2026/09/10

2026年7月25日(土)第400回グローバル・セッション・レポート「ネパールについて(2年間、海外青年協力隊として過ごした日々を生活や学校の様子を中心に)」

開催後のレポート

場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:湖月美和さん(京都市在住・教員)
コーディネーター:亀田博さん(大津市在住)
参加者:21名

 今回のタイトル:「ネパールについて(2年間、海外青年協力隊として過ごした日々を生活や学校の様子を中心に)」

亀田さん:「ナマステ」こんにちは。今日は、このGlobal Sessionは、1999年に開始されて、400回目です。児嶋さんありがとうございます。最初は、亀岡市国際センターで開始され、その後名称の変わった亀岡交流活動センターで、継承され、その後、児嶋さんの主宰するオフィス・コン・ジュントに変化しましたが、その間ずっと継続し、400回目です。M・FさんやM・Sさんなどは最初からの参加者で、私は、数年後から、参加しています。今日は、ひまわり教室に参加しているネパール出身の子どもさんもいて、ネパール出身の保護者も来ておられます。また、ひまわり教室の指導者の先生方もたくさんおられます。

プレゼントです。(花を持ったうさぎのぬいぐるみ・関係した方々からの詞書きなど)

児嶋:ありがとうございます。びっくりしました。皆さんと共にやってきたので私ひとりの事業ではありませんが。どうもありがとうございます。

亀田さん:では、いつものように参加者の簡単な自己紹介から始めましょう。

A・Nさん:英語ではない国際語としてのエスペラントを何とか広めようとしています。 (10月のGlobal Sessionのゲストをお願いしています。)

S・Mさん:京都市の教員をしています。8月にネパールに行く予定があります。 (京都教育大学での研修会で知り合い、その後もGSに参加あり)

Z・Yさん:ひまわり教室の指導者で、亀岡市の外国児童教育指導員もしています。GSは時々参加しています。今日のゲストの湖月さんも知り合いです。

P・Gさん:「ナマステ」ネパールから2年前に来ました。イオンのインド・ネパールレストランで働いています。

Pさん:ネパールから来て8年になります。(日本語堪能)

S・Tさん:私は、中国出身です。ひまわりや日本語教室で指導しています。初めてGlobal Sessionに参加しました。

N・Tさん:ひまわり指導者で、南丹市でも同じような「くらるす」という会を開催しています。湖月さんとは、20年以上の知り合いです。

K・Yさん:ひまわり指導者・日本語教師津の指導者もしています。また、亀岡市の外国につながる子どもの支援コーディネーターをしています。また、ネパールの子達のいる詳徳小学校でのサポートもしています。

R・Sさん:ひまわり教師指導者です。

K・Mさん:ひまわり教室の指導を2025年しています。日本人のための英語教師もしています。

N・Kさん:ひまわり指導者です。ネパールの子どもたちといっしょに学習して、ネパールのことをもっと知りたいと思っています。

M・Fさん:Global Sessionが400回目で、26年目ですね。ここ数ヶ月休んでいましたが。仕事は、小学生のための映画制作講座をやっています。最初は、Global Sessionは、英語でやり始めて、それに参加するころから来ています。

R・Nさん:400回目、おめでとうございます。私の取材で写真も撮りますが、取られたくない方は、言ってくださいね。

E・Oさん:枚方市から来ています。仕事は京都市内です。

Y・Hさん:最初のころから参加していました。福知山市とネパールは交流があるようですね。

T・Eさん:はじめて参加します。(詳徳小の教員)

Y・Hさん:400回目、おめでとうございます。Global Sessionは、いろいろなゲストが話し、亀岡生まれの亀岡育ちですが、総合商社に勤務していたので、50年間亀岡を離れていました。4年前に退職し、もどってきました。脳に栄養を与えようとGlobal Sessionに参加しています。

亀田さん:ナマステ。大津市から来ているひろです。ネパールは一度ツアーを組んで香港経由で行く予定をしていたのですが、前日に中止になり、行けていません。今、ネパールは、新しい首相になったので、社会派のひとで見ています。

 湖月さん、では、ご自身の自己紹介から始めて、お話しをお願いします。

湖月さん:ナマステ!今日は、400回記念ということで、恐縮です。

亀岡市の教員をしていますが、今日はかつて滞在したことがあるネパールについてお話します。たくさんの写真をもってきたので、それらを見ながら聞いてください。ネパールを選んだのは、20歳代にネパール支援に行ったことがあり、十分なことができなかったので、再チャレンジしたかったからです。2008年から2年間、ボランティアとして学校に行き、巡回しながら、算数をはじめ、いろんな教科を教えていました。

