2020/12/02

2020年11月14日(土)第335回グローバル・セッション・レポート

開催後のレポート
グローバルセッションイメージ

開催日:2020年11月14日(土)10:30~12:30
場所:ガレリア3階会議室
ゲストスピーカー:村田克英さん(JT生命誌研究館 表現を通して生きものを考えるセクターチーフ)
コーディネーター:藤田宗次さん
参加者:10名

 今回のタイトル:How corona affects our daily life
(コロナ禍がいかに日常生活に影響を及ぼしているか)

藤田宗次さん(コーディネーター):この世界情勢を考えると、今日はじっくり文化について学べる機会となりそうでうれしいです。JTというのは、たばこ産業かと思っていたのですが、最近は、薬や食料品、飲み物など幅広く事業展開していますね。また、利益も産んでいますね。株価もあがり。高槻駅から10分くらいで行けますが、昔に行ったことがあります。でも、最近ではないので、大きく変化し、すばらしい仕事をされていると思います。では、それぞれに自己紹介をしていただきましょう。


自己紹介

藤田さん:私は、京都の東映に務めていて退社後、「京都映画クラブ」を立ち上げ、子ども達に映画の作り方を実践で教える会をもっています。また、亀岡の交流活動センターで始まったGlobal Session(1999年~現在も)に最初から参加し、今も参加しています。もともと英語で話すゲストとともにセッションをしながら、英語の学習もしようと始まったと思いますが、20年以上続いていますね。

H・Kさん:大津市に住んでいて、Global Sessionは何度も来ていて、今年はほとんどに参加しています。いろいろな国のゲストを呼び、日本の文化との比較をするのが楽しみです。仕事は、ツアーガイドをしていて、今年はあまり外国には行けないですが、日本に来られる人を国内に案内するのも仕事です。

M・Eさん:亀岡に住んで、漫画家をしています。絵本も出しています。

S・Oさん:デザイナーをしています。クリエーターとして、世界の人々とつながっていきたいと思っています。我々は、どこに生まれ、どこに向かって行くのかを共に考えたいと思います。(多文化共生センターのちらしのデザイナー&ひまわり教室ちらしのデザイナー)

N・Kさん:元小学校教員で、ひまわり教室の指導にも関わっています。このガレリアの推進センターの理事のひとりでもあります。JT生命誌研究館の村田さんの前回のお話から「セロ弾きのゴーシュ」の劇も拝見し、音楽にも圧倒されました。

R・SSさん:ひまわり教室の指導に関わっています。生命誌研究館の前館長の中村桂子さんのお話が中学校の教科書に載っていますし、以前美山中学校にゲストとして参加されていて、「ロマンと科学」という内容でお話を伺ったことがあります。それで、村田さんの前回のGSにも参加したかったのですが、できなくて、今回はうれしいです。

R・Eさん:娘が小3の時に、交流活動センターで開催された子ども用の「グローバルパスポート」という事業に参加して以来のお付き合いです。

E・Tさん:Global Sessionに参加して6年目です。最近仕事を変り、仕事場が京都の八幡なので、住居も実家のある京北町からくずはに変りました。今日は、そこから来ています。

村田英克さん:では、私も自己紹介からはじめます。昨年2019年にジュニアワールドフェスタの講師として呼ばれ、その後、Global Sessionにも誘われて以来のお付き合いです。生命誌研究館では、「表現を通して生きものを考える」セクターに属しています。この部署では、生命科学、生きもの研究の成果を、「生きているってどういうこと?」という誰もが抱く問いに重ねて捉え、日常の「生きもの感覚」に重ねる表現として、展示、映像、Web、季刊誌など様々な方法で発信しています。研究館は小さな組織でメンバーも全体で30名くらい。

