2022/11/10
2022年10月30日(日)第356回グローバル・セッション・レポート
開催日:2022年10月30日(土)10:30~12:30
場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:オジュグ・タデウシュ・アダムさん(ポーランド出身・大学講師・大津市))
コーディネーター:亀田博さん(ツアーガイド・大津市)
参加者:12名
今回のタイトル:「スラブ諸民族の世界。現在を理解するために」
参加者自己紹介
亀田博さん(コーディネーター):自己紹介をどうぞ
S・Oさん:(英語で)多文化共生センターともいっしょに仕事をしています。バックグラウンドが多様な人たちと仕事をしています。ロシアとウクライナとの戦争が起こって入る中で、また、いろいろな世界にまたがる課題がある中で、普通の生活をどうやっていくかという課題があります。今日は、ヨーロッパの上の国々に近いポーランド出身のオジュグさんに話を聞きたいと参加しました。
W・Sさん:2010年に日本に来て元学園大の卒業生です。外国人のためのキャリアカウンセラーの仕事をしていますが、ひまわり教室(外国につながる子どもや保護者の学習支援教室)の指導もしています。今後ウクライナから移住して来る人たちの支援もしたいと考えています。
M・Fさん:オジュグさんとは、お久しぶりです。私は、このGSは始めから参加しています。(1999年開始)いつもこのGSでは、新しい事に取り組み、それに魅力を感じてきています。今日は、ウクライナの人々が最初に移住したポーランドのお話を聞きたいと参加しました。
Y・Iさん:亀岡に生を受けて65年。井の中の蛙ですが、今日はお話を聞きたいと参加しました。(みんなのネットワークのメンバー)
Z・Yさん:中国出身で、日本に住んで17年になります。日本語教師として、フィリピンで1年間過ごしたこともあります。このGS」は、2021年の9月から参加しています。オジュグさんの昨年12月の「ポーランドのクリスマス」にも参加しました。今日もいろいろ話を聞きたいと思っています。
M・Kさん:みんなのネットワークのメンバーです。児嶋さんとは、30年以上の付き合いです。今年は、仕事も少なくなり、土日の時間があり、参加しました。テレビや新聞では毎日報道されていますが、知らない世界について勉強できればと参加しました。
E・Tさん:GSに参加し始めて8年目になります。ウクライナやポーランドに関しては中学校や高校で習ったぐらいの知識しかないので、新しい発見をしたいと参加しました。児嶋さんの生涯学習共生賞の受賞おめでとうございます。
R・Sさん:昨年のオジュグさんの「ポーランドのクリスマス」にお会いして2回目です。ひまわり教室で学習支援をしています。ポーランドに関しては、中学生の時に、『祖国へのマズルカ』という本の感想文で賞をもらい、親近感がありました。内容は、苦難の歴史の中で自らの文化を守り続けたというものです。今日も楽しみにしています。
Y・Hさん:昨年の「ポーランドのクリスマス」に私も参加しました。はじめて外国へ行った旅はハンガリーでした。ウラル・アルタイ民族の国であったと思います。こんどは、ショパンの母国でフランスへ逃れた歴史のあるスラブ文化の国について学びたいと思います。攻める方も、攻められる方も、人々の暮らしは大変ですね。
児嶋きよみ:オジュグさんが、日本語でお話をされているのを聞きながら、母語ではないのにうまいなあと思っていました。同時に、何カ国語が話せるのだろうかと考えていました。
亀田博さん(C):オジュグさんと同じく、大津市に住んでいます。オジュグさんは、湖西の方の坂本区(オジュグさんは、坂本に15、6年在住)で私は、湖東です。オジュグさんは、同志社大学や産大で教えておられます。私は、ツアーガイドですが、ここ数年間は大変でした。今は出国できますが、円安で、出かけるためには、飛行機代が高いです。外国から日本に来る人はいいですが。でも、今、日本からヨーロッパに行くと、倍かかります。中国とは今は鎖国状態で、行くとしたら100万円くらいするようです。11月からは、台湾や、ベトナムへは行けて安いようですが。でもアメリカなどでも物価が高く、カップヌードルなど日本では150円ほどですが、アメリカでは700円だそうです。それに比べると日本はまだ、物価は安いでしょう。10月11日から日本入国の制限がなくなりましたが、中国から来なくては関西エリアは営業になりませんね。今は沖縄や北海道行きがおすすめですね。