ここ半年間のネパールは、激動の時代の到来となりました。ネパール在住の友人に尋ねたところ、「2025年9月から半年間のネパールはドラマを見ているような政情の変化であった。」と言っていました。利権や賄賂やネボキッズと呼ばれる裕福な政治家の子どもの生活と国民生活の差があり、不満もピークに近づいていたようです。和やかでおだやかな国民性ですが、暴動が起こり、それを警察が弾圧し、70名の市民が亡くなるという悲惨な事態が起こりました。その後、女性首相の暫定政権が立ち、半年後、無事選挙を遂行し、現在の36才の元ラッパーと言われる新首相になりました。元カトマンズ市長でもあります。友人は、「まだ、なったばかりの首相なので、見守る時だ」と言っています。

私はネパール公立小学校のバクタブルの山の地域13校を巡回しました。ネパールには教員養成システムが整っておらず、先生方が適切な指導法などを学んでいません。それで私たちは主に算数の指導の仕方を教える仕事をしていました。(教え方を教える)

私塾のようなプライベートスクールがたくさんあり、公立小学校には、貧しい家の子どもたちや、女の子も多く通っていました。プライベートスクールでは英語で教えるので、一定の生活水準の家庭の子どもたちはなるべく英語を使ってほしいという教育熱があり、プライベイトスクールに通わせたいと思われるようです。

公立小学校は、ネパール語で教えます。教室に先生が一歩足を踏み入れると、子どもたちは一斉に立ち、先生方を敬うような雰囲気があります。学校のインフラは悪く、教室内は暗く、黒板と長机のみ、トイレも汚いです。

学校では、テストをパスしないと、留年もします。子どもたちは、文房具がそろわない子もいて、筆箱にえんぴつなどをそろえる必要もありました。歌や踊りはとても好きです。

給食はないので、干した米を持ってきて、みんなで分けて食べているような風景をよく目にしました。

山の中の集落の家から学校へ来るので遅れてもいい、よく安全にたどり着いたなという感じで、遅刻をしても怒られることはありません。山道を歩いて、妹を連れてくるのです。暗いので、青空教室でも学びました。算数では、先生方への研修、模擬授業や研究授業をしたり、子どもたちが計算時、位がずれないように、升目ノートを作成したりもしました。

環境教育隊員と、腐るもの、腐らないもので分別するゴミの捨て方なども教えることがありました。歯の磨き方も看護士さんといっしょに教えました。水道がないので、手を洗って食べるように指導もしていました。栄養士隊員とは、とうもろこしやまめなどのローカルなお菓子のよさ、ローカルな食事の栄養などについての授業もしました。

日々、山を歩いているので、子どもたちの身体能力は高いです。でも、体育や音楽は教科にないのですが、お祭りなど生活文化の中で音楽に触れたりできます。

祝祭は大切にされています。この日は、踊って飴を一個もらったりしていました。制服も自由で、スカートでもズボンでも自由にはいていました。

亀田さん:質問があればどうぞ。

M・Fさん:子どもの学校の年齢はどのようですか?

湖月さん:同じ年齢の子のクラスもありますが、3年~4年の実年齢との差があることもあ

ります。特に女の子は。

プンさん:学校は、4月始まりです。

K・Yさん:九九はどうですか?

湖月さん:九九の歌もあります。数の概念がなく、指の関節で数えたりしているので定着はしていません。

K・Mさん:九九をどうやって学んだか、保護者に聞きたいと思っていました。

S・Mさん:学校に行けない子どものパーセントは?

湖月さん:ネパールではレンガで家を建てるので、農閑期は、レンガ工場の仕事が盛んになります。出稼ぎに来ている親が学校に行かさない場合があります。2016年の入学した子どもの率は、96%ですが、ドロップアウトもあり、初等教育がいきわたっているとは言えないかと思います。

R・Sさん:小学校を卒業する時の年齢は、8年生ですか?

湖月さん:小中学校で8年、9年、10年で高校、11年目と12年目はカレッジで、大学に行きます。

K・Mさん:カレッジは高校から行くのですか?あるいは大学は?

湖月さん:カレッジ卒業後全国テストでパスしなければ、大学に行かれないです。

S・Mさん:大学卒業後は、他の国に行く割合が多いのですか?

