2024/07/09

2024年6月23日(日)第376回グローバル・セッション・レポート

開催後のレポート
グローバルセッションイメージ

開催日:2024年6月23日(日)10:30~12:30
場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:サム・ジードさん(亀岡市国際交流員)
コーディネーター:亀田博さん(ツアーガイド)
参加者:11名

 今回のタイトル:「歩んで来た亀岡市国際交流員の5年間」

参加者自己紹介

亀田さん(コーディネーター):では、自己紹介をお願いします。

E・Tさん:京北町から来ています。島津製作所で仕事をしています。

Z・Yさん:外国につながる子どもの教育信支援の仕事をしています。亀岡市内の小学校と中学校に行っています。

R・Sさん:外国につながる子どもや保護者の学習支援をしているひまわり教室で指導をしています。

M・Sさん:私もひまわり教室で指導をしています。サムさんとはいろいろな所でいろいろな事をして来ましたが、もう5年も過ぎたのかとびっくりしています。月日の流れが速いですね。今日も楽しみです。

M・Fさん:このGlobal Sessionとの付き合いは長いです。今日は、サムさんのトークが楽しみです。

H・Mさんさん:日本語教師です。

Y・Hさん:退職後も脳に刺激と栄養をもらおうとGSに参加しています。

児嶋: 今日は、1999年に亀岡市交流活動センターで、Global Sessionを始めて、376回目になります。M・Fさんや亀田さん、M・Sさんとは長く、もう20年を過ぎましたね。E・Tさんでも、「ぼくも、もう少しで10年目にあります」と言っておられます。

 私は、最初のJETプログラムを亀岡で始める時の説明会に東京の文部省に行ってほしいと言われ、行った覚えがあります。その次の年からALT(英語指導助手)が亀岡で採用され、CIR(国際交流員)は、その2年後くらいからだったと思います。

 サムさんは、その中でも、大変よくやられた方と思っています。

亀田さん:コーディネートをやっています。最初にサムさんに会った時には、ことばの壁があると言われていたような。京都弁など。それと、日本語は、本音と建て前がわかりにくいとか、言われていたと思います。今は、我々以上に、よく知っておられますよ。交流員としては、ラスト1ヶ月ですが、これからも、別の仕事で、亀岡に住まわれるらしいので、いいですね。

サムさん:あまりまだわかりませんが。

亀田さん:給料は円だし、今は生活も大変だと思いますが、サムさんのラストに期待しています。

サムさん:コロナ禍で、いろいろな事が制約されて大変でした。それで、料理教室ではなく、体育館でクッキーを焼いたり、ワールドフェスタでも、話し合いだけを、それもマスクをしてやったりとかありました。

 私は、ジード サミュエル マークと申します。カナダのトロント市の出身で、23才の時に、この国際交流員の仕事を始め、今は28才で、12代目の亀岡市のCIRです。あと1ヶ月でこの仕事は終わります。

 私は、大学4年の時に、ボストンキャリアフォーラムに参加しましたが、当時は日本語は全くだめでした。英語Nativeは有利かと思っていましたが、そうではないことがわかり、帰り道で、CIRの仕事があることを発見しました。それで、あとの2年間をがんばって日本語を学習しました。日本語能力試験は上から2番目くらいの内容でしたが、それは、実は最低限必要な力で、その後もずっと学習し、2年前にようやく日本語能力試験N1を取得しました。国際交流員の仕事は当時から憧れで、日本語の勉強は8年間ほどしてきましたが、最初は、1年目に関西学院大へ留学し、帰国後、独習し、日本に来てからも日本語教室に通い、次のステップに行けるよう続けていました。最近は就活が忙しかったですが。

グローバル・セッション開始

亀田さん:では、みなさんから質問などはありますか?

S・Oくん:僕は今、大学3年ですが、サムさんとのGlobal Sessionは3回目になります。

Z・Yさん:「まかせます」とか言われたようですが、仕事の内容はわかりましたか?はじめから。

サムさん:細かい内容は緊張もしていてわかりませんでした。

M・Sさん:CIRに合格してもどこに行くかはわからないですね。いつごろ、どんな気持ちで亀岡に決めたのですか?