「なんでJTがやっているの?」という質問は児嶋さんにも最初に聞かれました。

そもそも30年ほど前、「生命誌」というコンセプトを提唱し、それを実践する生命誌研究館という機関を構想したのは、分子生物学者の中村桂子名誉館長で、そのプランをJTが100%支援する形で実現し、現在はグループの社会貢献事業の一つとして活動しています。今年の4月から生命誌提唱者の中村桂子先生は名誉館長となり館長として細胞生物学者であり歌人である永田和宏先生を迎えました。

研究と表現と常に両面あるのが研究館の特徴です。1993年の研究館設立の時に、ここで何を研究し、何を発信したいのか? 研究館のVisionを表現した最初の作品が「生命誌絵巻」です。

この絵は、地球上の生きものはすべて、38億年という時間をかけた多様な表れとして、今ここに生きていることを表しています。この中で、人間も決して特別な生きものではなく、多様な生きものの一つとして、他と同じ資格で存在していることを示しています。絵に描かれた扇の縁(画面上)は現在、扇の要(画面下)は38億年前です。

「ひとのときを想う」というのがJTのキャッチフレーズです。JTグループの生命誌研究館の立場から、私はこの言葉を「生命誌絵巻」に引き寄せて、「(生きもののつながりの中の」ひとの(38億年の)ときを想う」という風に言っています。「絵巻」って時間の流れに沿って展開する表現形式です。普通の絵巻、あるいは年表は、左から右へ、または右から左へと線的に展開しますね。でも生きものが持っている時間は、進むに従い多様に展開する、つまり扇型に広がっていくのです。だから「生命誌絵巻」は扇形になります。金子みすずの「私と小鳥と鈴と」じゃないけれど「みんなちがってみんないい」のが生きものの世界なのです。生きものって本質的に「多様化する」システムなのです。

「生命誌絵巻」の要にいるのは地球上で最初に生まれた生命体、細胞です。今生きている生きものはすべてこのご先祖様から多様化した仲間だと考えられています。「生きている」基本単位は細胞です。細胞にはゲノムDNAが入っており、ここに遺伝情報が記されています。遺伝情報って言いますけれど、それは何かと言えば、生きるレシピのようなもので、その生きものがどのように生きるかに必要な固有の情報です。具体的には、長い紐状の分子であるDNAの塩基(はしごの段のような一つ一つ)の部分に4種類(A:アデニン, T:チミン, G:グアニン, C:シトシン)あり、それがどんな順番で並んでいるかが固有の情報になっているわけです。AGATAGATACAT とGATCAGTTA とでは違いますでしょ。でも驚くべきは、すべての生きもの、ヒトもキャベツも大腸菌もこの並びが違うだけ、つまりA,T,G,C という4種類のアルファベットは共通言語なわけです。基本は親から子へというように世代をつないで縦方向に遺伝情報は伝わり、それが変化することが進化にもつながりますが、長い進化の中では、ある生きものから別の生きものへ、同時代で横方向へ遺伝情報が伝わることもある。縦糸、横糸で織り上げられるように。あとで話題に出ますがウイルスは生きものではありません。細胞を基本とせず細胞よりさらに小さな存在です。ウイルスは膜や殻の中に遺伝情報をもち、他の生きものの細胞に寄生して、宿主細胞のしくみを乗っ取って、自分を増やすのです。さらに、お世話になった細胞を壊して出て行ってしまう困り者です。長い進化を振り返ると、このウイルスが生きもの間で遺伝情報の運び手になったという事実もあったようです。多くの陸上動物は、次の世代の個体を卵という形で産み落とします。「生命誌絵巻」で水色の背景の部分に描かれたように、生きものは誕生から33億年の間も海の中で、水環境を離れず生きてきました。生きものが陸上へ進出する際に獲得したしくみのひとつが、乾燥に耐える卵です。さらに私たち哺乳類は、お腹の中に海を抱え込むようにして次世代を育みます。胎盤を形成できますね。この胎盤の形成にはたらく遺伝子の一つはホ乳類の祖先がウイルス経由で獲得したと考えられています。(季刊「生命誌」81号(2014年)Research「胎盤の多様化と古代ウイルスーエンベロープタンパク質が結ぶ母と子の絆ー」宮沢孝幸(京都大学)https://www.brh.co.jp/publication/journal/081/research_1.html)。

