2021/08/19

2021年7月25日(土)第342回グローバル・セッション・レポート

開催後のレポート
グローバルセッションイメージ

開催日:2021年7月25日(土)10:30~12:45
場所:ガレリア3階 会議室&オンライン
ゲストスピーカー:濱田雅子さん(元武庫川女子大学教授、アメリカ服飾社会史研究会 会長)
コーディネーター:児嶋きよみ
参加者:12名(うちオンラインでの参加4名)
共催:亀岡国際交流協会

 今回のタイトル:「20世紀アメリカの女性デザイナーの知られざる真実― ティナ・リーサの作品に見るフェアトレードと持続可能性―」

時間が来ると、オンラインで濱田雅子さんが話を始められました。今回は「濱田雅子の服飾講座」の20回目のGlobal Sessionです。今回は、濱田さん以外にもオンラインでの参加者が3名いらっしゃいます。さあ、どのようなセッションになっていくでしょうか?

自己紹介

R・Yさん:せせらぎ出版社長(濱田さんの研究書『アメリカ植民地時代の服飾』『アメリカ史にみる職業着』などの発行をになう:(濱田さんより)

K・Yさん:大学でフランス語を教えています。濱田さんのファンで、ほとんどの研究書を読んでいます。

K・Iさん:大学でメディアコミュニケーションを教えています。

M・Fさん:グループを作り、子どもたちに映画の製作などを教えています。(京都や滋賀で) 亀岡市在住

E・Tさん:今日、33才になりました。京北町在住

M・Tさん:カリフォルニア大学で人類学を教えていました。今年からは、拠点を京都に移しています。

K・Kさん:宇治市在住・小学校で非常勤講師をしています。毎回、ここに参加すると、学ぶことが多いです。今日も楽しく勉強していきたいと思っています。

K・Kさん:南大阪の泉大津市から来ました。80才になります。(造園デザイナーで工房カワサキを主宰:なんばウオークの「くじらパーク」の制作者)

E・Lさん:インドネシア出身でインドネシア語講師(関西のさまざまな大学で) 京都市在住

Kさん:亀岡国際交流協会 職員

児嶋きよみ:1999年にGlobal Sessionを、亀岡市交流活動センター(亀岡市宮前町)で開始し、2011年より、児嶋の主宰となり、毎月一回のペースで継続し、今回は342回目になります。知らない間に20年以上になっています。濱田講座はGSの中で20回目になります。

今回の講座について濱田さんより説明

濱田さん:1時間20分ほどの内容で録画をしてあります。この中には、著作権の問題などもあり、本の中では説明できなかった写真なども入っています。この中では、職人とのフェアトレードの取り組み方や持続可能性についても触れています。

概要について

★ティナ・リーサは、1950 年代に芸術家として育ったアメリカのファッション・デザイナ ーです。世界中を旅行しており、フェアトレード、持続可能性、デザインと生産における グローバルな展望を優先しました。

★ティナ・リーサは、アメリカでも知られていないということです。

★本講演では、ティナ・リーサの生い立ち、ファッション・デザイナーとしてのハワイ、 ニューヨーク、インド他を舞台とした活躍ぶりをアメリカの服飾研究者の近年の研究に基 づいて、紹介させていただき、こんな凄い活躍をしたファッション・デザイナーが、なぜ、 知られていないのだろう? その真実に迫ります。

★第41回研究会で話題になったフェアトレードと持続可能性の問題をティナ・リーサの活躍ぶりと作品の数々を通して考察し、皆さんとともに考えてみる機会になればと思います。

全体構成

1. 濱田雅子著『20世紀アメリカの女性デザイナーの知られざる真実—アメリカ服飾社会史 続編ー』の内容紹介

2. ティナ・リーサの生い立ち

3. ハワイ・ニューヨーク、インド他での活躍

4. 世界旅行で培ったグローバル・ビジョン

5. ティナ・リーサのファッション哲学―ウィリアム・モリスの影響

6. ティナ・リーサの作品に見るフェアトレードと持続可能性

7. Tina Leser’s Sustainable Fashion 映像・解説(3~6 でも作品紹介)

8. まとめ

参考文献 濱田雅子著『『20 世紀アメリカの女性デザイナーの知られざる真実ーアメリカ服飾社会史 続編』(POD 出版) 電子書籍 アマゾン kindle 版 ペーパーバック(Next Publishing Authors Press, 2021年4月7日発行