サムさん:2月に面接があって、3月ころに行き先が決まると言われていたのですが、まだ決まらずに、6月ころに、「京都の亀岡に仕事があるけれど行く?」と聞かれ、「行きます」と5分以内に返事しました。留学したのが関学で、亀岡も関西だから、大丈夫だろうと思いました。ここに決まって今は良かったと思っています。

Z・Yさん:面接の時の言語は?

サムさん:7割が英語でしたが、最後に「小学生向けの英語レッスンをやってください」と言われ、日本人の面接官が子どものふりをして「わかりません」などと言っていました。それで、かなりこわくなって、日本に行っていろいろ聞かれたらどうしようなどとも思いました。

Y・Hさん:他の国にJETプログラムのようなのはありますか?

サムさん:韓国にはあるようですが、日本が一番進んでいると思います。

 仕事の内容としては、英語から日本語への翻訳の仕事が多いです。これには、日本語能力が必要で、最初のころは、ひとつの資料を一日かけてやっていたこともあります。その時に聞いても、誰も答えてくれないし、大変でした。亀岡市の資料の翻訳も多かったです。(日本語から英語に)

 コロナで、通訳の仕事は少なかったです。市役所の窓口やBcomeなどで。

 仕事で学校訪問もあり、日本語から英語ですが、中身が違うことを言ってしかられたこともあります。それからは、楽しんでもらえる内容として、クイズや、ゲーム、工作なども入れました。亀岡国際タイムズも編集してきました。だいたい一人で作っています。コロナ禍で、日本にいる外国人が国に帰れないとか、ワクチン接種の仕方などもありました。

 3番目の仕事としては、多文化共生センターへ行ったり、市役所やガレリアで仕事をしたりといろいろでした。出入国管理センターの方とも毎月、ミーティングをしました。また、イベントの企画もいろいろし、グローバルカフェなども年に5、6回やり、海外の文化の体験もできました。最初は企画が大変で、年に3回でも大変でしたが、今は、もっとやりたいなどと思っています。

M・Fさん:こちらに来て初めて日本人に会った時と、最近とはちがいはありますか?

サムさん:そんなに変わってはいないと思います。ただ、相手の日本人が、外国人と接する機会が少なかったのか、自分が日本人より下に見られていると思って仕舞うことがありました。やさしい英語を話す人もいました。

M・Fさん:接する日本人が変化してきたとしたら、CIRの努力の結果ではないでしょうか?

サムさん:日本語で普通に話してもらえるのが理想でしたが、最近はそうなっています。日本にいるうまく話せない外国人は、いっぱいいますので、気持ちをわかってもらえるとうれしいと思います。

M・Fさん:京都駅の外などに「大きなスーツケースを持って乗らないでください」と書いてあるのですが、そんなの、日本語だけではわからないと思います。大きな荷物をあずける場所の案内なども必要と思います。

 カナダ人が見たらどう思いますか?

サムさん:京都は、ほとんどの外国人が来たくなる町だと思います。「~してください」というのは、義務なのか、しなくてもいいのかがわかりにくいと思います。願うだけでなくてもいいのかとも思ってしまうと思います。

M・Fさん:嵯峨嵐山駅からたくさん乗ってきますが、自分は太秦駅で下りる時、体をのけてくれるのは、外国人で、日本人はしらんふりする人が多いです。

サムさん:多分、個人によってちがうと思いますが、その人は性格のいい人だったのでしょう。

M・Fさん:私は、「Excuse me」と言ってコミュニケーションをとりながら動くのですが。自治体の、やり方も問題があると思います。

サムさん:最近は観光客の多さが違いますね。

M・Sさん:国柄もあると思います。ヨーロッパの中でもフランスに行った時にはいろいろな人が荷物を持ってくれたりして助けてくれました。地下鉄でも席を譲ってくれたり。

 でも、オーストリアでは、知らんふりで、こんなに国柄でちがうのかと驚きました。日本では若者も、優先席にどーんと座っていますよ。

Y・Hさん:個人によってちがうのではないでしょうか?日本人でも助ける人もいますよ。

M・Sさん:個人にまかされているのでしょうか?

