2023/10/11

2023年9月23日(日)第367回グローバル・セッション・レポート

開催後のレポート
グローバルセッションイメージ

開催日:2023年9月23日(日)10:30~12:30
場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:玉野井麻利子さん(アメリカ大学名誉教授・文化人類学)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:14名

 今回のタイトル:「アメリカ人は日本人をどう見ていたか」

自己紹介

亀田さん(コーディネーター):では、それぞれの自己紹介をどうぞ。

Y・Nさん:ひまわり教室で指導しています。小学校教員をしていました。今日のタイトルが楽しみで参加しました。

M・Yさん:ひまわり教室の指導をしています。中学校の教員でした。

N・Kさん :ひまわり教室の指導をしています。小学校教員でした。

F・Kさん:初めての参加です。滋賀県の日野町というところに住んで居て、最近京都の四条河原町付近に引っ越しをしました。児嶋さんとは、短歌での知り合いです。

S・Fさん:GSは5年ぶりの参加です。英語の小説を読む会に参加していて、「日系人の強制収容」の話を読んでいて、今回のテーマの「アメリカ人は日本人をどう見て居るのか?」に興味があり参加しました。

E・Tさん:京都の北の京北町に住んでいます。仕事は島津製作所で、真空ポンプ作りなどをやっています。

R・Sさん:ひまわり教室の指導をしています。テーマに興味があります。アメリカでのアジア系アメリカ人に対する差別があることは知っていますが、「ゆれているアメリカ」を感じているので。

M・Fさん:タイトルに興味があります。このGSは、私は多分参加者としては、一番古くからいると思います。今も子どもに映画制作を教えたりして、活動しています。

Z・Yさん:ひまわりで母語指導をしています。中国出身です。この9月から市の外国につながる子どもたちへの母語支援者をしています。玉野井さんのGSは、2回目です。

Tさん:ブラジル出身で翻訳者をしています。2022年4月に京都に来て今も住んでいます。

児嶋:1999年から亀岡市交流活動センターでGlobal Sessionを始めて今回は367回目になります。2011年に私が退職してからは、オフィス・コン・ジュントとして主宰者として開催しています。

亀田さん:大津市から毎回参加しています。ツアーガイドをしていますが、最近は外国人が多くなり、オーバーツーリズムが問題となっています。コロナの間は、旅行客がいなくて、タクシーの運転手などもちがう仕事に行ってしまったので、人員不足が深刻のようです。タクシーもバスも足りないようです。今は1ドルが148円くらいで外国より安いので、来やすいのでしょう。

では、玉野井さんから、自己紹介をしてその後、お話しをお願いします。

グローバル・セッション開始

玉野井さん:アメリカ在住50年を越えていますが、私は「日本人」です。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の人類学部で教えております。今は引退しましたが、アメリカの大学は、引退というのが、はっきりしなくて、今も大学院生の指導のため、日米を行ったり来たりの生活をしています。

今日のお話の題名は「アメリカ人は日本人をどう見ていたか」で、過去形となっていますが、日本に対するアメリカ人の考えは常に変化しています。これは日本人のアメリカに対するイメージがどんどん変化しているのと同じです。明治の始め頃、日本は積極的に西洋の文化を取り入れようとしました。ところはそれからたった数十年ですっかり変わってしまい、鬼畜米英という言葉に現れているように、西洋に対して戦争を始めたのです。ですから今日はそういった歴史を踏まえ、アメリカが建国された18世紀後半から現在に向けてお話ししようと思います。

さて、アメリカとは、どんな国なのでしょうか?