細胞の中にあるゲノムDNAには、その生きもの固有の生きるレシピのようなものが詰まっていると申しましたが、それは、生きものごとの、38億年の代々の継承の過程で生じた紆余曲折の変遷を記してもいます。つまり歴史が記されていると言ってもよいわけです。実際に、例えば「ヒトとチンパンジーは、今からおよそ700万年前に種が分れた。」という理解は、両種のゲノムDNAを比較して、塩基の並びにどれだけ違いがあるかから推定しているわけです。

グローバルセッション開始

児嶋:このGlobal Sessionに初めての方もいらっしゃるので、約束ごとだけ言っておきますね。ひとつは、「当てない」、次は、「黙っていてもよい」最後に、「どこから会話に入ってきてもよい」この3つです。これは、1999年にこのGSを始めた時に、仙台の横瀬和治さんに指導していただいた時からの約束ごとです。どうぞ、ご自由に話してくださいね。

藤田さん:虫の中でも嫌われ者もいますね。ゴキブリは退治しますね。以前テレビでゴキブリを食べているのを見たこともありますが。

村田さん:ヒトもゴキブリも生きものは多様ですが、「好き、嫌い」など人間の価値観も多様ですね。私も、ゴキブリを見ると確かにギョッとします。本能でしょうか?すばしっこく動く小さな黒いものに反応します。ゴキブリもネズミも栄養を摂取するために、人間が不潔だとするような場をも住処にし、実際に人間にとっては有害なものを運んで来ることもあるので、私たちの日常ではあまり好ましくない存在とされますが、ゴキブリという生きもの自体は不潔ではありませんね。「私は家でゴキブリが出たら手でつまんで外に逃がす」という人もいます。

藤田さん:ゴキブリは狙われていることに気づく能力があるようです。

村田さん:そうでなければ、今、生き残っていないでしょうね。

R・Eさん:NHKで見たのですが、目の光りもウイルスに関係するのでしょうか?

村田さん:すみません。私はその番組を見ていませんし、ウイルスと、目で光を受容するしくみとの関係で今、思い当たることはないのですが、今の話題から一つ思うのは、遺伝子の働きって、皆さん目的的に解釈したいわけですが、生きものがもつ柔軟性って目的的解釈や因果に縛られていないということです。遺伝子って、ある場面ではある機能を発揮するけれど、同じ遺伝子が別の状況に置かれるとまったく異なる機能を発揮するのです。その例が目で光を受容する際に必要な透明なレンズをつくっているクリスタリンというタンパク質の遺伝子です。これは結晶化すると透明になるという特徴がたまたまあって、もともとは酵素反応するタンパク質として体の中で働いていたものが、進化のある時期、光受容という新しい機能を実現するに際して、「君、こっちで役に立ちそうね」ということでレンズにリクルートされた。生きている全体のしくみとしてうまくまわっていれば、とりあえず手元にある材料でなんとかこと足りればそれでいい。一つのものをいろいろな用途にうまいこと使い回す「ブリコラージュ」が上手なわけです。そうでなければ38億年続かない。目的的な機械とは違う。生きものって、やわらかい、ある意味で「いい加減な」システムなわけです。

E・Rさん:突然変異とかも?