テーマ『20世紀アメリカの女性デザイナーの知られざる真実 ―ティナ・リーサの作品に見るフェアトレードと持続可能性―』

ティナ・リーサのあゆみ

1910 年12月12日 クリスティン・バフィントン(Christine Buffington)は、フィラデルフィアアリー・エディス・コックス(Mary Edith Cox, 1886.3.12-1954.1.7)とチャールズ・バフィントン(Charles Buffington)のもとに生まれた。母親の裕福な従兄弟であるジョージーヌ・ウェザリル・シラード・スミス(Georgine Wetherill Shillard₋Smith, 1873.3.2-1955.10.12)と彼女の夫チャールズ・シラード・スミス(Charles Shillard-Smith, 1864.9.10-1946.11.25)によって養子として迎えられた。ロサンゼルスのウエストレイク・スクール・フォー・ガールズ(Westlake School for Girls)、 ラホーヤのビショップ・スクール(Bishop’s School)、アグネス・アーウィン・スクール (The Agnes Irwin School)、ザ・シップリー・スクール(The Shipley School)、フィラ デルフィアのカーティス音楽研究所(The Curtis Institute of Music)、そしてパリのソ ルボンヌ(the Sorbonne)で教育を受けた。

1931 年 カーティン・リーサ(Cartin Leser)と結婚。

1935 年 ロイヤル・ハワイアン・ホテルの向かいのホノルル専門店をオープン。彼女の ブティックは、私たちと同じようにハイエンドの既製服を扱っていた。

1936-1938 年 カーティン・リーサと離婚。

1940 年 リーサは本土に事業を拡大する。ボンウィット・テーラー(Bonwit Teller)とサ ックス・フィフス・アベニュー(Saks Fifth Avenue)は、彼女のデザインを販売した最初の小売業者であった。 リーサは 1943 年まで自分のブランドで設計、製造していた。

1943-1953 年 アメリカの第二次世界大戦への参入とともにニューヨークに移住。メーカー Edwin H. Foreman Sportswear Company と提携し、Tina Leser というレーベルの下でエドウィン・フォアマン(Edwin H. Foreman, 1915-1992)のためにデザインした。

1944 年 「ベアブラウン・ルック」(Bare Brown Look)

1945 年 コティー・アメリカン・ファッション批評家賞(Coty, Inc.American Fashion Critics Award)および、ニーマン・マーカス賞(Neiman Marcus Award)を受賞。 ロング・アイランドのサンズ・ポイントにあるリーサの夏の家として使用される納屋の改修が完了する。水着メーカー、ガーバー(Gabar)とライセンス提携。「オリンパスの影」ギリシアコレクション。

1946 年 パーク・アベニューのブロードウェイ・ステージ制作用の衣装をデザインし、アンパリッシュの小説「すべてひざまずく」の映画化のための衣装をデザインするために 一時的にハリウッドに移転した。

1947 年 ニューヨーク・ドレス・インスティテュートからプリンセス・エリザベスに送られたトルソーの一部として選ばれたリーサのデザイン。ニューヨーク・ドレス・インスティテュートのクチュール・グループが最初に招待したメンバーになる。 チェイニーのメンズネクタイをデザイン。 リーサの作品は、メトロポリタン美術館のコスチューム・インスティテュートに、フランスの中世のタペストリーを基にしたファッション展の一環として登場した。「ゴディーズ・レディーズ・ブック」コレクション

1948 年 「カリプソ」コレクション。11月 ジェームズ・ハウリー(James Howley,1920ー2012)と結婚し、ハワイ、日本、 中国、トルコ、インド、タイ、ヨーロッパを訪問するグローバル・ハネムーン・ツアーに参加した。

1949 年 日本のファッション・デザイナーを対象とした年次コンテストを開催。モリニューはロンドンとパリの彼のブティックでリーサのデザインを販売した。メーカー・シグネットのメンズネクタイ・ラインをデザイン。「世界一周」コレクション。

