2020/12/02
2020年9月12日(土)第333回グローバル・セッション・レポート
開催後のレポート開催日:2020年9月12日(土)10:30~12:30
場所:ガレリア3階会議室
ゲストスピーカー:北神圭朗さん
コーディネーター:児嶋きよみ
参加者:12名
今回のタイトル:Experiencing Different Cultures(異文化交流)
参加者の自己紹介
北神さん:あいさつ:坂本先生に紹介をいただき、参加しています。生後9ヶ月で父の仕事でアメリカに渡り、18年間滞在していました。帰国後、大学を卒業してから、大蔵省に入り、その間 アメリカの大学に派遣留学もしました。その後、国会議員にもなりましたが、今も、もう一度国会に行くようがんばろうと、各地にポスターが出ています。
E・Tさん:32歳です。京都府出身。今は南丹市の工場で働いています。英語を話したいと思っていますが、なかなかできないので、日本語ででも。映画を見たり、身体を動かすことが好きです。友達といっしょにのみに行くことも好きですが、今はコロナ禍であまり行けませんが。
M・Fさん:このGSの最初からのメンバーであると思います。東映の映画村にも勤務し、退職後はNPO法人京都映画クラブを建て、事務局長をしています。小学生に映画の撮影などの手ほどきをし、DVDを作成したりしています。滋賀県などで実際に撮影もしました。京都シネマフェスタなどで上映もします。
Y・Iさん:コーヒーの販売店をしていくつか持っています。政治家の北神さんなので、参加したいと思い来ています。「女性がどう生きるか」を真剣に考えていきたいと思っています。コーヒーブームが来る前から、世界各国に回出しに行き、20年ほど前から英語を学び、アメリカ大陸の高地にも出かけ、その土地の人たちと交渉してきました。スペイン語圏であっても、英語で話が通じますね。私は、太秦で生まれ、映画村も近くで映画も中学生のころからよく見ていました。買い出しに外国に出かけるときにも、機内で映画を見られますし。
N・Sさん:「みんなのネットワーク」の代表をしています。北神さんは、ダボス会議に参加されたということを知り、その英語力に驚き、このGlobal Sessionに紹介しました。
R・Sさん:いっしょにひまわり教室の指導をしています。参加している子どもたちは、コミュニケーションは取れるが、学力としての成績はあまり伸びないというその理由はなぜかという課題を考えています。北神さんは、子ども時代は家では、日本語、外では英語であったはずで、どのように学力をつけられたのか、聞いてみたいと思い、参加しています。ダボス会議に参加された方にお会いするのも、初めてです。
Y・Nさん:畑野町に住んでいます。長く中学校の英語教師をしていました。多分どこでも一番年齢が高いでしょう。英語を話す機会に最近出ていないので、ここに参加しました。84歳になります。北神さんは、国会議員時代に、畑野町に水道を引いてもらいましたが、それ以来のお付き合いです。厚生大臣であった桝添さんが「畑野町に水道を供給するために30数億円出します」と言われたのを覚えています。この北神さんをもう一度国会へと支援していきたいと考えています。英語を聞きたくてここに来ています。
H・Kさん:大津市から来ています。このGlobal Sessionは、2004年くらいから参加していると思います。仕事はツアーガイドをフリーでやっています。ヨーロッパを中心にしていますが、ニュージーランドや中国、チベット、ウイグル、モンゴルなども行きました。ダボスも言ったことがあります。また、日本へ来るツアーのホームステイなども斡旋し、連れていったりしていました。今年はほとんど無かったのですが、今は、ヨーロッパはOKになったようです。
サム・シードさん:カナダ出身の国際交流員です。去年の夏から来ていて、2年目になります。高校生の時から日本の文化に興味を持つようになりました。大学3回生の時に、関西学院大学に留学し、その後、試験を受け、再来日しました。今年はコロナで来日する外国人がいないのですが、日本人との交流が趣味で楽しんでいます。カナダはトロント出身です。
T・Oさん:大井町に住んでいます。会社を退職して15年目ですが、市民活動推進センターで勉強させてもらっています。高齢者の活性化が必要で、政治家も巻き込んで案内状を書くなど必要かと思います。北神さんは、信頼できると感じていますので、少しですが応援できればと思っています。
グローバル・セッション開始
北神さん:これは個人演説会ではないので、みなさんとお話ができればと思い、参加しています。
私は、変わった経歴を持っています。京都で生まれましたが、9ヶ月でアメリカに渡り、18歳までいました。