村田さん:「突然変異」って言葉が変な印象を与えますよね。「突然」っていう言葉がちょっと日常感覚からすると違和感あります。遺伝情報は種によって違いますし、同じ種の中でも個体によって皆、少しずつ違います。私とあなたの遺伝情報は、大きく見ると同じヒトとして括れます。チンパンジーやゴリラ、さらに現在は絶滅してしまったネアンデルタール人など人類の別種とは、違うグループ、ホモ・サピエンスと呼ばれる共通の特徴を持つ仲間なのです。その一方で個人差があります。今の地球に77億人いるとすると、ヒトゲノムの塩基配列は77億種類あって、これはある時点だけの話ですから、過去、現在、さらに未来の可能性を考えると膨大な多様性です。これまでの話にもあったように進化の長い時間で考えれば、遺伝情報は継承されながら変化していくものです。そうでなければ生きものは多様化できません。私と私の親、私の子供の遺伝情報も違います。遺伝子の変異はいろいろなレベルで起こります。例えば、環境から影響を受けやすい表皮細胞などで、紫外線を浴びることで細胞の核の中のDNAに変異が起こることがあるようです。私たち多細胞の生きものを構成する細胞の種類は、その個体の一生の中ではたらく「体細胞」と、世代を超えて伝わる「生殖細胞」の2種類があります。体細胞である皮膚細胞で起こる遺伝子の変異はその個体の中での現象ですが、生殖細胞での変異は世代を超えて種のあり方に影響します。

藤田さん:トカゲはしっぽ切って逃げますね。

村田さん:自切ですね。外敵に襲われた時などに、尻尾を切り捨てても本体は生き延びるための戦略ですね。昆虫でも自切はあります。研究館で飼育しているナナフシがそうです。これは木の枝に擬態しており人気の生態展示ですが、ナナフシも脚を自切して身を守ります。自切した脚はまた再生します。以前、再生のしくみを探る研究で注目したのがきっかけで飼育を始めました。イモリも再生力が強いですね。例えば腕から先を失った場合に、もともとあった構造をもう一回作り直すことができる。そんなこと私たちヒトにはできません。そのように発生プログラムをもう一回やり直す秘訣がイモリの場合、全身を流れる血流の中にあるそうです。これは私たちが発行する季刊「生命誌」でとりあげた研究の一つ(季刊「生命誌」99号Research「イモリの再生と赤血球の不思議」千葉親文(筑波大学)(https://www.brh.co.jp/publication/journal/099/research/2.html)で、取材してとてもワクワクしましたが、まだまだわからないことっていっぱいあるわけです。さっきから細胞、細胞って、僕、言っていますが、細胞ひとつだって、どのようなしくみかは、まだわかっていません。人間が人工的に細胞をつくることはできないわけ、わからないからです。これは生命誌研究館の表現で大切にしていることです。「わからない」ということです。一般的に、科学には「わかること」「わかったこと」が期待されます。でも世界はわからないことに満ちていますし、だからこそ科学は面白い。それは、表現、もっと言ってしまうと芸術というものの持っている魅力と同じではないかと思います。わかったことだけでなく、わからないことをふくめて、いかに継承し得るかという実践が学問にとっても、芸術にとっても、つまり人間の文化にとっての“キモ”ではないかと思います。実際に、生きものは、細胞はそれを38億年実践しています。細胞がやっていることは「生きている」という働きを継承しつづけることです。DNAなどの形で記された情報というのは、その出来事の一部でしかありません。何が書いてあったとしても、そこに書かれたことを読み取り実践する「働き」が生きていなくては、外在化されたテキストは何の意味も持たないわけです。細胞が生き続けているからこそ、働きが継承されていくのです。人間の学問、文化という営みも同じことではないでしょうか。ゲノムDNAに誌(しる)された生きものの歴史を読み解き、生きているとはどういうことかを物語る文化としての「生命誌」という風に私は自分の仕事を考えていますが、その方法を模索する中で、ひとつの可能性を感じて、私は、能楽をやっています。

