2020/12/02

2020年10月24日(土)第334回グローバル・セッション・レポート

開催後のレポート
グローバルセッションイメージ

開催日:2020年10月24日(土)10:30~12:00
場所:ガレリア3階会議室
ゲストスピーカー:サムエル・シードさん(カナダ出身・亀岡市国際交流員)
コーディネーター:亀田博さん(ツアー・ガイド)
参加者:9名

 今回のタイトル:日本語能力がある外国人からの関西の社会に対する見方

参加者の自己紹介

K・Wさん:サムさんとお話ができるのがうれしいと来ました。「みんなのネットワーク」の理事をしています。(本梅町在住)

M・Oさん:薭田野町に住んで居ます。しばらく来ていませんでした。今日は参加出来てうれしいです。

K・Iさん:Native Kameokanです。銀行で仕事をしていましたが、リタイアをして今はフリーです。旅行のために英語を話したいと思い、いろいろ勉強していますが、今はいけないのが残念です。

T・Oさん:「みんなのネットワーク」でいろいろやっています。英語はわからないのですが、サムさんは日本語が流暢なので、それで、カバーできるかと参加しました。

M・Fさん:並河在住です。映画会社に40年以上勤めていましたが、今は、リタイアし、NPOで子ども達に映画の作り方を教える事業をしています。シナリオ作りとか、月~金で出席しています。長く英語を話していないので、今日は話したいなと参加しました。

児嶋:このGlobal Sessionは、私は亀岡交流活動センターで仕事をしていた1999年にはじめ、月に1度の開催で、今回は334回目になります。すでに、20年以上続けていることになります。Fさんは、その最初からのメンバーで、Kさんは、その少し後からの参加で今も続けていらっしゃいます。

サムさん:サムエル・ジードと言います。国際交流員をしていて、毎日日本語で話しているので、今日は、英語で思い切り話せてうれしいです。24歳です。(ええっ!)

大学の時に留学する前には、「日本に行ってみたい」という気持ちだけだったのですが、Bronislaw Malinowski という文化人類学者の本を読むと、「もっと冒険もあるかもしれない。もっと研究してみたい」と思えるようになりました。

この人は文化人類学者として、新しい人類学の研究の仕方を発明したと言われています。それまでは、人類学者は、外国に行って見たことや感じたことを書くものと思われていましたが、このM氏は、「文化を知りたければいっしょに暮らし、しゃべらないとその地の習慣の意味などはわからない」と言っていました。

これで、私もMichiの文化を知りたいと思うようになりました。もちろん、日本人にはなれませんが、日本人に近い文化の見方を経験したいと思ったのです。

亀田さん:このBronislaw Malinowskiという人は、ポーランド(元オーストリアーハンガリー帝国領)のクラクフで生まれ、大学を卒業後、ドイツのライプチヒ大学で人類学に興味を持ち、当時人類学研究が盛んであったイギリスに渡る。オーストラリアを旅行中、第1次世界大戦が始まり、イギリスはドイツに宣戦布告し、当時オーストリア国籍だったマリノウスキーは、イギリス領内で帰国出来ず、パプア・ニューギニアには行けたので、その後マリノウスキーは、長期にわたって現地の人々と行動を共にし、その生活の詳細な観察を行うこととなり、人類学研究に初めて参与観察と呼ばれる研究手法が導入されることとなった[3]。その後、第二次世界大戦が勃発すると、マリノフスキはアメリカ合衆国に定住し、イェール大学の客員教授となる。
1934年にマリノフスキはラドクリフ=ブラウンら若い人類学者たちとアフリカ総合研究プロジェクトを立ち上げ、アフリカの南部と東部にフィールドワークを兼ねた調査旅行に向かう。(56歳で死亡)

サムさん:日本にいて、他の地方に旅に出て、亀岡や西宮(留学中にホームステイ)に帰るとほっとし、いやされます。

M・Fさん:big cityは、またちがいますからね。

サムさん:西宮の関西学院大学には11ヶ月いました。

M・Oさん:関西学院大学は女子が多いのですか?