オジュグさん:自己紹介からということですが、どうしましょうか?ポーランドに生まれ、人生の半分以上を日本で過ごしています。でも、日本人にはなれないし、もうポーランド人でもないのです。ちょっと微妙ですね。好みとしては、楽しい話が好きです。でも今日は、ちょっと難しい話になりそうで。
グローバルセッションスタート
オジュグさん:世界のいろいろな出来事が続いていますが、そのたびに無力感に襲われますが、それに負けないで、「なぜ、起こるのか?」「何ができるのか?」を問い続けて行きたいと思います。
歴史については、客観的な議論はできそうにないので、ポーランドから見た歴史、スラブ民族の歴史を見て行き、現状を知り、理解してほしいと思っています。
「ロシアのウクライナ侵攻」についての話は一個人の見解として聞いていただければと。「この世の中は、どうなっているのか」「なぜ、21世紀にこのような事がおこるのか?」と一緒に考えてみましょう。
突然にロシア侵攻が始まり、ウクライナ人もびっくりして逃げ始めました。第2次世界大戦以降このような事が起こるとは誰も思っていませんでした。もちろん、ヨーロッパ以外からの移民はたくさん来ていましたし、ヨーロッパとして受け入れていたと思います。
ウクライナに対しては、身内の感覚ですが、実際には、ウクライナとポーランドは歴史的には常に友好関係であったとは限りませんでしたが、民族的にはポーランドに近いはずなのに。
私は、以前は、ウクライナ語にあまり興味はなかったのですが、最近ニュースなどを見ますと、とてもポーランド語に近いです。キリル文字は、遠い感じですが、ことば自体は近いです。地域紛争もあり、ソ連の一部となっていた時期もあり、特に親しい関係でもなかったとは言え、今回、ウクライナ人がまず、ポーランドへ逃げ込みました。現政権は、自国ファーストで、どうなるかと思っていたら、今回は、快く、ウクライナ人の入国を認めました。
ところが、ポーランドの国境は、EUの国境でもあり、実はロシア侵攻が始まる前この国境を越えるのは大変でした。今回は、さまざまな手続きを簡略化して、しばらくいられるように許可を出す対応をしました。安全な場所に逃げられるようにと。
1ヶ月の間に、250万人から300万人が入国しました。モルドバ、スロバキアなど他の国へも、またポーランドを経由して西ヨーロッパ諸国へ行く人もいました。ポーランドの人口は、3700万人から、3800万人です。1ヶ月の間に、総人口の約10%が入国したことになり、不思議な現象が起こったわけです。
最初は、受け入れを良くは思っていなかったポーランド人もいましたが、実際にはウクライナ人を受け入れ、ポーランド全国に、支援センターができるシステムを作りました。
ただ、長くなって来ると「助けたい」と思っても様々な問題が出てきます。「お金がない。」「暇がない。」というように。最初は、一ヶ月くらいで解決し、帰国できるだろうと多くの難民が思っていたようですが、それが叶わなかった。
ウクライナからの移民は、お母さんと子どもがほとんどで、男は残って戦うことになっていますね。普通の暮らしがしたくても家族がばらばらで、元の生活に戻れる可能性はあるのだろうかと言う不安が出てくるはずですね。少し落ち着いたら、精神的ケアも必要なはずです。
また、逃げた人たちも、「いつまでも人の情けを受けるだけでいいのかと仕事をしたいでしょうが、言葉も分からないとなかなか難しいです。
長期化してくると、支援をしてきた人たちの気持ちも落ちてくるはずで、物資の不足もあり、ボランティアもへるでしょう。普通の人たちの気持ちも限界が見えてきます。
一日でも早く、戦争が終わってほしいというのが選択肢として上がって来ないのかと思います。
なぜ、この戦争が起こったのか?その理由を考えると、一つは歴史に対するあやまった解釈から起こったのではないかと思います。また、この戦争の余韻が強ければ、将来もどこかで起こると考えます。
どうしてこのようなことが起こったと思いますか?
Z・Yさん:本当のところ、わかりません。このような事が起こっても、そう簡単に逃げられるものでもないと思いますし。自分のアイデンティという基盤がありますし。
Y・Iさん:ロシアがなぜ、ウクライナに手を出したのか?また、さらに侵攻していくのはなぜか?プーチンでなくても、そうしたのかと考えるとわからないことが多いです。
オジュグさん:かつての自国の土地を取り戻したいと思うのはなぜか?