もちろん玄人でなく、素人弟子の一人として、能楽囃子方大倉流小鼓方のお稽古を続けています。この芸能を、最初に「能楽」と言ったのは、江戸から明治への移行期に、欧米のオペラに拮抗する芸術として「能楽」をプロデュースした井伊直弼ですが、もともと古来の列島の文化が収斂するようにして、中世の時代に、申楽、猿楽、散楽として形成した総合芸能です。その大成者は観阿弥、世阿弥(ぜあみ、世阿彌陀佛、正平18年/貞治2年(1363年)? – )父子。私は1963年生まれですから、世阿弥はちょうど600歳年上の大先輩です(笑)。現代まで謡曲として伝わる能の曲目は200曲以上ありますが、その主な作品はこの頃に、その時代の解釈によって、「古事記」の神話の世界、平安期の和歌の世界、源平など歴史物語、さらに時事の出来事に取材した今で言う「ドキュメンタリー」、近世の歌舞伎や文楽で「世話物」と呼ばれるような人情味溢れる時節の庶民の喜怒哀楽を表現する物語…老若男女貴賎都鄙あらゆる人びとにとっての豊かな物語を歌謡や舞いで表現する娯楽として成立し、今に伝えられているわけです。囃子方は、能舞台で、おシテ方の謡や舞を囃すのが務めです。能楽師は、シテ方、ワキ方、さらに囃子方は、笛(能管)、小鼓、大鼓、太鼓とそれぞれを専業とします。雛祭りの人形に五人囃子がありますね。能舞台では、松の描かれた鏡板の前に、あの順番で左から右へ各パートが並びます。どのパートにしても、能舞台に必要なすべてのパートが身体に入っていなければ務まりません。能楽師は、200曲以上の能の曲目に関する技芸を、生きた働きとして世代から世代へと約700年、師から弟子へ、それぞれの身体から創発する働きとして常に実現し続けているわけです。外在化された謡曲の節回しなどの謡い方や言葉書き、囃子方の譜があるにはありますが、西洋音楽が五線譜に記すような客観的な記述ではありません。外在化されたテキストから何かが生成するわけでなく、生きた能楽師から能楽師へと継承される働きが、外在化されたテキストをうまく参照しているという感じです。これは、細胞を単位とする生きものがゲノムDNA を参照するのと同じようなことなのでしょう。それでは、ここで小鼓と謡の実演させていただきます。これが楽しみでここへやって参りました(笑)。今日は「雲雀山」という曲の中之舞の前にくるサシ・クセのところです。(演奏)

藤田さん:先生とお呼びしたいですね。今後、人間の寿命は最高で120才と言われていますが、何かデータはあるのでしょうか? 現在は男性の平均寿命は84才だと思いますが。

村田さん:「人生五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」という謡が幸若舞の「敦盛」にあります。以前、やはり季刊「生命誌」の取材で、あるお医者さまの話を伺いました。人間を「ホモ・サピエンス」と呼びますが、これは「賢いヒト」という意味ですが、人間ってぜんぜん賢くないじゃんとおっしゃって『ホモ・ピクトル・ムジカーリス』という本を著し、絵を描き、歌い、踊るのが人間という生きものの特徴だとおっしゃる岩田誠先生です。岩田先生は実は神経内科のお医者様で、先生がおっしゃるにはヒトの身体の耐用年数は40年ということです。もともと四足動物だったものが、重力に逆らって立ち上がり二足歩行をしているわけですから、身体の構造に無理がくる場所が4つある。それを「神様の失敗」と先生は呼んでいます。そういうところに無理をかけてはいけないから、スポーツはやめたほうがいいと先生は主張します。オリンピックの競技も今はいろいろありますが、古代オリンピックでは、円盤投げ、走り高飛び、駆けっこなど、人類が猛獣と共存するために必要な身体技能だったということで、そういう生存に必要な身体技能以外で身体に無理をかけるスポーツはやめなさいと先生はおっしゃっています(笑)。現代は、iPS細胞研究などに象徴される再生医療に期待が集まっていますね。難病が克服され健康な人生が長く続けられるようになるのであれば、ありがたいことだと思います。健康に、元気に生きられるのであれば120才まで生きても、あるいは生かされても、よいのかもしれませんね。

R・SSさん:生命とは何かを考えさせられました。個体はなくなっても次に続けばいい。それが生命なのかなと思います。ウイルスも新しく作りつながっていくのでしょうか?「死ぬ」と言っていいのでしょうか?生命の定義の根拠とはどういうことなのかと考えています。