1492年にコロンブスが中央アメリカのとある島にたどりつき、ここをインダス川の流れるインドとまちがったことから始まりました。しかしその後、新大陸についての知識はなかなか広がりませんでした。ですからヨーロッパから新大陸への移民の流れはそれからいく世紀たってから始まるわけです。ところが新大陸には先住民がおりました。いわゆるNative Amercan Indianと呼ばれる人たちです。その人口は16世紀には1000万人いた、と言われています。ヨーロッパから移民した人たちはこの先住民たちを動物のように扱いました。彼らは天然痘などの病気を持ちこみ、殺戮を繰り返し、そのため、アメリカ先住民の数は、20世紀初めには、30万人ほどになってしまいました。さらに白人の植民者たちはアメリカ先住民の子どもたちを親から離し、全寮制の学校に入れ、「アメリカ人」への同化を強制していきました。19世紀になると、Andrew Jacson大統領がAmerican Removal Actを発令、アメリカ先住民の多くはいわゆる保留地に追いやられます。つまりアメリカは西洋からの移民と、アメリカ先住民と、さらにアフリカから奴隷として連れてこられたアフリカからの移民が共存する国であり、アメリカ人とはこれら全ての人たちを指すのですが、日本人の多くは「アメリカ人」といえば白人を思い浮かべる人たちが多いのです。一つの例としてですが、アメリカの若い学生たちの中には、日本を知るために、日本で英語を教えたいとい多くの若者がいます。ところが日本の英語会話学校などでは「白人」を採用することが多く、日系人や黒人は、採用されないという差別がありました。彼らもアメリカ人なのに。。。

アメリカ人について、もう少しその歴史を見てみましょう。

今皆さんが見ている絵(スクリーン)はアメリカではManifes Destinyの絵として知られています。 中心にいる女性はコロンビアと呼ばれる、「アメリカ」の象徴です。彼女はもちろんイギリスから移民したのでしょう。そしてイギリスからどんどん西へ西へと西洋の文明を広めようとしています。彼女が持っているのは電話のライン、そして子供のための学校の教科書です。この絵の中にはアメリカ先住民もアフリカからの奴隷も見当たりません。

 東からやってきたアメリカ人(白人)が西海岸にたどり着いた頃、アジアからやってきた中国人や、のちに日系人と呼ばれる日本人も新大陸の西海岸に到着します。アメリカでは1863年に奴隷制度が廃止されため、今度は中国人や日本人が奴隷に変わって鉄道の建設や、農地を広げていくことに駆り出されたのです。日本からは、年間約3万人がアメリカに移民として到着したと言われています。しかし「黄色い肌の有色人種」に対する白人アメリカ人の差別はひどいものでした。この現象はYellow Peril(黄禍)と呼ばれ、アメリカだけではなく、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、ロシアなど、アジア人が移民した国々で起こったのです。

日本人にとってアメリカ人(白人)との結婚が許可されていないので、日本からお嫁さんを呼ばなければなりません。この現象は「写真花嫁」と呼ばれていて、まず日本にいる女性が自分の写真をアメリカに移民した男性に送り、気に入れば彼が彼女を呼び寄せたのです。それでも黄禍の波は止まらず、アメリカ政府は1924年に日系人移民を禁止、1941年には、太平洋戦争が始まり、1942年には日系移民の強制収容が始まりました。 

児嶋:1985年から88年まで住んで居たブラジルでは、ミックスが一番美しいという考え方があり、化粧品のファンデーションの色の多さにびっくりしたことがあります。

Tさん:ブラジルでは、肌の色はどんな色でもいいと言われ、ブラジル人は、白人とか、黒人とか、言われていないです。

玉野井さん:北アメリカと南アメリカ(ブラジルやアルゼンチンなど)の状況はかなり違っています。南の場合、スペイン、ポルトガルからの移民は、やはり病気を持ち込んだり、アステカ文明を破壊しますが、根底にあったのはキリスト教の布教でした。北アメリカでは宗教はそれほど問題になりませんでした。

今度は太平洋戦争の間にアメリカ人の日本人に対するイメージがどのように変わっていったかをお話しします。(スクリーン)。ここに当時アメリカ政府、軍がカリフォルニアで「敵である日本人とは一体誰なのか」を示すポスターを作り、あちこちに配布したと思われます。

