2025/02/03

2025年1月25日(日)第383回グローバル・セッション・レポート

開催日:2025年1月25日(日)10:30~12:30
場所:ガレリア3階 第1会議室
ゲストスピーカー:ゲスト:中野恵二さん(保津川こなこな研究所・保津むらカフェプロジェクト・ ひのまる米工房・中野精米工場)
コーディネーター:亀田博さん(ツアーガイド)
参加者:15名

今回のタイトル:「保津むらグローバル -四代目水車小屋の倅(せがれ)として-

自己紹介

亀田さん:コーディネーターの亀田です。今回は383回目になります。これから、GSが始まりますが、まず、参加された方々の自己紹介から始めたいと思います。

H・Mさん:日本語教師をしています。

Z・Yさん:亀岡市の小学校や中学校で外国につながる子どもたちの教育支援員をしています。

M・Mさん:木綿屋をしています。亀岡市です。

K・Hさん:3年前に亀岡市に移住してきました。中野さんとのご縁で今日も来ています。

M・Hさん:おととしまで、へき亭をやっていました。今はこのように遊んでいます。料理教室などもやっています。

M・Sさん:教師を退職して何年か過ぎました。カルチャー教室やひまわり教室でのボランティアやおけいこ事などをやり、今が一番楽しいです。

S・Fさん:2年前から民生委員をしています。また、ガレリアでの日本語教室で外国から来た人たちに日本語を教え、楽しくおもしろい関わりを持っています。保津の火祭りのちょうちんも作りました。安町で提灯屋もしています。

N・Fさん:市役所で、市民活動の支援を担当しています。京都で外国人を観光に案内することもしています。

Y・Hさん:定年退職後、2年前に亀岡に戻ってきました。Global Sessionは、毎回参加しています。脳の活性化につながると。地元の中野さんが、今日はゲストなので楽しみしてきました。

M・Fさん:2020年から亀岡に住んでいます。オーストリアに43年暮らしていました。亀岡からの訪問団が来られた時からのつながりです。

児嶋:1999年から、亀岡市交流活動センターという神前の山の中でGlobal Sessionを始めて、定年退職後、主宰するオフィス・コン・ジュントとして開催して今回は、383回目になります。知らない間に、20年以上過ぎてしまいました。毎月1回ゲストをお呼びしてセッションをやっています。

亀田さん:エスペラント語でのあいさつは知っていますか?中野さんは知っていますか?

 (知りません:中野さん)

 エスペラント語話者は、200万人ほどいるそうです。ポーランドのザメンホフと言う眼科医の人が1877年に始めました。世界に通じる言語をということで開発されたのです。今日は、水車小屋の話もあり、楽しみです。

児嶋:亀岡は、大本教の方達がエスペラント語を学ぶ人が多く居て、どこの町よりもエスぺラント語の理解できる人の割合は多いと思いますよ。

亀田さん:中野さん、どうぞお願いします。

グローバル・セッション スタート

中野さん:ほぼ知っている人が多く、やりにくいんですが。では、保津町の紹介からです。保津町の紹介ですが、ほぼ山です。JRの駅がある町です。わかりますか?どこの駅でしょう。保津峡駅は、実は保津町です。

<保津町基本データ> 2019年 3月時点の亀岡市統計より
人口 : 1,574 人   世帯 : 727   面積 : 15.01 ㎢
森林 : 約 77%         農地 : 約 9%          住宅 : 約 5%

大家族宣言

保津町には、「保津橋を渡ってきたらもうみんな家族だ」という大家族宣言があります。住んでいる人も、 訪れた人もみんな家族です。

自己紹介 我が家の歴史

明治41年(1908年)に愛宕谷川の豊かな水量を利用して、保津村の山裾に曽祖父が水車小屋を設置して精米業、製粉業を始める。当時、保津町に11軒の水車小屋がありました。
 私の祖父 慶太郎は、大八車を牛に引かせて、川東地域を中心に仕事をしていました。