村田さん:答えは難しいですね。生命、生きものの定義は、さきほどお話ししたように「細胞」が基本です。その意味でウイルスは細胞の機能(自己と外を分ける膜、自己複製する、代謝する、進化する)を満たしていませんから生命体とは言えません。けれども、拡大解釈すれば、寄生する宿主細胞の力を借りてですが、ウイルスだって、結果的に自己複製し、進化(変化)しているわけです。ウイルスを生命だと認める立場の研究者もいるようです。細胞とは異なるウイルスのような存在様式が、生命の起源を考えるヒントになっているということもあります。

S・Oさん:「生命とは何か」は古代から先人達も考えてきたと思います。観阿弥・世阿弥も表現者であり、このストーリーは、次へつなぐ課題だと思います。

村田さん:「考える。共感し、語り継いでいく。」それには、その場限りのコミュニケーションでなく、ものづくり、作品として外在化される表現にするということが、とても大事だと思っています。

N・Kさん:今日のGSはとてもおもしろいと思いました。生命誌研究館が「科学のコンサートホール」であるというのもおもしろいですね。以前、「生命誌版セロ弾きのゴーシュ」を拝見しました。宮沢賢治の思いが音楽劇として描かれていて、ベートーベンの第6交響曲を思っていました。自分もピアノを弾きますが、やっとモーツァルトをやっているような状況です。でも、どれも300年前からつながっていて饒舌なおしゃべりのような雰囲気が変わらずあります。お能をやっていらっしゃるそうで、いろいろな組み合わせからできているのもわかります。

村田さん:ありがとうございます。私がお能をはじめたきっかけは、ご覧いただいた「生命誌版セロ弾きのゴーシュ」です。この作品で、中村先生と共に舞台で語りを勤めました。猫、カッコウ、タヌキ、ネズミの4役です。この時、自分の身体を通して、言葉を声にしてあらわすということが、表現の基本としてかなり腑に落ちたのです。人類は太古の昔から「生きているとはどういうことか」を探求する方法として、身体を通して、思いや言葉を、声や音楽に表していたに違いありません。その考えを継続的に検討する方法を模索し、能楽に出会い、これに取り組んでいます。

E・Tさん:アゲハチョウの話に興味がありました。YouTubeで「蚊が死んだらどうなるか」という番組を見たことがありますが、動物が衰退して消えたら、地球全体はどうなるのかと考えます。僕はきらいな動物もあります。蛙とゴキブリはきらいですが、これらの動物が消えたらどうなるといえるのだろうかと考えていました。

村田さん:生態系の研究でも、数理的なシミュレーションが最近よく行われます。天気予報と同じです。種間関係のバランスの中で、ある種が消えたらどうなるかというシミュレーションは可能です。でもそこから出てくる答えは絶対ではありません。シミュレーションの結果はパラメータひとつで大きく変わります。誰もそこに絶対的な値を与えることはできません。あくまで可能性を予測する方法です。人間も絶滅するかもしれませんし、ある種が絶滅しても、また新しい種が生まれるかもしれません。歴史はそのくり返しでした。

藤田さん:小さなコバチがイチジクの中で生活し、いずれ出て行くという話が面白かったです。

村田さん:「生命誌かるた」の話ですね。「イチジクは コバチと共に 生きている」。研究館で行なっている研究を読者の方が詠んでくださった句です。この「みんなでつくる『生命誌かるた』」は現在も募集中です(https://www.brh.co.jp/news/detail/597)。

いろはにほへとちりぬるを…47音ではじまる生命誌を詠んだかるたの札の言葉を募集中です。皆さんと一緒にかるたをつくる企画ですから、G.S.の皆さんも是非ご応募ください。選者は、永田和宏館長と、中村桂子名誉館長です。そして、高槻は亀岡の隣ですから、どうぞ皆さんで生命誌研究館へご来館ください。今日のお話の続きをご案内します。ではまたどうぞ、よろしくお願いします。