学時のあいさつ運動をしているお店がありました。子どもに声かけをすることで、安否確認や防犯活動になっています。日本語教室に通う子ども達と、このあいさつというものをかけあわせたら、何か面白い映画ができるのではないかと考えました。
ですが、実際日本語教室に足を運び、外国にルーツを持つ子ども達の現実を目のあたりにして、映画を撮ることで何ができるのかと悩みました。現実をそのまま表現するのはあまりにも酷です。そこで、外国にルーツを持つ子どもや商店会の方々が、映画制作に参加して楽しい思い出になるようなものを作ろうということになりました。
そこで、日本語教室に通うペルーにルーツを持つ女の子が、地域のフェスティバルで商店会のことを調べて発表するという物語が生まれました。
移住者の相談役をしているセリアさんという女性から、ペルーにルーツをもつ当時小学4年生のカミラちゃんを紹介してもらいました。最初、カミラちゃんに会ったときは大変でした。知らない大人達と会うので、ずっと下を向いているような状態。なんとかお互い歩み寄りをして、カミラちゃんに映画出演のOKをもらいました。
そして、やっと脚本ができました。カミラちゃんにその脚本を読んでもらうと、機嫌が悪い。今でもすごく印象に残っているのですが、その時、カミラちゃんは、図書館で借りたまんがをポンと僕の前に置きました。あー、僕の脚本が面白くなくて、こういう話がやりたいのかなと思いました。ですが、カミラちゃんの話をよくよく聞いてみると、そうではありませんでした。そのまんがには、難しい漢字にふりがなが振られていたのです。一方の僕の脚本には、漢字がびっしり。僕には、小学校4年生ならこれくらいの漢字は読めるだろうという先入観がありました。ですが、外国の言葉を喋るお母さんのもとで暮らしているカミラちゃんには、その漢字が読めませんでした。すごく自分が恥ずかしかった。僕はカミラちゃんという読み手のことを考えていなかったんです。この時、相手のことを考えて書くという姿勢を学びました。
そこで、僕は脚本を書き直しました。基本はひらがな。少しでも漢字があればルビを振る。文章表現も、本当に簡単なものにしました。これで、カミラちゃんから脚本のOKをもらいました。
撮影は、トータルで3日間。カミラちゃんは自分の考えを持っている子どもで、割とこまかい演技もしていました。商店会の方達も、いろいろ手伝ってくれて、出演もしてくれています。はじめは和気藹々と撮影をしていました。
ところが、1日目の夜、プロデューサーの保坂直希(本来彼は役者なのですが、スタッフもこなせる優秀な男です)が言いました。「プロじゃない子どもは、必ずどこかでショートする。その時、どうやって監督が相手と向き合うかの勝負だ」と。直接監督に言いなさいよと思いましたが、その時、周りに対してのフォローが必要になるという心構えを教えてくれていたのだと思います。
だんだん撮影を続けているうちに、子ども達の集中力が切れてきました。監督の岸本にもイメージがあり、カミラちゃんの演技に要望が増えていきました。
やっぱりと言いますか、突然カミラちゃんがショートしてしまって、「帰りたい」と言い出しました。監督の岸本は、一所懸命カミラと話し合いました。そこで岸本は、「この場面は、あと一回で終わるから好きにしていいよ」とカミラちゃんに伝えました。岸本自身も自分のイメージを優先し、カミラちゃんの考えを尊重できていなかったと気づいたからです。カミラちゃんもようやく首を縦に振ってくれて、本番となりました。とても自然で良い演技で、一発OKとなりました。
さて、カミラちゃんとコミュニケーションが一番うまかったのが、カミラちゃんの相手役の居酒屋のおばあちゃんでした。誰に対しても自然に接し、カミラちゃんに対しても「どうしたい?」と相手から抽き出し、打ち解けた感じの撮影になりました。
撮影が終わると、発表まで1週間しかありませんでした。そのため、私は、3日間寝ずに編集を仕上げました。特にクライマックスのダンスは、最初から最後までぶっ通しで撮影した素材ばかりですので、どこを選ぶべきなのか頭を抱えました。
M・Fさん:描写の部分が、もうちょっと入っていた方がいいと思います。草津で子どもたち相手に映画作りを指導しています。6回を目処にやっています。1回目は、シナリオを読んで、難しいと思うところを探ります。「カメラをやりたい?」とか聞いて、監督も子どもがします。2日目は、撮影に入ります。子どもにはやりたいようにやらせます。子どもはおぼえが早いので、15、6分の映画を作成しています。この映画の出演者の女の子は、最初は、暗い感じだったのに、最後は明るくなりましたね。
堤さん:私も口は出すところは出しましたが、基本は子ども達に任せていました。
M・Fさん:部屋の照明はどうしましたか?3日間の撮影と言っても、そろえるのは難しいでしょう?
