2023/05/08
2023年4月23日(日)第362回グローバル・セッション・レポート
開催後のレポート開催日:2023年4月23日(日)10:30~12:30
場所:ガレリア3階 第2会議室
ゲストスピーカー:王森平さん(中国出身・キャリアカウンセラー・亀岡市在住)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:11名
今回のタイトル:「ムボウパンダ少年、来日12年目の暮らし」
自己紹介
亀田さん(コーディネーター:C):では、今から始めます。王森平さんは、中国の四川省の出身なので、観光地についてもお話ししてもらうことができますね。パンダたちも少し前に中国に帰ったところですが。まだ少しはいますね。
自己紹介から始めます。
K・Yさん:ひまわり教室で毎回読み聞かせをしています。読み聞かせ時間は最後なので、いつもちょっと遅れて行くのですが、最近は若い青年の先生がおられてびっくりしました。それが、王森平さんでした。
M・Yさん:ひまわり教室で子どもに教えています。以前は、中学校の教師をしていました。(GS初回参加)
F・Yさん:中国出身で専門学校の1年生です。遼寧省から来ました。日本語学校の後、専門学校へ入りました。(福祉関係)
Z・Yさん:1年半ほど前からひまわり教室で指導しています。今年は、千代川小学校と大成中学校で母語(中国語)で支援をしています。Global Sessionもよく参加しています。
E・Tさん:GSの参加は9年目になります。王さんも学園大学の出身ですね。同窓会もやっていましたが、先月仕事がいそがしくてやめました。
A・Oさん:息子と親子でこのGlobal Sessionに参加しています。今も、世の中のことをもっと知りたいと思い参加し、交流もしたいと思っています。今日も楽しみです。
Y・Nさん:ひまわり教室で教えています。保育園や幼稚園の教師をし、小学校も長く教師をして今は優雅に暮らしています。ひまわりでは、生で子どもたちの話しを聞くのが楽しみです。
M・Fさん:このGSは、多分私は一番古くから来ていると思います。これからも続けていきたいと考えています。
児嶋:1999年から亀岡市交流活動センターでGlobal Sessionを開始しました。最初は、英語の講座の一つとして、毎週開催していたこともありますが、この頃は日本語での開催が多いですね。今回は、362回目になります。2011年に私が退職後は、GSは、オフィス・コン・ジュントの主宰となっています。
亀田さん:大津市から参加しています。ゲストはいろいろな国から来ておられる方が多いですね。私も長くGSのために亀岡市通っています。その時々の話題が持たれ、政治的課題も含めて開催されていますね。私は、ツアーガイドですが、コロナで3年間ほどは、中国に行けなかったです。今も、チベットなどは難しいですが。四川省の成都は、パンダだけではなくて、自然がすばらしいところです。中国の古い文化がある地域でもあります。楽しめる所ですね。
グローバル・セッション開始
王さん:四川省は、日本の気候と似ていて、母に電話すると、今雨が降り出したと聞くとこの辺も降 り出すとか。
自己紹介から、始めますが一人で語ることは得意ではないのですが。名前は王森平(ワンセンピン)と言います。四人家族でした。(父母妹と私) 32才です。現在は妻と犬2匹と亀岡の曽我部町に住んでいます。犬の「名前は、ハチとシモです。中国は、土地の広さは日本の25倍あり、人口は14倍です。小数民族も多く56部族あります。その中の漢民族が一番多いです。中国は北方と南方でかなりちがいがあります。衣裳や食事や習慣でもあります。
北方:小麦が多く穫れ、餃子がおいしい。建物の色は赤が多い。身長が高い。美人も多い。
南方:米が多く、わんたんや団子がおいしい。建物色は白や青が多い。身長は低い。
M・Yさん:なぜ、このようにちがいがあるのですか?
王さん:北は小麦が穫れるので、肉(牛や馬)が合います。そのため、身長が高いのかもしれません。南は米が多く、魚が合います。気候は、北は寒い時は-20度から-30度になり、寒い時用の服が必要です。南は薄い服だけでもいいです。平均20度です。合計すると、50度ものちがいがありますね。買い物の習慣も、南は、暑いから少しずつ買い、北は一度に大量で買います。性格も、南は繊細で、北は豪快です。
四川省の紹介に移ります。
中国の四川省と成都の地図
成都への関空から直行便があり、4時間です。成都の雰囲気は、大阪と京都を合せたような都市です。ユニクロやイトーヨーカ堂などもあります。食べ物は、盆地なので、湿気が多く、辛いものが人気があります。山椒や唐辛子、豆板醤などもたくさんの種類があります。
M・Yさん:豆板醤のあとに、ウスターソースを入れて食べますよ。
王さん:二食鍋(おしどりなべ)も有名です。
世界遺産もたくさんあります。
私の小学校時代は、1クラスに50人から60人いました。朝8:00から始まり途中に昼寝の時間がありますが、これも強制です。終わるのは午後6:30です。先生は大変だったと思います。
M・Fさん:学校の評価はどのような形式だったのですか?