「ケイタロ」さんと呼ばれ皆さんに親しまれ、「ケイタロさんの孫か・・・」と言われる事もあります。

大正生まれの父はあまり商売人ではなかったので、第2次世界大戦の真っただ中で、勉強は良くできたが大学にはやってもらえず、地域の私塾「興風義塾」で勉学に励み軍人に。

東京の「陸軍中野学校」で学び、苦労して「憲兵」に。今でいう所の(軍事)警察官として約1年弱働き、原爆投下後は、広島の片づけへと出兵して終戦を迎え、帰郷しました。

仕方なく家業を継ぎ、動力を引いてオート三輪を購入して営業していました。精麦に力を入れていました。

私で四代目となり、米屋が斜陽の時代に細々と継続しながら、今年で117年になります。

米の販売は後発組 精米、製粉業(こなこな研究所)、菓子製造業など多方面にやっています。

「グローバル」とは? 世界規模、地球規模という意味

世界を感じたのは、亀岡保育園(大本教主催)時代の大本でのエスペラント大会や小学校時代のEXPO70で、「世界にはいろいろな人がいるんだなあ」と体験して思いました。

大学は地元の京都学園(現在の京都先端科学)・社会参加は、イベントのお手伝いなど。

英会話の先生は、アレックスカー(東洋文化研究者で亀岡の矢田天満宮に住んでいる)さんでした。半年前に同級生とアレックスさんを訪問したら、「1年しか教えなかったのに奇遇ですね」と言われました。「私、信じられない」という日本語が先生の口癖でした。

25歳で冬のヨーロッパ40日の放浪の旅へ

 *10ヶ国:フランスのパリ・イギリス・ドイツ(ベルリンの壁)・オーストリア・イタリア・ギリシャ・スイス・フランスのパリへ戻る。

*オーストリアでは、亀岡市の姉妹都市のクニッテルフェルト市へ親書を持って行った。

(父が当時の谷口市長と友達で)到着して、通訳の案内人の(言われた)tel番号にかけても通じなくて、自分で市役所を探し持って行った。(tel番号がまちがいでした)

*ベルリンの壁も体験(列車の中で、ビザのない人が隠れているのも見ました)

おもしろくて、おそろしい体験でした。オーストリアやドイツの人は声をかけてくれてとても親切で、日本人としてフレンドリーと感じました。帰国して「日本は安全やなあ」と思いました。「国籍の壁をなくしたい」とも。

以後は、仕事をしながら社会参加 

青年会議所・行政関係・商工会議所など「地域や人との繋がりが大切」思いながら、農林振興課と地産地消を考える。

*日替わりシェフレストランの「かめおか四季菜」で6年間店長

現在は、地元の保津町をよくして行こうと考えています。

(保津川下りにはたくさん来るが、保津町にも来てほしい)

●NPO法人ふるさと保津・田舎を生かした村おこし・農業塾・産品開発

(放置されて柚子を使う:ジャムやサイダーに)

インバウンドの外国人観光客増加

 へき亭や湯浅農園へ:年間マイクロバスが200本も来る

 「丹波七福米(現在、お休み中)」を海外の家庭画報に紹介頂く(京ちりめんのふろしきに包む)

一時期、知り合いに頼まれて外国人の宿泊所に(5組くらい)→母の介護・コロナが始まり休止

●保津川こなこな研究所 粉(製粉)を使った村おこし 料理教室や産品開発など

 こなこな料理教室 Z・Yさんをゲストに「皮から餃子をつくる会」開催

●保津むらカフェプロジェクト 保津川屋酒店を拠点にした移住促進・村おこし事業

     保津の妖怪「竹きり狸」の里吉くんをキャラクターに村おこし

     商品化 ポン菓子、お米、米粉、小麦粉 + プリン、ポン米粉

      (竹きり狸のぽんぽこプロジェクトは休止中 竹林整備事業) 

アイアルクラシ京都 10年前に「ほづあい研究所」吉川慶一さん 京都ほづ藍工房

 私は食べる藍を考え中: 藍茶(粉)、藍茶ハーブ(ティーバッグ)、藍茶のど飴

 藍のコスメ 藍の化粧水・藍の石鹸なども商品化して世界に発信しよう

 *今年は、藍の栽培から商品化までを保津で体験できる教室を開催予定

 アイアルクラシ京都 + kyo-aroma Breath + NIMBUS STUDIO

今後の企画

保津むらグローバル 保津から世界に発信 ⇔ 世界から保津に求心 保津むらローカル

保津川下り(世界一の激流下り・昔から人気)→トロッコ電車からの連動

  京都ほづ藍工房(藍染め体験は人気のアイテム 団体での受け入れも)

  長岡銘竹(海外での需要もあり、海外アートイベントなどにも参加)

 農家民泊 ファームハウスナナ(インバウンド客を中心に受け入れ)

 吹きガラススタジオ「カローレ」(海外からの体験客も増えている)