湖月さん:他の国に行きたい若者が多いですね。専門を活かした就職が難しいからです。オーストラリアや米国、日本にも行く人が多いです。語学(英語)のできる人が多く、他国で働き、母国に送金する人が多いです。

しかし、ネパールでは、自分で事業を起こして失敗しても、簡単にすぐやってみる経験を積める風習もあります。

日本が2019年から職業別に技能実習生の受け入れをはじめ、受け入れが増加しています。14種類もあり、一気に増加したと思います。

S・Mさん:ネパールで授業をすると、一生懸命聞き、学ぼうとしています。防災についての授業をするのが。私の夢です。

日本では子どもたちは、ゲームに夢中ですが、ネパールでは山や、自然を画くのが好きですね。

湖月さん:2015年にマグニチュード7、8の地震がありました。その地震の4ヶ月後、ネパールに行ったら、たくさん建物が崩壊していました。80年に1回の地震だそうです。

S・Mさん:日本への情報はどうですか?

湖月さん:今は、SNSで情報が多くなりました。約35年前には、街頭テレビを見ていたのに、今は一人一台スマートフォンです。コロナ以後の2年前などは、どこでもウーバーで呼べて、どこでもバイクや車で連れて行ってくれます。時代を飛び越えるような加速ぶりで発展している面もあります。

S・Mさん:カトマンズは、消費社会が到来していて、ショッピングセンターなどもできていますね。

湖月さん:本当のネパールが知りたい人は、都市ではなく、「村へ行け」と言われます。

S・Mさん:ホームステイも村にはあるようですね。

湖月さん:ネパールには、8000メートル級の山があり、山には神がいると言われています。村の女性は、井戸で水を汲み、毎日運びます。背中において。クルタスワールという衣服を着て。農業が終わる秋からは、レンガ工場で、干しレンガや、焼きレンガを作っています。

食べ物は、ダルバートという定食のようなごはんとおかずです。じゃがいもや野菜が主菜で、漬物などです。ヤギ肉やチキンを食べます。祭りの時には多くの肉を食べます。ベジタリアンも多く、いろいろ揚げ物などにして食べています。キッチンもシンプルで、火を焚いて料理を作っています。

移動はバスで、山の上にも行きますが、1時間で1本くらいです。

修理をする風習があり、くつやかさや、時計などの修繕する人もいます。日本は消費社会なのでちがいも感じますね。動物も大切にする文化があり、犬なども街中でのんきに寝ています。

カースト制度も生活の中で残っているのが見られます。低いカーストの人たちに言葉を交わさないです。私は外国人なので、わざと親しく話しかけたりして差別をしないことを見せたりしていました。

おじいさんたちは、井戸端会議をしていて、おばあさんは、畑で働いています。

寺院もあり、カトマンズには、チベット系の寺院があります。祝日には、紅いサリーを着たり、各民族で、衣装にちがいもあります。

私がいたころは、冷蔵庫が家にないので、毎日ひとつずつ野菜を買っていました。毎日必要な分だけ買いものをするので、エコでした。人々は、なんでもよく頭上に乗せて運んでいます。

道路は、東西に一本、幹線道路が通っています。かつてはセンターラインも十分ではなく、互いに避けながらクラクションを鳴らして走っていましたが、日本や中国の支援を受けて大きな道路に拡げられ、交通ルールを守って運転しています。日本の会社が現地の人々を雇って仕事をされているのですが、道路ができたとき、日本の支援でできたことをとても感謝されました。日本人は我々の税金ODAがこのように活用され、感謝されていることを知り、誇りに思えるといいのにと思いました。

支援についてですが、多くの場合支援金を送ると、末端には行きわたらず、リーダーの懐に入ってしまいます。なので、私は自分の友達の間で小さな支援をし、どのように使われているのか報告を受け、見届けられるようにしています。学校をやめてしまう女の子達のための奨学金とNepal Japan Children Library(子どものための唯一の図書館)の支援をしています。子どもたちが本を楽しんで読むという習慣がないので、本を楽しんで読む習慣を築こうとされ、児童館のように子どもたちが楽しめるアクティビティが毎週行われています。お正月、ひなまつりなどの日本の行事もお祝いされています。

ネパール人の良さ:おこっている人をみたことがない。旅人は神様のように扱いなさいということわざもあるくらい、人を大切にしてくれます。

亀田さん:質問のある方はどうぞ。

Y・Hさん:ネパールを選んだ訳はなんでしたか?また、エベレストは、ネパールではどのように見られていますか?

湖月さん:20代の時に、40日間、ネパールに行ったことがありました。妊婦さんの栄養事情がよくないせいで、盲目の子どもたちが多く、そのセクションにヘルバーとして派遣されました。その際、目が悪くても彼らは自律していて、自分は何もできないと挫折感を感じて帰国したので、いつかリベンジしたいと思っていました。そして、その後、15年後に再びネパールに行きました。

Y・Hさん:いいですね。

湖月さん:協力隊の応募がありネパールを第1希望にしたら、通ってしまったのです。

M・Fさん:山の案内をするシェルパの専門学校などはあるのですか?