サムさん:そうではないですね。西宮の兜山にありますが、今だったら、留学生はマスクをしなければならないので、言葉がもっと通じなくて大変だろうと思います。

僕の時は、英語圏から来た留学生は、日本人に英語をもっと話せるようにしてやろうと思うようですが、自分はそうはしませんでした。

自分の顔を見た日本人は、「この人と英語で話さなければならないのか?」と思うようで、それに対して、自分が日本語で話かけると、その人たちの目が変わるような気がしました。人類学者が日本の文化の中に入ってきたような感じがしました。

S・Sさん(シリア出身):外国人を見た人は、こちらが日本語で話しているのに、英語で返す人もいます。知り合いの中には、日本人でも英語を話したがる人もいます。その人次第ですね。顔だけでは、その人が英語を話したいのか、日本語を話したいのかわからない時があります。

亀田さん:ことばの種類の表を作って来ました。

敬語:honorific word 丁寧語:polite word 尊敬語:respectful word
謙譲語:humble term

タメ口:informal way of speaking 「ため」は、さいころ賭博でふたつのさいの目が同じになること(年下のの物が年長者に対等の話し方をすること。)

M・Fさん:京都の祇園もことばがちがいますね。

亀田さん:関西でも京都と大阪は違います。祇園の舞妓さんは、ビジネスワードとして、「おおきに」「おこしやす」「おきばりやす」などを使います。また、京都のことばおしては、
1.いけず  2.~したはる  3.しおし  4.おはようおかえり  5.~のたいたん
6.かなわんわ  7.あかん  8.ほかす  9.さいなら  10.おおきに

S・Sさん:住んで居ても関西弁のちがいはあまりわからなかったのですが、今日の説明はわかりやすいですね。

亀田さん:大阪は関西弁が一番強いところですね。関西のおばさんの関西弁は特に。

M・Fさん:留学生は標準語の日本語を学習してくるでしょう。関西弁は全くちがうように聞こえるかもね。

M・Oさん:若い人は案外標準語を使っていませんか?西宮は関西でも上流の住宅地と言われていますね。

サムさん:映画やテレビで日本の様子を外国で見た外国人は、日本では、電車を待って居る時には、みんながきれいに並んでいるイメージを持っていると思います。また、来日すると、あまり話さない日本人に対して否定的になります。気持ちを出さないのは、日本の社会が閉鎖的であると。これは、あまり知らない人に最初は話さないという文化のちがいだけなのですが。この点は、残念です。

S・Sさん:(改めて自己紹介)
Safwan Hindawiと言います。本当はもっと長い名前ですが。私が、「S」ですというと、必ず、「サフラン」と言われるので、ニックネームは、「サフィ」です。と言っています。サフィと呼んでくださいと。シリアから日本に来たのは、今から、19年か20年前で、人生のほとんど半分になります。何かが自分の魂と結びついてここにいるのだと思います。日本も好きで、シリアの家族も好きですが。今は戦争で帰れませんが。

児嶋:サフィさんは、立命館大学のアジア・太平洋大学に留学し、卒業をされています。

亀田さん(C):サムさん、あなたのパーソナリティはどのようなものだと思いますか?

サムさん:英語では静かに話しますが、日本語では話し出すといっぱい話します。カナダでは友人達と。皮肉を話すことが多く、言っていることの反対が本当の気持ちであることが多いです。皮肉をわかり合うと友情が深くなるという考え方があり、通常、皮肉を使わない方が難しいです。でも、同じように日本語を話しながら、皮肉を言うとわかってもらえない方が多いです。

K・Iさん:関西弁の皮肉も同じですね。ストレートに言うと、「あほちゃう」と思われて。

サムさん:日本でも、言いたいことがあると、そのまま言う方が気持ちが通じると思いました。でも、ほめすぎるといやみっぽくなりますね。

M・Fさん:「ほめごろし」という言葉もあります。

サムさん:褒め殺しが多すぎて、黙って居た方がいいのかと思ったこともあります。

M・Fさん:「沈黙は金なり」ということわざもあります。

サムさん:カナダでは、そのような事が原因で退学することもあります。

K・Wさん:言い過ぎてしまうのですか?

サムさん:言い過ぎるとつきあいが難しくなりますね。

児嶋:それは日本と同じでしょう。

サムさん:日本語は自分にとっては、第2言語ですが、気持ちが出せないわけではありません。

サフィさん:母語でないと気持ちが入らないというのは、その人次第だと思います。

児嶋:私は、福井市出身で、福井のアクセントは実は特別で、一型アクセントと言われる地域で、関東アクセントと関西アクセントが混じり合い、言葉に対して、どこにアクセントを置くべきかが頭の中でわからない場合を指します。大学卒業後、京都府の宇治市で小学校の教師になったのですが、国語の本を読んでも、この地域がどちらにアクセントがあるかがわからないものですから、「まず、読んでね」と子どもに助けを求め、ひとつづつ、この辺のことばのアクセントを学んだ経験があります。日本語の中でもいろいろですから、標準語の日本語と思って来ても、関西ではまたちがったという経験があると思います。