 霧の工房(天然砥石館田中亜紀館長 ものづくり体験ができる一棟貸切農家民泊)

 お香と土「NIMBUS STUDIO」(お香と土(陶芸) 日本の伝統文化の魅力を世界へ)

約20年前、NPO法人ふるさと保津を立ち上げた時には、「行くところが村の中には何も無い」と言われました。今回、お話しを頂き、なんとなく整理してみたら、意外とあって、改めて感慨深いです。これからは、保津むらグローバルであり、保津むらローカルである事を意識して活動したいです。

亀田さん:では、質問がある方からどうぞ。

M・Sさん:私は、こちらのM・FさんとMさんご夫婦を通して中野さんと親しくなりました。最初から、「おもしろいおじさん」と思いました。中野さんの活動は、「発信」と「求心(信)」をSNSを上手に使ってやっておられると思います。昔は難しかったかもしれませんが、現在は、発信力としてうまく使えばパワーアップになると思います。

 昨年は、M・Fさんたちとのつながりでオーストリアにしばらく滞在しました。その間、亀岡市の姉妹都市のクニッテルフェルト市にも行って来ました。亀岡とよく似ていて、山も多いです。モニュメントもあり、「かめおか通り」もあります。その時に中野さんにメールをすると、以前行かれた時は、市の道路が舗装されていなかったと聞いたのですが、現在は立派に舗装されていると伝えました。

 中野さんは、積み重ねもされ、発信力もあるおもしろいおじさまです。

Y・Hさん:たいへんいろいろ活動されているなあと思います。今は外国からのインバウンドが多いと思いますが、保津の活動にはどれくらいの割合で来られていますか?

中野さん:駅から歩いてでも行けるので保津藍工房などに南アの高校生がバス3台で来られたこともあります。シンガポールやアメリカからも来ていると聞いています。

Y・Hさん:保津むらグローバルとローカルを組み合わせるという方法は、個人的に賛同できます。ローカルな部分にも外国人は多くなっていますね。そして、ローカルな視点も必要と思います。

中野さん:保津むらと「むら」にしてローカルも大事にしたいと思っています。

亀田さん:水車小屋ですが、黒沢明監督の『夢』という映画がありますが、そこでは、長野県で水車小屋で小麦やそば作りをしている様子があります。

 スイスのツェルマットという村では、電気自動車と馬だけが通れるハイキングコースがあり、そこにも水車小屋がありました。これからは水力発電になるかもしれませんね。亀岡の水車はめずらしいので、SNSやYouTubeなどで知らせると外国人もたくさんローカルの地に来ると思いますよ。

中野さん:SNSはまだ遊びの範囲で使っていますが、これで行こうと決めたら、しっかりやりたいと思っています。

M・Hさん:今SNSに上げましたよ。

K・Hさん:水車小屋も観光として期間限定で動かすとか。水質管理もできるのではないでしょうか?

中野さん:10何年か前に、亀岡に水車小屋がなくなったのですが、放っておくと壊れるのです。棒が折れたり。ずっと使うためには、お金が必要です。

K・Hさん:お金があるおばさまたちもいますよ。

中野さん:私の藍の畑の前に水車小屋があります。そこで藍を作り、水車小屋を看板に(を)使って活動(製品化)しようと思っています。水車小屋は使わないとなくなってしまいますので。

M・Sさん:今はいくつ水車小屋が残っているのですか?

中野さん:ひとつだけです。

K・Hさん:ここ、京都で復活しましょう。

M・Hさん:資金がいるのですね。

M・Fさん:クラウド(クラフト)ファンディングですね。

中野さん:精米30kgを打つのに一晩かかります。大きな音がするので文句を言われたこともあります。今は水車小屋を倉庫として利用しています。

K・Hさん:そばとか藍の畑を復活してほしいですね。

M・Hさん:藍の花と(を)水車で売り出す(動かす)方がいいのではないですか?そばと水車はどこにでもありますから。私は、保津町の隣の千歳町に住んでいるのですが、保津町に良いところは、駅から歩いてこれる点です。それもあって活発なのかもしれませんね。

中野さん:市に対して物が言える人がいるのがいいのかも。それに、小さい町なのに、小学校も保育園も残っているのがいいなと思います。中学校も、近い方の亀岡中学校に子どもたちは行っていますからね。

M・Sさん:私の前職は教師で保津小学校には1年間行ったことがあります。子ども達は地元の人々に支えられているなあと思いました。竹が保津町にはたくさんありますが、総合学習で、竹で竹庭を造ったり、とうふを作ったりしました。保津川下りも有名ですが、英国の皇太子が来られた時に、その後ロイヤルファミリーに子ども達が手紙を書いたら、返事が来たとか。