R・Sさん:嵯峨野線に乗っているとみんなが、入り口に立って動かない人が多くて困りますね。どんどん乗ってくるのに、中の方に動かないので入り口だけぎゅうぎゅうになり、情けないなあと思います。

E・Tさん:その情景はよくわかります。入り口、出口だけ人がいっぱいですよね。

サムさん:カナダも同じで、真ん中に行かないですよ。

Y・Hさん:イギリスでは、「乗れない」と叫んだら少し動いてくれたことがありました。

E・Tさん:中はもっと空いているのにね。

亀田さん:京都市内のバスは、前から下りるのですが、運転手さんの中には、後ろからバッグを下ろしてもいいですよ。」とか言う人もいますね。今は、京都駅前から、「特急バス」が出ています。清水寺などにまず、行くので途中はとまりませんとか。でも値段は、ひとり500円で、矛盾しているような。ヨーロッパからのツアーは、30人や40人とかで多いです。そのツアーガイドのマナーが悪い場合もあります。祇園などでは、人が多いので「注意してください」というガイドさんもいますが。ベネチアなどでは人が多くなり、町への入場料を取り始めましたね。水の問題やトイレが足りないこともあるようです。日本では姫路城が、外国人入場に4倍も取る案があるとか。

サムさん:シンガポールは、地域と外国人の二重価格があります。

亀田さん:住民のためにとコミュニティに使ってもいいですね。ヨーロッパでは、二重価格の場合は、美術館の補修などに使うと言っています。

M・Fさん:サムさんは、たくさんのレストランをテストされたようですが、何が良かったですか?

サムさん:いろいろなひとと話す事ができました。

 今までやったことをもう少し、話します。

グローバルカフェについて

  • 1年目:ユダヤ教の文化の紹介
  • 2年目:ハロウインでカナダやアメリカの文化の紹介 メキシコの死者の日も
  • 3年目以降:オーストリアのクリスマスとか(コロナ禍のなか)

 無料。大人数になると、交流会ができるようになったが、子どもと関わる機会が減ってきた。→子ども向けをはじめに持って来た。

料理教室:餃子教室(Z・Yさんなどがゲスト)

 コロナ禍の時は、年に1.2回しかできなかったが、お金も時間もあり、力を入れてやれた。(メキシコの死者の日の紹介:装飾・おやつ・変装なども)

子どもグローバルカフェ:ブラジルの料理も

 4年目以降:以前、5年間ほど料理を仕事にしていたので、料理をやりたいと思った

 ベトナムコーヒー・テキサスやメキシコの料理・中華ちまき(丹波篠山のちまき屋さんから・カナダのピクニック料理・ウズベキスタンとヨルダンのデザート作りなど。

国際交流協会のイベント

 ワールドフェスタ:カナダの紹介・姉妹都市からの訪日

 姉妹都市訪問:中学生とStillwater市での交流プログラム&報告会

 多文化共生センターの設営

 亀岡訪問:自粛はするが、少しづつ訪問客があった。

      空手選手・オーストリアのクリスマスイベントの紹介・

      イスラエル&パレスチナの人がいっしょに訪問など

      OSU教授グループの亀岡訪問

      アメリカ女性の話(桜の女王):日米交流について

 他国へ通訳として:中学生をアメリカオクラホマに交流プログラム(通訳として)

 最後に:外国人がせっかく日本に来たので、日本語も話せるので、積極的に交流しようとしました。外国人に対する印象が変わるかもと。町をうろうろして、よくいろいろな人と話をしました。おもしろい人が多いなという印象ですが、特に、料理を通じて話すと誰とでも話ができたと思います。亀岡市内の料理店は、だいたい全部行った事があると思います。

 亀岡の食べ物はおいしいですね。他の地域の人が、知らないのはもったいないと思います。バールでも、京都市内でも、スノーボードのつながりの人たちにも、話しています。亀岡の食べ物のおいしさを。

 最初は、仕事にかける時間がほとんどでしたが、だんだん同僚とも仲良しになり、バイクなどのツーリングにも出かけるようになりました。気持ちを込めて人間関係をがんばったと思います。

 ずっといっしょにいても、名前がわからないような状況は避けようと仲良くしてきたと思います。そのため、地域の行事にも参加してきました。亀岡祭では高砂山で笛を吹きました。その笛を持ってStillwater訪問にも持って行き、アメリカで笛を吹いて見せました。光秀祭も参加しています。

亀岡では、誘われたら、とりあえず行ってみようと。

M・Fさん:自分で文章も書いていましたね。

サムさん:そうです。

M・Fさん:日本人と結婚してずっと住みますか?