M・Fさん:最近は、若い女の人は、もっとはっきり言ってもいい感じがします。

サムさん:カナダのトロントは人口の半分が移民であり、いろいろな顔やいろいろな言葉が飛び交うのが当たり前の世界でした。日本に来て、どちらを向いても同じような顔ばかりで。そちらの方が大きな驚きでした。
藤田さん:電車の中であまり話さないのは、特に若い人は、知らない人に対して「すましている」のだと思います。「すます」という言葉を知っていますか?
岩森さん:興味があったら、「あんた、どう思う?」と聞いたらいいですよ。

S・Sさん:日本の若い人は話かけてきますね。英語で。

M・Fさん:外国に旅行に行くと、何人などは関係なく、よく話しかけてきますね。日本で話しかけて答えないのは、かっこつけてるからでしょう。

M・Oさん:私は、以前は、外国人が前に座ると、必ず話しかけていました。

サムさん:若い人は、外国人が日本語で話しかけると雰囲気が変わると思います。バスの中で中学生のグループがいて、「白人」とか言っているのを聞きました。日本語で「ありがとうございます」と言ったらびっくりして、英語で話したそうでしたが。

M・Fさん:学校で外国人と会ったら、話をしようと言ったらいいと思いますが。京都の人は結構保守的ですが。

S・Sさん:話しかけやすい雰囲気もありますね。子どもや犬といると、誰でも話しかけてきます。大学生で別府に鋳たとき、日本語はまだ全く、ゼロだったのに、おばちゃんに「こんにちは」と言ったら、おばちゃんから日本語のシャワーが降ってきました。

K・Wさん:イギリスに住んでいましたが、イギリス人は、世界中の人が英語を話すと思い込んでいる雰囲気がありました。

亀田さん:大阪でも、おばちゃんは、関西弁で誰にでも話しかけますね。京都も今は結構話しかけますが。ちょっと前までは、京都市内の観光は中国人が多かったですが。いなかへ外国人が行くと喜ばれますね。

サムさん:嵐山では、全部英語で話しかけられました。亀岡は大分知られているので、ちがいますが。

S・Sさん:若いママなどは、自分の妻のヌーラに対しても気を使っているようですが、おばちゃんは、「やせたんやないの!」などと、ぱっと言い、バリアを感じないですね。

K・Iさん:話しかけられると、“What do I say to him?“(なんて言ったらいいの?)とどぎまぎしているのが顔に出ますね。

サムさん:こちらが何も言わないと、どう対応したらいいのかがわからないようですね。日本語ができない人だとどうしていいのかわからないという気持ちが顔にでます。それで、日本語で話すと、ほっとしているのがわかります。

K・Iさん:先ほど、サムさんがライプチヒ大学のMalinowskiさんに影響を受けたという話をされましたが、私の孫もドイツのライプチヒ大学に留学していたことがあり、何かのつながりを感じます。この人がなぜ、ニューギニアで研究をしたのでしょうか?

亀田さん:先ほどに続けていうと、英国の大学にいたM氏は、オーストラリアに旅行中に、第1次世界大戦が始まり、オーストリア・ハンガリー帝国国籍だったM氏は、その地域がドイツ領となり、英国はドイツに参戦し、M氏は当時英国に帰国できなかったようです。それで、ニューギニアには行けたので、研究対象にしたと書かれています。後にオーストラリア人の女性と結婚しました。

T・Oさん:GSに初めて最初から最後まで参加しています。西宮の兜山の話が出ましたが、西宮は関西でも文化都市で、質が高い町です。私はグンゼで働いていましたが、西宮に5年間住んで仕事をしていました。タイのグンゼにもいました。当地は、「日本の常識は非常識」と思われるほどのちがいがありました。6人の日本人がタイの人と共に仕事をしていましたが、ちがいが大きくコミュニケーションができないと会社の成果にもつながらないと思い、通訳の人数を3倍にしたりしました。すると、2年間で黒字に転換ができました。互いに理解できないと仕事もできないですね。

サムさん:私は、自分の先祖が日本人ではないかと思うほど日本が好きです。

児嶋:サムさんやS・Sさんを入れて、1.5時間をあっという間に越え、2時間近く、だれも話さない時間が10秒もありませんでした。サムさんには、また2021年度もどこかの月にGlobal Sessionにゲストとして来てもらうようお願いしました。