1950 年代初期 養母のジョージアを助け、フロリダ州クリアウォーターにベルエア・アー トセンターを設立。

1950 年 「スペイン風」コレクション。

資料 濱田雅子著 『20世紀アメリカの女性デザイナーの知られざる真実―アメリカ服飾社 会史 続編―』(Next Publishing Authors Press、2021年4月7日) pp.71-76

グローバルセッション開始

E・Lさん:アメリカのデザイナーに興味を持ちました。実際のデザインの元はあまり知らなかったので写真にあるデザインを見て驚きました。インドネシアでは小さい頃、母が作った服を着ていました。1970年代のインドネシアにもアメリカのデザインの影響はあったのかもしれません。写真の25, 42, 51に興味があります。日本でもファッション画のルックスはアメリカンだったのでしょうか。戦争前に禁止の条項が多いのを尻目にシースルーなどをアイディアにしたのはおもしろいですね。

M・Tさん:いろいろ学びました。大きな疑問としては、なぜ、彼女が知られていないのかというのがあります。1950年代からフェアトレードを実行してきたわけで、今でこそ、ユニクロなどが問題視されていますが、ティナ・リーサは最初に言い出したデザイナーなので、もっと知られてもいいのにと思います。次にファッションのデザインですが、ヨーロッパから着た服のデザインでは、普通の人は着られなかったと思います。50年間アメリカにいましたが、服については何でもいいから着るというような生活をしていました。でもこのティナさんの服は着られそうと思います。でも、このような事があまり知られていない原因と言えるのでしょうか?

M・Fさん:質問ですが、デザイナーさんの写真の著作権は、どうだったのでしょうか?

濱田:デザインには、制作の面では著作権があります。それで、今回も写真掲載の許可が得られませんでしたので、私の本には、ティナ・リーサさんの作品の写真は、パブリック・ドメインの写真以外は掲載していません。この問題には私も、本当に苦しみました。裁判になる怖さもあります。出版社のせせらぎ出版の山崎さんにも相談しました。著作権は、著者が亡くなってから、70年間あります。

M・Fさん :苦労されたのがよくわかりました。

濱田さん:映像化することがデザインの著作権問題としてクリアされれば、アメリカだけでなく、他の国にも紹介できるのですが。

K・Kさん:私の仕事は石工なので、ファッションの世界には疎いのですが、素材をアートに変えていくという点では同じかなと思い、見ながら、自分の来た道を振り返っていました。私の場合は、石材やセメントが重要な素材です。イサム・ノグチは石材を使って世界的なアートを制作されました。かつては遊牧民と自称し、『ぼくの生まれた時代』(1941年)を出版し、生きた時代を重ね合わされていますね。

濱田さん:K・Kさんも泉大津市に住みながら、石材を使っておられるわけですが、職人を大切にされていたと思います。これに対して、ユニクロなどの生産国での低賃金が今は問題になってきました。(新疆ウイグル自治区などで)

K・Kさん:楽しかったです。来てよかった。ティナ・リーサさんは、経歴を聞くと、世界をいろいろ回っていらっしゃいますね。それぞれの地域で交流があり、人生を楽しんでいたという印象があります。戦争末期の制限の中で、シースルーの衣服を取り入れたり、共感できます。でも、アメリカで取り上げられずにいたということは、先を走り過ぎたのかと残念です。アメリカ人は、実質的な物の価値を取り上げるはずなのに、受け入れられなかったのは、周りの理解が無かったためかなどとも思いました。持続可能な点については、人類の滅亡の危機があるのは、産業の中の廃液の処理なども含まれます。表に出ている商品だけでなく、それの後ろ側やまわり、先なども考えていかなければと思います。そうでなければサスティナブルな産業はなくなると思います。何が大切なのかをみんなで考えていくことが大切と考えます。

濱田さん:以前はアメリカン・ルックについて書かれた服飾社会史はありませんでした。『アメリカ服飾社会史』(東京堂出版、2009年)を出版した時には、シリーズで書くという気はなかったのですが、POD出版の時代になり、出版しやすくなり、出版いたしました。アメリカのスタイルについては、Eniさんも質問されていましたが、その誕生と発展について、2019年と2020年に、ペーパーバックと電子書籍を出版していますので、また、読んでください。『パリ・モードからアメリカン・ルックへ―アメリカ服飾社会史近現代篇―』(株式会社R&D POD出版サービス, 2019年)、『アメリカ服飾社会史の未来像―アメリカ服飾社会史の視点から―』(株式会社R&D POD出版サービス, 2020年)の2冊です。