S・Oくん:5年間亀岡におられて積極的に関わってこられたなあと思います。ぼくも、高校時代のカナダに留学し、交流しようと思っていたのですが、なかなかせまいコミュニティからは、出られませんでした。アルバイトなどをすると、人間関係ができるのかもしれませんね。サムさんのやり方は、僕のあこがれです。

サムさん:自分の私生活だけにいると、何も変わらないですね。1、2年目は、仕事の時間も多く、不安もありました。日本語もそれほどうまくないし、ほめられることもないしと。その後、自分から考え方を変えようとしました。それからは、積極的に話しかけようとか、京都人の考え方を知ろうとか、その後少し、余裕ができてきました。

不安があっても、自分で考えていけば、良い方向が見えてくると。

S・Oくん:いろんな方と接しておられますが、料理を作ることは効果的だったのでは、ないですか?サムさんのベースでできるし。

Y・Hさん:コロナ禍もあり、大変だったでしょうけれど、ものすごい経験でもありましたね。

サムさん:大変な事はいっぱいありました。コロナ禍というのは、今まで誰も体験がなく、自分で考えないといけないということで。でも、その後、何とか自分で乗り切ったという気持ちは持てるようになりました。

M・Sさん:5年間の最初の方は、サムさんは、自信がなさそうに見えました。英語で話すと、「日本語で話してください。」と言われたのですが、緊張感が伝わりました。コロナ禍も越え、通訳の仕事も翻訳も成長されたと思います。そんなに表に出しはしないけれど、努力してくれたと思います。

サムさん:タイムズでは、思い出として、Stillwaterへ生徒死とたちと行き、自分にできるかなと思っていたことができたと思いました。亀岡祭でも笛も吹きましたし。

 亀岡はそんなに大きな町ではないので、また、亀岡で就職できるとは思っていませんでした。でも、「森の京都」に就職できて、まだ亀岡にいます。

R・Sさん:10月にStillwater市から、また訪問がありますね。その時もサムさんは、頼まれるのではないですか?

サムさん:今の仕事は人生の中で一回しかできない仕事だったと思います。5年間ちゃんとやりたいと思っていて、がんばったのですが、後悔はしていません。僕は亀岡市の12番目のCIRでした。「森の京都」は、財団でこの地域の振興や定住者の支援とか、丹波地域の魅力を紹介する仕事のようです。9月から始めます。8月には、一度カナダ゙に帰ります。

Z・Yさん:ずっと日本に住んでいると、中国語でこれを何というのだろうというようにわからなくなることがあります。漢字もちがうし、書けないことも。中国語で話そうと思っても、話せないこともあります。

E・Tさん:ぼくは今日のこのようなセッションについて、もっといろいろな人に知ってほしいなあと思います。ここのメンバーは自分で動く人がほとんどですが、外には、あまりないグループや話し合いの場所だと思うので。今日は本当にそう思いました。

児嶋:このあとで、毎回私はレポートを書き、この会員メンバーの150名ほどにはメールや郵送でお送りしています。今、E・Tさんが、もっと多くの人に知ってほしいと言われたことは、うれしいし、少し考えましょう。ただ、セッションというのは、ゲストの話をただ聞くだけではないので、自分の思いを話して、セッションと思うので、小人数に限定しているのです。ただ、私のホームページ(児嶋きよみ・ホームページ)と

 打ち込んだら出てきます。以前のGSも。ただ、みなさんの発言などは、イニシャルで書き、ゲストとコーディネーターの亀田さんと児嶋だけは、名前を明記しています。

亀田さん:では、今日はこの辺で。

児嶋:次回は、レイチェル・クラークさんという元日本人でアメリカで国際会議で通訳などをされている方がゲストです。英語社会で、日本語という言語はどう受け止められているのかなどについての話し合いです。またどうぞ、おいでください。