Y・Iさん:このこともあり、台湾も心配になって来ていると思います。日本が手助けをしてインフラ整備をしても、中国が取り上げるだろうかと。
オジュグさん:何かをしたり、貢献したという事実があると、権利が発生すると簡単に思ってしまいます。
ここでまず、みなさんに司馬遼太郎さんの歴史に対する考え方を知っていただきたいです。みなさんは、本などで、「日本の歴史」とか、「中国の歴史」などを読むと、なるほどそれが、事実だったのかと思うでしょう。
S・Oさん:歴史は、勝った者が書いたはずで、うそが塗り替えられることもあると思います。時代によってちがう取り方をしていると思います。
オジュグさん:司馬遼太郎は、歴史とは、なんとなくあるという錯覚をし、史実というと、実在していると思ってしまう。でも、語られて初めて存在すると言えると言っています。
履歴書に書くような、どこそこの小学校卒業~大学卒業と言う紙を見ても実際はその人のことを何もわかりません。その人に語ってもらわなければ、その人の歴史はわかりません。
インドのネール首相は、獄中で娘さんのために、世界史を書いたそうですが、『ネールの世界史』(ネールが語った歴史)として存在しています。
このように、「語られて初めて歴史はある」のです。納得しますか?
R・Sさん:納得します。歴史と言っても時の人が正当化すたり、後に矛盾することがありまね。
オジュグさん:司馬遼太郎はもうひとつの例を言っています。
「知っている人を見かけて、きびしい顔をしていたので、失恋したのかなと思ったが、実際には、悪い物を食べてトイレを探していたということだった。」 語られた事と事実はちがう場合もあると。
「ウクライナの歴史」とか、「ロシアの歴史」という本は沢山あるでしょう。でも、まずその国の現代像を伝えるウクライナファンブック』などを露図書館で借りて読んで見てください。歴史の本を読むときには、司馬さんの話を頭におきながら、読んでみてください。
ヨーロッパの歴史は学校で学びましたか?
Y・Iさん:芸術に関する歴史でしか学んだ覚えがないです。
オジュグさん:実は、今のヨーロッパは、若い国ばかりです。日本と比べれば。
BC300年ころは、中欧や東ヨーロッパには人は住んでいたでしょうが、国家はなかったです。
BC150年ころには、ギリシャやローマ帝国が動き出します。スラブの国はまだ、よくわからない状況でした。
AD560年ころになると、ビザンツ帝国ができ、スラブ民族が歴史に登場します。
AD700年ころになると、ブルガリア・セルビアなどのスラブ国家も出てきます。ハンガリーは、ちょっとちがいますが。
AD853年ころになると、フランク帝国ができ、ドイツの元が出てきます。ハンガリー以外の中欧や東ヨーロッパでのスラブ民族の特徴が出てきました。
AD885年には、スラブ民族の国家としてのキエフができました。ロシアはまだ国としてはできていません。スラブ系としては、モルビアや、セルビアやブルガリアが成長してきました。
AD966年には、ポーランドが出てきます。ボヘミアも。
AD977年10世紀以降になるとスラブ諸民族同士の戦いも激しくなっていきます。
AD1023年には、ポーランドが土地の拡大を始め、スラブ民族としては、仲良くくらしていた時代が長く続きませんでした。
AD1073年になるとキエフ大公国の衰退が始まります。
AD1249年になると、モンゴル帝国のヨーロッパ攻めが始まり、キエフ大公国が力を失い、国家として消えていきます。
AD1300年には、ウクライナもロシアもなく、リトアニア(大国家)が力を増していきます。この時ポーランド王朝は終焉を迎え、リトアニアとポーランドを合せたヨーロッパ最大の国家ができ、リトアニア王が統治しました。(今のウクライナの半分も)
AD1476年になると、Muscovy(モスクワ)公国が強くなっていきます。
15世紀にはオットマン帝国(オスマン帝国)ビザンツ帝国を滅ぼします。
AD1552年には、ビザンツ帝国の跡継ぎとして、ロシアが出てきました。
AD1569年 ポーランド=リトアニア共和国となり、議会制民主主義をとる欧州の広大な国として君臨しました。その後は、対外戦争の時代になっていきます。
18世紀後半には、ポーランド=リトアニア共和国の国土が分割されました。(第1次ポーランド分割)
AD1793年 ポーランド・ロシア戦争 第2次ポーラン分割
AD1795年 第3次ポーランド分割 ポーランド国家は消滅し、広大な領地はロシア帝国に組み込まれました。
ロシアへの独立運動の時代が続きます。
AD1918年 第1次世界大戦が終結すると、ベルサイユ条約の民族自決の原則により、共和制のポーランド国家が再生しました。
AD1945年 第2次世界大戦終了後、ポーランドはソ連の占領下におかれ、ポーランド人民共和国と定められました。(1989年までの44年間は社会主義体制時代)
AD1989年9月7日から第3共和制となり、ワレサ大統領が誕生した。
AD1993年 ロシア軍がポーランドから全面撤退した。
AD1999年 ポーランドがNATOに加盟
AD2004年 EU(欧州連合)に加盟
AD2015年 EUと対立続く
AD2022年 ロシアへのウクライナ侵攻が始まる。
オジュグさん:これまで歴史を見てきていかがでしたか?