堤さん:イベントのシーンを入れるときの照明がむずかしかったです。
M・Fさん:映画つくりで考えていることは、1:スジ 2:ヌケ 3:ドウサの順で必要なことを考えています。これは、シナリオがまずあり、技術が次で、最後が役者と思い、自然にみえるようにと考えています。
Y・Hさん:感想ですが、映画を依頼されたのは、PRのためと聞き、驚きました。それでも、人と人との関係がものすごく映画に出ていますね。そこのくらしの一部分という印象を受けました。忘れかけている人間社会のあたたかさのある風景が出て居て、PRよりそのような感じが大きかったです。
堤さん:商店会さんからPRなんだけど映画になるものをと言われ、どういう物語ができるのか本当に考えました。ダンスの場面で出てくる壁の飾りは、カミラのお母さんが作った物です。みんなで力を合わせて取り組みました。上映が無事終わったときに、「やってよかった」「またやりたいね」と聞きました。
カミラちゃんも、この映画に出演したことがきっかけで、出来島に開催されたファッションショーから声がかかりました。
撮影後、カミラちゃんが居酒屋のおばあちゃんを訪ねて、映画のごっこ遊びをしていたと聞いています。
最終的に思う事は、あいさつは出発点なのだということです。「こんにちは」というだけでなく、そこからどう関係性を深めていくのかが大事なんだなと思います。お互いに価値観の違いがあり、それとどう向き合っていくべきかなど考えました。
M・Fさん:ペルー出身のおかあさんと聞きましたが、南米までは何時間かかるのでしょうか?直行便はないですね。
H・Kさん:アメリカはややこしいので、メキシコに行ってからの方法やドバイ経由もありますね。
M・Hさん:むすめが行ったときには、カナダのアトランタ経由でした。
H・Kさん:アメリカは税関がきびしいので、また、時差もあり、なかなか難しいですね。
S・Fさん:出来島商店街というのは、本当にあるのですね。ペルー生まれの子として出演していたましたが、実際は、日本生まれですね。
堤さん:カミラちゃんは、日本生まれです。カミラちゃんは、家にいるとき、お母さんとスペイン語で話しているそうです。
M・Mさん:「やさしい日本語」の会では、相手に何とか伝えようとしたり、相手から引き出す努力が必要と思います。以前、生まれた時からピアスをする習慣のある国から来ていて、保育園などでは、怪我をする恐れがあるので、何とか伝えたいと思われたケースがありました。
堤さん:何でもまず、「聞く」という姿勢が大切でしょうね。
児嶋:生まれは日本なんだけど、この出演している子どもさんには、「あなたの国で、こんにちははどういうの?」と聞いていましたね。この子は抵抗はなかったのかな?
M・Hさん:この子は、日本生まれですよね。このような映画はすばらしいので、亀岡で撮影してもらって、上映したらいいのでは?