白人アメリカ人にとっては日本人(敵)と中国人(中国はこの戦争では友)の区別がわからないために、どのように区別するのか、教えているわけです。

中国人

  • 表情が従順、温和、平和を愛する
  • 背が高い人が多い
  • 中国人は、特にお金持ちの人は太っている。
  •  眼と眼の間が広い

日本人

  • 表情が狂信的、残忍、軍国主義
  • 押し並べてみんな背が低い背が低い
  • 太った日本人は少ない。年をとると、もっとやせる。
  • 眼と眼の間が狭い。
  • 会話がへた、間違ったところで笑ったり、大声を出したりする。

今読んでみると、日本を敵と仕上げるために作られたイメージとしか言えません。中国人を差別したことをすっかり忘れています。このようなポスターと共に、日本人を描いた漫画があります。それらは全て眼鏡をかけていて、出っ歯の大男であったり、猿だったりします。

この戦争で日本人はどんなアメリカ人のイメージを作ったでしょうか。

興味深いことに日本で作られたイメージはアメリカ人に比べ、日本人がいかに優れているかを表すイメージです。例えば日本人の女性が頭のふけを払っているのですが、それらに名前がつけてあり、

ぜいたくや利己心、拝金主義はアメリカ人の得意とするもので、日本人はそうではない、と伝えていますし、白人のような桃太郎が鬼となったアメリカ人をやっつけたり、ルーズベルト大統領、蒋介石、チャーチルをこらしめた日本の若者を、アメリカの黒人が喜んで褒めています。つまり日本人はアメリカ人のように人種差別をしない、というイメージです。

こうしたイメージによる戦争は戦後も続きました。

アメリカは日本を占領した後、日本の男性のイメージを「可愛らしい、これから民主主義を習う、お猿さん」に変えました。1980年代に日本の自動車産業がアメリカのそれを抜いた時、一人のアメリカ人の男がVincent Chenという中国人を日本人と思い、彼を射殺しました。コロナが始まると、やはりアジア人への暴力が再燃しました。

さて結論です

私はアメリカという国、アメリカ人は、どこの国の手助けも得ることなくやっていけるという自負を持っていると思います。つまり内向きというか、例えば地球上のどこにいっても英語を使える。そのため外国語取得に懸命になる人はあまりいません。アメリカにいれば、なんでも知ることができる、というような空気。日本のことだって知っているよ、と軽く言われ、日本人は「真似をすることが上手」と言われると、悲しくなります。トランプがまさにその象徴です。しかし人種間の関係は決して健康ではありません。以上です。

あとは皆さんの感想を聞かせてください。

M・Fさん:アメリカには何度か行ったことがありますが、日本人は見下げられていると感じることがありました。高級なレストランでは、入り口に座らされるのです。ホテルから予約すると、奥の良い席が用意されますが。別の時に、ノーマルな服装で行ったら、ブレザーやネクタイをしていないと入らせないということがありました。ホテルで背広を取ってきたら、入れましたが。

S・Fさん:戦争は勝った方が押しつけるので、日本は負けたので、差別もあるのでしょう。日本も関東大震災の時には、朝鮮人殺害をしていますね。

Z・Yさん:他言語や他文化を学ぼうとするひとが少ないという話がありましたが、英語は世界のことばになっていますが、アメリカが全てに一番ではないですね。日本だけではなくて、アジア人対して差別意識はありますね。中国人は、突然高い声で笑うとか、アメリカ人も大声でわらいますけれど。

児嶋:オクラホマ州立大学京都校(OSU-K)が亀岡に1990年から1996年までありましたが、私は、その時に職員をしていました。そこのアメリカ人の校長先生は、今も友人ですがその人から何度も「アメリカが原爆を落として戦争が終わった」と言われました。このことは、戦後のアメリカの教育の内容だろうと思い、悲惨さや被害が何年も継続するということを日本政府がアメリカにはっきり言わなかったために、学校でそのように教えたのだろうと思っています。

玉野井さん:アメリカは戦場にならなかったために、悲惨さがわからないのでしょうね。「はだしのゲン」を見て少しわかって来たでしょうか?戦後も配給でしか砂糖をもらえなかったとかも。

M・Fさん:以前、ハワイに行ったときに、ホテルの人から、「ひとりでパールハーバーには行かない方がいい。日本人を憎んでいるひとがいるから」と言われたことがあります。

E・Tさん:アメリカ人がみんな、見下しているわけでもないと思いますが。他の文化や言語を学ぼうとする人が少ないというのは気になりますが。学習する意欲を持って世界へ出ようと思わないのでしょうか?