K・Yさん:今日はありがとうございました。苦労された著作権に対してもアーカイブでの資料があり、説得力がありますね。サスティナブルの視点では、パタゴニアについての事項を思い起こしていました。ティナ・リーサさんはその時代の先取りを実践しましたね。そこでは、かわいらしいとか、はなやかというコンセプトだけを表にだそうとしていたわけではないですね。モリスの案を実践に持って行ったことは、とても良いと思います。アメリカのファッションは、フランスに比べると目立たないですね。

濱田:今度の本を最初に読んで下さったのは、吉川さんです。本を読まれたのと、今日のビジュアルな講座を見て、いかがでしたか?

吉川:本も説得力があり、いろいろなことを考えることができました。でも、映像は華やかさがありますね。ティナ・リーサさんに華を感じました。映像では材料にオーガンジーを使用したり、細部にかわいらしさも出ていました。質問ですが、今回のビデオで流されているBGMは、内容と関係があるのでしょうか?

濱田:全く関係がありません。自分の好きなパターンをマイクロソフトから取りました。吉川さんは、「本は本でいい」と言われましたが、著作権に関わる映像では、文字、情報がカバーできるのですが、著作権が著者死後、70年間、保護されるというのは、現代史を扱う著作者にはかなり苦しいと思います。

K・Iさん:服飾の研究が専門ではないのですが、感想としては、ファッション界の評価としては、オリジナリティが評価の対象となるはずです。ティナ・リーサさんは、ヨーロッパに触発されて自由に作り上げたと思います。私たちは見たことのない物が好きで、固定観念のある社会としては、「オリジナリティはない」とされたのも知られていない理由のひとつなのではないでしょうか?

濱田さん:濱田としては、ティナ・リーサさん他のアメリカの女性デザイナーが認知されなかった理由について、5つの見解を提出していますが、まず、パリモードとしては、ディオールの映画を見て「パリモードはすごい」と思いました。オリジナリティはもちろんすばらしいのですが、モリスもいうように、農家の中から生まれたデザインもすばらしいと思います。ファッション社会の中では、パリはすばらしいという固定観念があります。アメリカは実用性を重んじる社会ですが、評価は低いですね。

K・Iさん :ギルド制もありましたね。

濱田さん:川崎さんの作品の本もせせらぎ出版さんから電子書籍という方法もありますね。

R・Yさん:(せせらぎ出版):詳しくこちらのことを話してもらってありがとうございます。濱田さんの『アメリカ植民地時代の服飾』と『アメリカ史に見る職業着』も出版してきました。

濱田さん:阪神大震災の時に私の研究資料が無くなるのではないかと心配でした。指導教員の先生に「資料が健在なうちに本を出版したい」むね相談しました。その結果、せせらぎ出版さんを父の知人から紹介してもらって、修士論文を『アメリカ植民地時代の服飾』というタイトルで出版していただきました。その後、職業着の翻訳書も出しました。

R・Yさん :ウイリアム・モリスの翻訳書をせせらぎ出版で作りましたね。出版すると大きな資金が必要という敷居を下げました。

  • POD(プリント オブ デマンド)で出版できる。
  • 出版部数も選べる。(ウイリアム・モリスの本も初版は400部作成し、100部ずつ印刷を重ねる。2ヶ月に一度このように出版し、800部売却しました。
  • 紙の本を少量ずつ印刷しているので、費用は安い。

従来は3000部以上というのが普通で出版のハードルは高い。

  • サスティナブルという面でも売れる数を印刷するので、廃棄は無い。

従来の印刷方法から脱却する。

濱田さん:せせらぎ出版さんの方法は先見の明があると思います。本の出版が夢だった人々にも実際にできるようになりました。せせらぎ出版は、インターネットで見られます。

E・Tさん:ファッションは好きです。今日は歴史を楽しく学びました。今は訳あって職探し中です。だれかの役にたっているという仕事がしたいと思っています。

児嶋:夏のおわりになると、ファストファッションの店では、びっくりするような値段で売りさばこうとしています。1000円以下でもいっぱいあります。質も悪くないのに。これはいいと買い求める人も多いと思いますが、そのたびに、最近は、産出国で、どれだけ安い賃金で造らされているのかと思ってしまいます。