父はどこかに務めていたわけではなく、最初はつまようじを売るような商売をしていました。その後は、日本で生産された螺子をアメリカに売るような仕事をするようになりました。金融機関に追いかけられたり、つらい時期もあったようですが、最後には、ヒューストン、アトランタ、ダレス、ロスなど4カ所に支店を持つようになり、終わりは良しのようです。
小さいころから、「我々は移民として、アメリカに来ているのではない。日本人としての魂を忘れるな」とよく言っていました。私は、現地の学校に行っていたので、アメリカ人という意識があり、オリンピックでわれわれ(3人兄姉の長男)がアメリカを応援すると悲しそうでした。
でも、私は高校生になると、アメリカ人と日本人の価値観のちがいが見えてくるようになりました。
これは、家庭環境から来ているのかもしれませんが。例えば、クリスマスになると、父は「キリスト教徒でないし」と祝うこともせず、母は「アメリカの生活に溶け込みたい」と普通にやりたそうでした。ところが、正月はおせち料理をしっかり作らされていました。このように夫権をしっかり使う父でした。
私は、当時モータークロスで走り回っていて、倒れた友達の自転車の上に飛び乗り、自転車を壊してしまったのですが、子どもにでも賠償を請求されたのを放っておいたら、”You Japanese are exactly what my father said”(おまえら日本人は親父が言っていたとおりだ。真珠湾で戦線布告する前に攻撃した)などと、親友だと思っていた友人に言われ、そのように思われているのかと大変驚いたことがあります。
また、“”Because of you Japanese, my father was laid off”(おまえら日本人のせいで親父は首になった)と言われました。
これは、クライスラーに務めていた親父は日本人が技術を盗んで安い車を作り、アメリカに売りつけてクライスラーも売れなくなり、合理化で親父が失業したと言うのです。
このように、アメリカ生活は楽しかったと思いますが、アメリカ人としては差別あるいは、区別されていると感じることもありました。
もうひとつは、”How is the Emperor doing?”「天皇陛下のご機嫌は?」これは、ずっとやっていたバスケット部のコーチのことばです。突然、バスケの練習の準備中に、言うのです。
帰国して、電車の中で英語を話していたら、話しかけられ、アメリカに18年いたというと、「NHKのラジオ体操を知っているかと問われ、「ラジオ体操を知らなければ日本人ではない。」とも言われました。
帰国して感じたのは、日本の方が「日本」にこだわっているのではないかということです。
特に京都の文化はアメリカ文化と言われるものとは、全く反対なのではないかと思いました。
アメリカ文化では、「何でも語る方が好ましい」と思われています。
京都の文化は、「求めるといやがる」だと思います。
京都大学に通いながらも、自分がどっちつかずだなあと思っていました。親父の教育方針で土曜日には、日本語学校(日本人学校)の補習校に行かされ、土曜日の8:30から、5:00まで日本語での教育を受けていました。行くのをいやでいやで仕方がなかったのですが、土日はアメリカの友達たちは、よく遊んでいたので、自分だけが補習校に行くなんていやだいやだと思っていました。
でも、日本人学校は、エリートサラリーマンの子どもが2年くらいの範囲で父親が異動するので、同じ日本人学校クラス意外には、外国語を学んでいる暇がないという理由もあります。
でも、自分はここに週に一度でも、補習校に通学していたので、日本語を話す成長過程はここまでやれたと思っています。
アラビアのロレンスの物語の中で「知恵の7様」という言い回しがありますが、これは、アラビアにいたロレンスがトルコに対して反乱を起こさせる話ですが、彼は、この中で、「2つの文化のベールをはずしてすかして見るとそれは、狂気だ」と言っています。
このように何か大きなちがいがあると意味でしょう。
私は、いやいや補習校に行っていたので、母親が学校から「やめたらどうですか?」などと言われていたようです。
しかし、親父は、むりやり日本人学校の補習校に行かせていました。
私は長男ですが、妹と弟がいます。彼らは二人ともアメリカ生まれのアメリカ育ちで、アメリカの方が生活しやすいと言っていますが。弟はいやいやながら、日本の会社に就職しています。
私は、高校生の時にいろいろ友人から言われたりして、自分は日本人だと思うようになりましたが。
自分の経験から感じることを申し上げれば、“What is the True meaning of prejudice? と書いていますように、「偏見」「差別」の真の意味は何か?