中野さん:保育園、小学校、祭などもひとまとまりでやっていますね。保津町にも個性的な方々が入ってきていると思います。

真理子さん:保津川があり、森も山もあるしね。

中野さん:山は放置されているところが多いですが。

真理子さん:使える方法はないのかな?何かに使えたらいいですね。

M・Hさん:チャイナから来て土地を買う人がいると聞いていますよ。みんなで規制しないとね。

東村さん:いなかはほったらかしですよ。私の自宅にも水車がありました。今は妹が田んぼを作っていますが。私も教員として、1987年から8年間保津小にいました。中野さんは6565才のようですが。保津は、駅からちかいですね。

H・Mさん:私は水車を見たことがないのですが。

中野さん:保津浜テラスというレンタルスペース(店)がありますが、そこから水車が見えますよ。

Z・Yさん:亀岡が好きで10年ほど前からよく亀岡に来ていました。民際日本語学校の紹介があり、亀岡で仕事をし始めたのですが、最初は宇治に家があるので、通っていました。ちょうどひまわり教室の話を聞き、ボランティアを始めたころ、亀岡で教育支援の話がありました。宇治の小倉から亀岡に家を借りて2024年の2月に引っ越して来ました。真理子さんやM・Hさんからも引っ越しの手伝いをしてもらったり、素敵な家具をたくさんもらったりしました。自分の家族より暖かいと思います。

 保津町には、散歩道ができるといいなと思います。亀岡駅からと馬堀駅からと歩く様な散歩道が。

M・Hさん:旅行会社の「まいまい」の30人から40人ほど保津から七福神めぐりをしていたと思います。

Z・Yさん:中国から兄が来たとき七福神めぐりをしたのですが、いつもあいているわけでもないですね。

M・Hさん:保津町にはお寺がたくさんありますね。朱印帳などやスタンプなどもあるといいですね。休憩所もね。

中野さん:竹の通りの良い所なども見せたらいいですね。

児嶋:亀岡市には、外国籍の方が1000人以上今は住んでおられるし、両親のどちらかが日本人の場合は、日本国籍なので、その中には入っていない「外国につながるひと」は、もっともっといます。住んでいる「外国につながる人々」に少しのサポートをしながら保津に呼んでもらえるアイディアがほしいですね。おもしろいところの地図を作るとか。お願いします。

M・Mさん:今、アメリカはトランプさんになり、アメリカファーストを強く出していますね。ローカルな面で良いところは何かと考えていました。亀岡は霧の町とも言われていますね。私の仕事の綿は、湿度が大きく影響するのです。亀岡はこれも売り出したらいいのではと思います。それと、昔の「農林一号」を作り出したのは亀岡出身の方だそうです。このようにミーティングして亀岡の偉人を研究するとか。それと、湿度も関わって。

児嶋:私は福井市の出身ですが、最初に宇治市に教師として赴任したとき、とても乾燥して体がつらかったのですが、亀岡に来てからは湿度が体に合ったのか、とても楽になりました。

M・Hさん:野菜もそうですね。水菜や小豆は霧の出る湿度の高い地域が向いているのです。亀岡は野菜がいろいろあり、道の駅などには観光バスがとまり、しっかり買い物されていますね。

Z・Yさん:亀岡の野菜はとてもおいしいと思います。

M・Hさん:乾燥しないので、肌にもいいし、水もいいですね。目の前に保津川はあるし。

Z・Yさん:ここだけに住んでいるとわからないかもしれませんが、私は主人と世界一周の度に出たことがありますが、亀岡はどこよりもいいと思います。

M・Hさん:よそに行って京都に帰ってくると、灰色の家が多いなあと思いますが、亀岡に帰るともっといいなあと思います。香港人のマネージャーが亀岡に来てびっくりしていました。「ゴールド!」と言って。田んぼが見えて、「ゴールドだ」と。

児嶋:京都の人は、亀岡は遠いと思っていて、舞鶴くらいと思うみたいで、JR京都駅から30分以内で亀岡に着くというと、びっくりしてしまいます。

M・Hさん:新快速を使い、大阪から京都を通り、帰って来ても近いです。

亀田さん:12時半です。もっと聞きたいことなどあれば、中野さんか児嶋さんにメールで聞いてくださいね。ありがとうございました。