児嶋:私は、実話かと思って見ていて、商店街の方達も、つながりを持とうとしている様子がよく感じられました。
M・Hさん:これからは、たくさん来られるはずで、多文化共生はどこでも必要ですね。
児嶋:亀岡市は、実は現在も、他の市町村よりは、圧倒的に進んでいます。学校での支援員やコーディネーターを市の職員ベースで、今年から雇用が始っています。これは、とても大きな変容です。ここに参加されているZ・YさんとK・Yさんが、その当事者ですが。
Y・Hさん:これから、外国人労働者を雇用しなければやっていけない時代がきますね。その後、家族持ちのファミリーも増えると、子どもたちは学校へ行きますからね。
M・Hさん:亀岡市は米を一時的に供給するだけでない、支援が必要になりますね。
M・Yさん:政府も1週間前に、外国人受け入れの法整備をすると公約し、調査を始めるはずです。
S・Oさん:人に届けることは、物が最適ではありますが、情報も届ける必要があるでしょうね。
堤さん:映画を作る時に、監督の岸本さんと話していたのは、相手が何がやりたいかを聞き、人と人をつなぐことが大切ですねということでした。説明や情報もつめこみ過ぎたら伝わらないですね。そのうえでどのくらいの説明や情報が必要なのかは考えています。
M・Yさん:子ども達は、大人の目的だけで、期待されすぎると、緊張するでしょうね。
児嶋:ひまわり教室も、外国につながる子どもや保護者の学習支援活動を10年間しているので、時間があれば、また予定の日に来てみてください。理解したときの子どもたちの喜びを実感できますよ。
K・Yさん:ひまわり教室では、それぞれの子どもたちが、出会うことを楽しみにしているのがよくわかりますよ。
M・Hさん:昨年、亀岡の花火の日に孫が来ていたので、いっしょに見に行ったのですが、橋の上に人が多く、警備員の人が「止まらないでください!」と何度も何度もいうのでうが、外国人も多く、理解できないようでした。中国語や、英語やハングルくらいの看板が必要なのではないでしょうか?
S・Fさん:亀岡には今年、1400人くらいの外国籍市民がいて、そのうち700名くらいが、実習生のようですね。私も日本語教室で指導をしていますが、毎回、10数人くらいしか出席していません。「どこへ行ったらおもしろい?」とよく聞かれますが。
介護士の国家試験には、N2かN3が必要で、技能実習生も最大5年で帰国する法もあり、なかなか大変ですね。
K・Yさん:家族でも日本語の読めない両親もいて、保育園や幼稚園の先生方も大変です。
児嶋:1400人の外国籍の人だけでなく、どちらかが日本人の保護者の場合は、子どもは日本国籍をとれるので、もっと外国につながるひとの数字は大きいし、これからも必ず増えるという予測があります。それに対応できる方法を先取りする必要があるのです。
K・Yさん:技能実習生は日本語力で上に行けますが、逆に、日本語の読めない外国人の両親もいます。親戚の中国につながる社長に呼ばれて、家族で来ている人もいます。その子どもさんは、保育園や幼稚園から亀岡に住み、親の通訳をする子もいます。
Z・Yさん:習慣やことばのちがいでコミュニケーションでトラブルがあることもたくさんあります。子どもたちは学校に来るので、学校の先生方は大変です。
M・Yさん:この地域の映画を作ってほしいですね。
堤さん:南丹市のほうで、日本人の子ども向けではありますが、ワークショップ形式で映画を制作されている方がいると聞いたことがあります。
Z・Yさん:日本では外国人とみると、すぐに英語で話そうとする人がたくさんいます。英語圏でない国から来た留学生が不満を言っています。
M・Hさん:欧米系の人は、母語が英語でなくても、英語が話せる人が多いですね。
児嶋:この役の女の子は、家ではお母さんとスペイン語で会話しているようですが、それもずっと続いてほしいですね。
K・Yさん:親の通訳をするヤングケアラーは、学校を休んででも、やっている子もいるようです。
児嶋:たくさんの外国人を技能実習生として雇用している会社は、自分の会社で、日本語学習教室として先生を雇用して作ってほしいと思っています。日本語教室も亀岡にはありますが、日曜日に開校しているのですが、日曜日が、いつも休みとは限らない実習生もたくさんいます。やはり会社内で、毎日のように時間を決めてやる必要があると思っています。
E・Oさん:日本語を学習してから来てほしいですね。
児嶋:みなさんが、外国に行き、数年間住む予定がある場合、その国の言葉を学んでから行く事などは、無理です。
M・Hさん:この映画を桂川市長さんにも見せてあげてください。地域の人たちとのつながりがよく見えてきますね。
A・Oさん:遅れてきてすみません。元京都新聞の記者で亀岡に赴任していました。この映画のように、外国につながる人たちとの活動をこれからは、もっともっと熱心にしていかなければならないと思いました。
H・Kさん:時間が3:00までですが、すでに3:30を過ぎていますので、これで終わりにします。ご意見があれば、児嶋さんにメールで送ってください。また、ゲストと交流ができますよ。