ここに書いていますように、「アメリカ人だから・・・」とか、「日本人だから・・」とか、いっしょくたにして判断をする。自分の感覚で判断し、個性を認めないというような体験があると、自分が良いと思うことも実は、偏見である場合があると思います。アメリカの作家でT.S.エリオットという作家がいます、彼は、後に英国に帰化しました。
アメリカには、自己主張の文学が多いのですが、イギリスの文化の元では、ビートルズなども含めて第3者のことを描いているアーティストが多く存在しています。
これも、彼の帰化の要因かもしれません。
私自身は、「異文化交流」はすべきと思っています。
でもそのためには、自分の立地する文化を持たないと難しいと思います。
「国際交流」では、国と国とが交わると言う意味ですが、他の海外の国に行ってみないと他とのちがいが見えなくて、根無し草になってしまうと思います。
私は、現在53歳ですが、アメリカから帰国した大学時代から、日本文化の能をやっています。日本の文化の基礎になる何かを持って居る方が流されずにすむと考えています。
児嶋:先ほど北神さんが言われていた日本人学校の教師として、夫が1985年ころに家族でブラジルのベロ・オリゾンテに行っていました。サンパウロ・リオに次ぐブラジル第3の都市ですが、そこには、日本企業で仕事をする親と共に赴任した家族のための文部省からの教師派遣の学校がありました。2人の娘もそこに行き、3年間過ごしています。この町にはブラジルへの移民の2世・3世も多かったのですが、ほとんどが現地の学校に通学し、授業料も高いので、土曜日の補習校はありませんでした。そこで、私はポルトガル語を真剣に学び、英語も話せるようにとついでに学んでいたので、先にやり、初級の指導者にもなっていた中国語と大体3カ国語を話せる状態になって帰国しました。その後は、ずっと亀岡市の外郭団体で定年まで仕事をし、その後は、自分の仕事を論文としてまとめたいと、立命館大学博士課程に入学し、7年間を過ごしました。退職後も2014年からひまわり教室を開始し、大学院生と兼ねながら、2020年度は7年目になります。
M・Fさん:北神さんは政治家ですが、私は、現在の政治にはいろいろな不満があります。政治家から「これをやろう」という考えが見えてこないのも原因です。国会議員の数を減らし、必要経費を減らし、地元の声を吸い上げ、現実化することが必要と思っています。でも先ほど、北神さんが国会におられた時に畑野町に水道が開設されたというお話を聞きましたが、そのような政治家はとても少ないと思います。小泉内閣の時にも印象的なことばを使うわりには、軽いという印象を持っていました。野党も立憲民主党が立ち上がりましたが、なかなか野党も固まらず、日本の若者のための未来は明るいとも言えない状況です。「ミサイル防衛」などと軽く言い出しているが、世界が日本をどう見て入るかも視野に入れなければならないのに、政治家が信用できません。
北神さん:私は現在無所属で、国会議員の定数は減らしたらいいと思います。けれども、鳥取県や島根県など人口割りで定数を決めると、出せないような府県が出てきて問題は多いです。官僚の人数も中曽根総理時代から減らしてきていて、1省で、いろいろな事をやっていて、かなりいっぱいいっぱいです。若い官僚の7割がやめたいと考えているとの調査もあります。
また、中国がガス油田に入り込み、先のことを共に考えなければならないのに、目先のことばかりに追われ、対応できていません。信念の話もありましたが、戦争の犯罪のことも一致していませんし、「阿闍梨餅を持ってきたから、やめてね」と言っているような目先の対応ですね。
現在の国会議員の8割方は、地域のことを思ってはいないと思いますが、国民が選んでいるのですが。
英国のチャーチルは、「選挙区は変えなければならない」と言ってきましたが、日本は、「つながりを重視する」という方針で、選挙区は全く変えていません。
また、最近の政治家の判断基準も変化してきています。
財政的には、日本は、ひどい状況です。
例えば、医療、年金、介護のための予算は、全体の三分の一、借金の返済に4分の1、地方への交付金は三分の一です。日本の場合は税金の低負担・中くらいの福祉です。