王さん: 点数制で順位が付きます。私は、10番までにはいらないと親におこられました。
E・Tさん:部活はありましたか?
王さん:ないです。体育の授業も週に一回で楽しみでした。今は変化していて、バスケットやバレーボールもあるようです。今は、土日には、親が子どもに「何をしたい?」などと聞くようですが。昔は土曜日も学校でした。高校時代は、大学に行くために高校で勉強するのが当たり前で、朝6:00に起床し、7:30から夜の9:00まで週5日の授業がありました。土曜日も友達と勉強をしに学校へ行き、日曜日は、数学の塾へ行き、午後だけ自分の時間がありました。
E・Tさん:モチベーションはどうやって持ち続けたのですか?
王さん:点数で評価されるので、もう競争でした。
M・Fさん:学校で順位なども公表されるのですか?
王さん:もちろんです。
E・Tさん:うそやごまかしが効きませんね。
児嶋:大学の数が、学生の数に比べて少ないので競争が激しいと聞きましたが。
王さん:大学もA.B.C.Dとランク付けされ成績の良い順に受けられます。母親は子どものめんどうを見る事が仕事で、やることは勉強をさせることと自覚していました。
亀田さん:賄賂などはありますか?
王さん:あるようです。お金を使って良い高校に行き、大学も上のランクの大学に行けば、仕事も良いのが手に入ると言われています。
M・Fさん:徴兵制はないのですか?
王さん:ありません。成績が悪いと軍隊へ行かされると言われていました。ヤクザもその中にいるとか。不登校の仲間は学校が退学とか。中国では昔は、子どものためには何でもするという考えがあり、人脈を使って何とかするというような。軍隊もその中に入っていると思います。日本に来て、学校は3:30に終わると知り、部活もありますが、希望の一番多いのは、帰宅部というアンケート結果があり驚きました。
大学受験も大変で、学校に長く残り、教科書や問題集の山の中で眠っている写真があります。寮生活が多いのですが、学校の近くのアパートを借り、母親とふたりでそこに暮らし、親がしっかり面倒を見るというケースもたくさんありました。
亀田さん:塾はありましたか?
王さん:あります。学校の先生も塾の先生もして良いので、両方やっている先生もいました。
E・Tさん:アルバイトなどは?
王さん:勉強だけでした。わからない事は歴史なら、年上の人に聞くなどのつながりはありましたが。
E・Tさん:中国にいたときにバイトはしたことがありますか?
王さん:ありません。日本に来て日本語学校に入り、バイトでもしようかと始めました。大学入試は大変な事で、終わった時のうれしさは、「五月の吹雪」と言われているくらい、合格してうれしさで持っていた用紙をちぎり、上からみんながぱらぱら撒くので紙吹雪になるのです。
M・Fさん:恋愛は?
王さん:当時は本が彼女でした。
M・Fさん:なぜ日本へ来ようと思ったのですか?
王さん:大学に入ったら、自由な時間がうれしくて、遊んでばかりいました。大学2年になり、単位は取ったけれども、このまま行ったら、仕事もないかもしれないと思い、海外へ行ってみたいと思いました。大学を途中で休学し、日本へ短期の留学で来ました。来て見るとこれはいいと思い、中国の大学を休学し、日本の大学に正式に入学しました。
日本の大学在学中は、京都市国際交流会館(kokoka)での交流会や、大学課外イベントなどに積極的に参加しました。でも解放されて楽しみもありました。日本での中国人同窓会も作り、タイからの留学生と交流会をしたりしていました。英国にも短期留学をしたり、タイにも企業留学したりしながら、京都府名誉友好大使に任命(2015年)され、いろいろな交流イベントに要望されて参加しました。
例えば育親中学校や、同志社高校、宇治田原小学校などに行きました。また、京都クッキングワールドカップでは、京野菜を使って自国の料理を作るとかにも参加しました。
国際交流イベントでは、中国茶体験もしました。亀岡市は中国の蘇州市との姉妹都市なので、手伝いもしました。地元にも何か手伝いをしたいとほづ藍で藍染め体験やファッションショーなどにも参加し、消防団にも入りました。
ここで生活していくためにはみんなで助け合っていきたいと思います。
M・Fさん:中国ではそのような消防団みたいな集まりはないのですか?
王さん:田舎ではみんなに助けられました。こちらの消防団も朝の6:00から活動が始まり、寒い冬も大変です。
M・Fさん:消防団には1年に1度はコンペティションがあるでしょう?
王さん:それは出ていません。でも大切なことと思っていますし、かっこいいですね。
今は、地域再開発プログラムで、古民家再生の会や登り窯の仲間もいます。現在32才ですが、37才くらいになったらどうしているかとか、老後はどうなるかなど考えています。この地域のプログラムとして移住促進プロジェクトや空き家対策学習会などにも参加して考えています。
ひまわり教室でも「外国につながる子どもたちの学習」が大切と思い参加しています。
Y・Nさん:いろいろな活動をされていますが、一番は何ですか?