濱田:今日の講座で服飾に関して20回目になります。パワーポイントで20回分の映像が残っています。ナレーションを聴き直してみると気恥ずかしいです。このたびは、本当に皆さんのご感想やご意見に励まされました。ありがとうございます。みなさま、コロナと猛暑に気をつけて、お過ごし下さいますように。

感想集

K・Yさん

「今回は初めて会に参加させていただき、ありがとうございました。このような会を運営しておられる児嶋さんはじめ関係者にお礼を申し上げます。

さて濱田雅子氏の最新の著作は6人のアメリカの女性デザイナーを紹介しながら、なぜその活躍にもかかわらず、今日、彼女たちの認知度が低いのかを解き明かす内容です。最新の研究をふまえ、大変明快に論じられています。

彼女たちの認知度の低さは、第二次世界大戦後のパリ・モードの動静が大きく関わっていますが、理由は複合的で、彼女たちの業績等のアーカイブの未整理も影響しています。

著者が導き出した結論は、パリとアメリカを視野に収めたダイナミックなものであり、研究者のみならず多くの読者に資するものだと思います。

濱田氏のご発表はパワーポイントを使ったわかりやすいものでした。画面は整理がきいていると同時にレイアウトが工夫されていて、楽しく見ることができました。サスティナブル・ファッションなど最近のSDGsの動きを視野に収めた刺激的な内容で、たいへん勉強になりました。ティナ・リーサがこのようなファッション界の動きを早くから感知していたことにあらためて驚かされました。

普段、ヨーロッパに目を向けがちな私にとって、20世紀アメリカの服飾事情は、比較の視点からしてもおおいに注目されるところです。」

K・Kさん

 本来私は繊維の世界についてほとんど専門的知識は持ち合わせておりません。初めて講座を受けた時でした。その時講座を聞いていた時突然思い出した事をお話しさせて頂きました。

それは、白人がアメリカに入植した頃の大統領がだれだったのか?40年位まえに読んだ本が思い出せなかった。今も変わらずその事が頭から離れません。

 繊維について興味と関心を持ったきっかけは白人社会がインデアンを山奥に追い出した時インデアンの酋長が当時の大統領に1通の手紙を送った。その中身はこうでした。

「大統領様、貴方たちは一方的にインデアンを追い出して白人優先社会を作ろうとしている。私達が着ている繊維は縦糸と横糸を絡ませて繊維は出来上がっている。私達を山奥に追いやる事は、縦糸か横糸を一本抜けば繊維は必ず綻びてくる。

 私達先住民族を追い出して白人だけの社会を作るならアメリカ社会は必ず滅びらだろう。

 この手紙を大統領に送ったインデアン酋長の先見性と勇敢さが今日のアメリカ社会を作ったと言っても過言ではない事を思うと、どの大統領に手紙を送ったのか興味があります。今でも本の名前も記憶無く、思い出す度にネットで調べてもわからない。アメリカ社会のファッションを聴く瞬間思い出されます。

 濱田先生の話といささか外れますが、私は繊維やファッション界は素人もはなはだしい。皆さんの意見を聞きながらゆっくりのんびり勉強しています。」

(濱田さんから、K・Kさんへ)

「インディアンの手紙」

K・Kさんの探されているのは次の手紙ではありませんか?次のサイトで見つけました。https://note.com/mannaonnote/n/n988e4d2a40ae

E・Tさん

私はファッションは好きなのですが、その歴史はほとんど知らないのが現状です。講座を聞いていて疑問に思ったのは、ティナ・リーサさんの名前があまり知られていないことです。世界中を回り、ファッション業界に大きく貢献された方の一人のはずなのに、どうしてかなと思いました。おそらく、リーサさん自身、名声より人々のファッションの未來の方を気にされたと推測しますが、、、、

 あと、興味のある写真は、図22,19,24,26,32,35,37,51です。

本日はありがとうございました。