アメリカは、低負担、低福祉です。これからの若者が結婚しやすくするためにも家族支援をしなければならないと私は考えています。でも年寄りから文句もでるでしょう。
このようになってきたのは、戦後、「国家とは何か?」とあまり考えてきませんでした。これが原因かもしれません。
M・Fさん:給付金の話もありましたが、ネット環境が日本は遅れていますね。中国や、韓国の方が進んでいます。
Y・Nさん:アメリカでは現在“Black Lives Matters”という運動が盛んですが、テニスの大坂なおみさんも毎回マスクに名前を書いたのをつけ抗議していますね。アメリカの白人の意識は、黒人に対しては、400年間も奴隷の売買をしてきたので、差別意識も大きいですね。でも人種で政治を決めるのは危険です。”All lives matters”とトランプ現象は、白人でも苦しいのだとも言っていますね。アメリカの労働者は、トランプになってから、白人の逆差別だとも言い出していますね。
S・Zさん:白人と黒人という人種的なちがいはあるのですが、日本にいると、白人だからなどと見られることは少なくて、 カナダにいると、「白人だから、こういうことは言わない」などと黒人とのちがいを話題にすることが多いと思います。
北神さん:”How are you?と英語で聞いたとき、heとかshe とか言わないでほしいと言われることがあります。外見でLGBTを判断することはやめてと言われ、あまりにも差別を形で表すことが増えて、「白人」であり、「男性」ですみませんというような雰囲気ですね。
Y・Iさん:日本で「男でごめん」と思うのは、1%くらいでしょう。日本の政治家の女性の数は、107位で、下から30番目くらいだったと思います。日本の女性の立場を男性は理解しているのでしょうか?カナダは政治家の半分は女性ですね。アフリカのルアンダは、女性の政治家の数は、世界で7位です。「アフリカのシンガポールにしよう」と声をあげ、レジ袋も2007年に禁止し、以来、月に1回みんなで掃除をしている日を設けているようです。日本の環境もだめになって来ています。アメリカの傘の下に守ってもらって名誉白人などと思われて長く考えてこなかったからでしょう。
M・Fさん:私は、よく道を歩くのですが、女性のドライバーの方が、横断歩道で渡ろうとしてもゆずらないですね。長野県はなぜかちがうようですが。
T・Oさん:同志社大学の村田先生に聞いたのですが、「今、将来を見据えて、考えないといけない」と聞きました。企業の寿命は30年として考えておかないと。昨年ドイツへ行きましたが、小さな町でも裕福そうな印象がありました。亀岡も人口が減っても幸せを感じる町にしたらと考えています。30年先を政治家もいっしょに見てほしいと思います。将来への論葱がないですね。
N・S4さん:2021年の5月には北神さんにお願いしています。
Y・Iさん:日本の古典は大事にされていない気がします。日本の伝統を守る学校を作ってほしいですね。三味線なども作る店が廃業されたり。おしろいの製造会社もなくなったり。歌舞伎などを若者に見せて内容をしらせることもいいですね。
M・Fさん:子どもの映画作りのNPO法人を作っていますが、子どもに映画のアナログの作り方も教えています。京都府から「技術者への表彰」として30万円をいただきました。
北神さん:時代劇にも職人がいますね。アイデンティティは作る物と私は考えています。自然には手に入りません。でも日本人は苦手のようですね。アメリカンドリームというのも作り物だったと思います。女性については、働きたい女性には現状は気の毒と思います。働かざると得ない女性も多いですが、男性優位の中では大変です。非正規雇用の労働者の女性の年収は170万円で、女性の4割がその中に入っています。今は雇い止めもありますね。
Y・Iさん:行政では、決めつけが多いし、書類の作成も難しいです。補助金の申請でも。
M・Fさん:技能実習生も調整弁のようになっていますね。これは大きな問題ですね。
児嶋:亀岡市も外国籍住民は1000名を越え、技能実習生も昨年半年で100名ほど増えていて、減りはしませんね。