王さん:プリントにも書いておきましたが、①観光 ②空き家対策や移住課題 ③農業などが大切でIT系や亀岡に来てもらうプロジェクトもやっていきたいと思います。
M・Fさん:お聞きしていろいろ質問が浮んできたのですが、
- 台湾は56民族の中に入っているのか
- 中国では水不足問題はないのか
- 農業では日本は、化学肥料をたくさん使っていて、すでに土に沁みこんでいます。自分の国の農作物はどう思うか。
- 中国人の方がたくさん日本のマンションを買い始めているが、日本の土地を買うのは政策なのか?中国では、その土地の使用期間が90年と限定されていると聞いています。日本はそれはないので、日本での購入の方を選ぶのか。値段もその地域の値段の1.5倍で買うというとか。日本将来台湾のように取られるのだろうかと心配になります。
王さん:投資家は、日本だけでなく、東南アジアでも買っているが、日本がいいので買うのでしょう。
M・Fさん:平民は両国で仲良くしたいのに、政治家はぶつかりそうになっています。でも、その争いで被害を被るのは平民ですね。
王さん:政治については、話しても何も変わらないという印象があります。個人から組織になり、国へと意見は行くべきですが。中国で聞いたニュースは実際とちがうこともあります。人と人同士のつながりを大切にしていきたいと私は、考えています。
M・Fさん:日本と中国は政治的にがちゃがちゃしても、人と人とのつながりは大切にしていきましょうね。
王さん:家庭の状況も昔と今はかなりちがっています。昔は大家族で、父親の発言が一番でしたが、今はかなり変わって来ていますね。
児嶋:王さんはいろいろやって地域にも貢献していますが、ご自身の生活は大丈夫ですか?
王さん:自分に合う生活ができればと思っていますが。キャリアカウンセラーとしては、外国人で日本に住んでいる人のいろいろなサポートをしています。日本の人口減少は当然で外国人と共に生活しなければ人出不足でやっていけませんね。実習生を3年でなく、5年にするとか、移住が安心してできるようにするとか変化が必要ですが、かれらにもサポートが必要です。
児嶋:日本語能力試験で王さんは、L1を取りましたね。1級ですね。サムさんと二人とも。
王さん:証明書にはなりますが、能力をそのままというわけでもないですが。私は、企業の就職関係者と話し合ったり、日本の経済を良くするためにと考えています。
M・Fさん:昔は就職のインタビューで、まず、親の職業を聞き、兄姉の職業を聞き、住所を聞くようなことをしましたが、今は禁止です。あなたはこの会社で何をしたいのかと聞くそうです。AIも使うでしょうが、本人が書いた物か知る必要もありますが。
王さん:採用は変化してきて、中途採用が増えて来ていますし、終身雇用も減って来ていますね。即戦力が求められているというような。
Y・Nさん:ひまわり教室などで保護者と話す機会が多いのですが、王さんのような方と就職について聞くこともいいのでしょうか?
王さん:月に一回のオンラインでの場をつくろうかと考えています。
児嶋:王さんはひまわりでも教えてもらっていますね。ひまわり教室の日に聞くこともできますね。
王さん:ひとりで悩まずに聞く方がいいですね。
児嶋:亀岡市は多文化共生センターができて、とても相談が増えています。
M・Fさん:奥様は日本人ですか?
王さん:中国人です。京都外大を卒業し、外大で仕事をしています。中国語とビジネス日本語を教えています。
亀田さん:中国の有名な詩人である杜甫の詩を紹介したいと持って来ました。
国破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心 烽火連三月 家書抵萬金
白頭掻更短 渾欲不勝簪
国破れて山河在り 城春にして草木深し ときに感じては花にも涙を灌ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす 烽火三月に連らなり 家書 万金に抵る
白頭掻けば更に短く 渾べて簪に勝えざらんと欲す
国都(の長安は)は破壊されてしまったが、山や川は「昔とほ変わることなく)存在している。(荒れはてたこの)町にも(いつもと同じように)春がやってきて、草や木は深くおい茂なっている。
由来
中国の詩人 、杜甫の詩「春望」の冒頭。
755年、安祿山という武将の反乱によって、唐王朝の泰平の夢は破られました 。反乱軍は、翌年には都を攻め落とし、皇帝までもが逃げ出してしまいます。そんな757年のある春の日、反乱軍の制圧下にあった都にいた杜甫が作ったのが、この作品。
争いを繰り返しては死んでいく人間たちと、悠久の大自然。
その対比コンパクトに表現したこの一句は、昔から日本人にも愛されてきた杜甫の中でも、松尾芭蕉が「おくのほそ道ー平泉」で引用しているのは、有名です。
松尾芭蕉 「奥の細道」 平泉
国破れて山河あり、城春にして草青みたり 夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡
Countries may fall, but their rivers and mountains remain, when spring comes to the ruined castle, the grass is green again.
The summer grasses – Of brave solders’dreams The aftermath
(翻訳:亀田博)