ポーランドは分割され、国のない時代もありました。その他にも国を失った民族はたくさんありました。「これから、どうしていくか」「協力しながら、自分たちの道を歩む」方法しかないのではないかと思います。またどの民族にも自分のことを決める権利、自分の独自性を保つ権利があると思います。それによって多様性のある異文化はおもしろさが生まれると思いますね。
インドのモディ首相は、最近このようなことを言いました。「今は、戦争をする時代ではない」と。ウクライナに対しても「麦を買う」のであって「奪う」理由は成り立たないと思います。私は、明言だと思います。見てきましたように、スラブの歴史は複雑です。
ただし、「大変な時代は助け合う・助け合いたい」
このように、「将来に向けて協力しながら、築き上げて行く」必要があるのではないでしょうか?
Z・Yさん:勉強になりました。ロシアだけでなく、戦争はもうやめてほしいです。
オジュグさん:ウクライナへの武器の支援をやめたら、戦争はなくなるだろうと言う人もいますが、そうでしょうか?争いを無くすために殺された方がいいという議論は成り立たないと思います。
S・Oさん:ウクライナからの人々が入ってきた時のポーランドの人はすごかったと思います。政治が動くより先に支援団の人は動きましたね。
M・Fさん:経済的に豊かでない状体で受け入れるのは大変だったでしょう。
オジュグさん:実際に、ポーランドはそれほどは経済状況は悪くはなかったのです。
M・Fさん:それでも何百万人も受け入れるのは大変だったと思います。
オジュグさん:ロシアに対しては、ポーランド国民は楽観的ではなかったので、「やっぱり」と思った人が多かったでしょう。第二次大戦中、ロシアとドイツの密約もあり、ポーランド人もたくさん殺されていましたので。今でもそのことが人の記憶に残っているのです。
GS後の感想・質問
S・Oさん:今日は本当にありがとうございました、久々に目から鱗のお話し、感情が高ぶることもあり充実した時間でした。個人的に、オジュグさんと歴史や民族、未来についてお話をもっとしてみたいと思いました。ご紹介ください。歴史という史実、これが当たり前だと思わされる僕たちの危うさ、語られて初めて、歴史が在る、そのことに、ついて改めて考えさせられました。また、日本人として司馬遼太郎という偉大なる知の巨人がいたことを知らされました。帰りに、図書館で『翔ぶが如く』を借り、読みたいと思います。時間が限られた中だったが、僕は物凄い充実した時間を持てました。改めまして、感謝の言葉をオジュグさんにお伝えください。どこの大学で教授されているのでしょうか?
M・Fさん:有難うございました。難しいことですが、どのようにこの戦争が治まるとお考えかオジュグさんのご意見をお聞きしたかったです。
亀田博さん:昨日は、お疲れ様でした。グローバルセッション時間が足りなくて申し訳ございませんでした。歴史の解説は、大変勉強になりました。 今回、グローバルセッションで、オジュクさんと、平和ぼけのテーマをとりあげて、参加者の皆さんに意見をディスカッションする予定だったのですが、時間がなかったので、オジュクさんが、皆様に意見を聞きたいと言うことでした。
(平和ボケ: 戦争や安全保障に関する自国を取り巻く現状や世界情勢を正確に把握しようとせず、争いごとなく平和な日常が続くという幻想を抱くこと。 あるいは自分を取り巻く環境は平和だと思い込み、周りの実情に目を向けようとしないことなどを意味する表現、主に安全保障などに無関心である日本国民に向け、皮肉を込めて用いられることか多い。)