湖月さん:シェルパは山の民で、エベレストへ行くときは必ず、つきますね。シェルパの学校はないですが、山のエリアに多くのシェルパが住んでいます。

亀田さん:スイスなどに、シェルパとして、出稼ぎに行くこともありますね。シェルパは命がけですが、親子でやり、ベテランになって行くようです。

湖月さん:エベレストは8000メートル級ですので、登山家が挑戦されますが、我々登山家でないものでは、5000メートルの山を日数をかけてトレッキングする人が多いです。高山病にかかりながら。

M・Fさん:山を散策するときにも来ますか?

亀田さん:荷物運びと食事の用意をすると思います。

K・Yさん:このごろは、荷物はドローンで運んでしまうのですか?

亀田さん:荷物は、ロバで運ぶと思います。

湖月さん:有名なところは、途中までジープで行ける場所があり、そこから歩くと思います。

プンさん:歩けない道もあります。そういう時は、山の近くで。

グルグさん:チトワン地方

湖月さん:サファリ公園で、野生の動物を見られます。私も象にのって歩いたりしました。

M・Fさん:においはどうですか?

湖月さん:少しは、でも大丈夫。

E・Oさん:ふだんは、工場で働いて居る人たちは、てぶくろは付けていますか?

湖月さん:見たこと無いです。衛生は日本の状況からみたら、よくないですね。いっしょに行った協力隊は、10人いましたが、大半がおなかをこわしました。薬は準備していたのですが、入院した人もいました。水から病気になります。水は普段から煮沸し、フィルターに通して飲んでいました。

M・Fさん:ブータンは行ったことがありますか?

湖月さん:ありません。近いのでネパール人も多く暮らしているようです。

E・Oさん:腹痛を起こした時は、病院に行ったと思いますが、治療費や薬代は、大丈夫でしたか?

湖月さん:私たちは、保険がありました。病院に行くと、注射代を払い、打ってもらいます。必要な道具は全て自分で購入し、それをもって病院に行って治療してもらいます。ボランティアで公立病院の看護士の指導に当たっていた人もいました。衛生状態の指導をよくしているそうです。外国人が行く病院は、別にあります。外国に行く前には、多くの予防注射はしていきました。

児嶋:外国に行くと水の飲み方が大切で、ブラジルにいたときにも、水道の水は絶対に飲まずに一週間に一度、大きなタンクに飲料水を入れて運んで来て、それを毎日飲むのです。

湖月さん:水は必ず、沸騰したのを飲んでいました。果物なども外では食べずに、家で使う水で洗ってから食べました。

K・Mさん:先ほどの子どもの本の図書館の本は、選定を現地の人がするのですか?

湖月さん:私たちは、「あなたたちが買いたい本を買ってね」とネパールの方々が必要だと思う本を選んで買えるように支援しています。ほしい物が手に入るという喜びを得られるようです。

R・Sさん:日本語の本も?

湖月さん:設立時に日本からの絵本はネパール語に翻訳されたものがあり、それは今でも使われています。日本から寄付で持参される本もあるようです。それは翻訳しなくてはなりません。

児嶋:本を読むことと、話すことは、別で、ひまわり教室の子どもたちの家を訪問したときに、本が一冊もない家がありました。読み聞かせは大切だなと。

S・Mさん:ネパール語で画かれた本のよみ聞かせはあまりないのですか?

湖月さん:子どものための本はあります。

亀田さん:今はAIも使えますね。

M・Fさん:ネパールの軍隊はどうですか?

湖月さん:暫定政権の時に活躍したそうですが、人々は、「軍隊は自分達を守ってくれる」と思っているようでした。

K・Yさん:グルグさんは、インドで運転の仕事をしておられて、来られたようですね。

グルグさん:16年間軍隊で働いて、日本のインド料理の仕事で来ました。

M・Fさん:徴兵制ではないのですね?希望して軍隊に行くとか。

湖月さん:優れた兵士というか勇敢だとされる民族があり、その方たちも行くような。

M・Fさん:ヒンズー教徒とが、80%とか?

湖月さん:家族がヒンズー教徒でも、軍隊とは関係がないと思います。年長者にはリスペクトがあり、丁寧なあいさつをしたり、話したりしてくれます。

亀田さん:では時間も越えましたので、聞きたいことは児嶋さんに聞いてもらったら、湖月さんに聞いてもらえますよ。