玉野井さん:親日家のドナルド・キーンさんのような人もいますね。

児嶋:個人的な友人としての付き合いはもちろんありますが。

玉野井さん:アメリカで、日米学生会議に参加したことがあります。互いの文化を知り合うことが目的です。お互いの知識を交換するのが目的ですが、お互いわかり合うことは難しいなと感じました。

児嶋:先ほどのOSU―Kの卒業生は、今もアメリカ在住の人もいます。獣医師になり、アメリカ人と結婚し、大学で教えているようですが、大体は日本に帰国して仕事をしているようですね。

Y・Nさん:鬼畜米英と言っていた時代もあったのだと今さらながら知りました。考え方は時代に沿って変わってもいいと思いますね。

児嶋:今も残っている課題はありますね。

Tさん:玉野井さんは、アメリカで差別は受けましたか?

玉野井さん:1977年にまずアメリカのシカゴで暮らし、その後ボストン、ニューヨークへ、それから西海岸のロスへ行きました。個人的な差別はなかったと思いますが、差別されるようなところにはいなかった、ということだと思います。

Tさん:最初から英語を使っていましたか?普通にアメリカ人と接触されていたのですか?相手の振る舞いは?

玉野井さん:いつだったか、ひとりの友人に言われたことがあります。「玉野井さんは、日本人ではないみたい」と。これ褒め言葉ですが、どう解釈すればいいのか悩みました。

Tさん:現在もアメリカ人の若者と接触されていて、友人もいらっしゃると思いますが、日本や韓国の文化に好印象を持っている人はいますか?

玉野井さん:日本のアニメが好きな学生が多いですね。韓国の文化も人気があります。台湾に最近行ったときに、韓国語を学ぶ人が多いのにびっくりしました。日本語研究も盛んですし、中国研究はすでに多くあります。

Tさん:日本や韓国はソフトパワーが強いですね。

玉野井さん:特に若い人はそうですね。

Tさん:平和的手段で学ぶことが大切ですね。

玉野井さん:政府が入り込むと、うまくいかないのかな?

児嶋:言語の学習は大切ですね。

F・Kさん:私は、滋賀県の日野市という人口2300人ほどの町に実家があります。実家は220年ほど続いた家で、江戸時代の先祖の暮らしがわかる物が残っているので、市の学芸員の人に頼んで整理をしてもらいました。日清、日露戦争の時代の戦勝記念品のような物もありました。その中には、代々、開けてはいけないと言われていた物もあり、出金簿と書かれていました。日中戦争の献盃としてのすずのとっくりなどもありました。この日野町のような文化を理解しようと思ったら、歴史を知り合うことが大切なのだと思います。古文書をひもとくと、いろいろな歴史を知り、若い人に伝えたいと思うようになりました。今は、京都市に移転してその家は、別のひとがそのまま購入することになっています。

「アメリカが内向きになっている」と聞き、気になりました。

今も、日野町には朝鮮人街道があります。石どう寺というお寺もあり、近江八幡市には安土城もあります。

亀田さん:外国との付き合い方は、秀吉の時代から変化してきたようですね。

F・Kさん:韓国からの修学旅行の学生が京都の耳塚に来ていますね。毎年慰霊祭がありますが。

Z・Yさん:私の中国の実家は、北朝鮮との国境の町にあります。丹せん市といいます。朝鮮戦争の時に朝鮮人集落がありました。

亀田さん:さて、時間も来ましたのでこれで、終わりにしますが、感想や言いたいことがあれば、児嶋さんまでどうぞ。

今日は、玉野井さんありがとうございました。

開催後の感想から 

N・Kさん

先日はありがとうございました。global sessionに伺うと、いつも行ってよかったと思うのですが、今回も、アメリカの歴史と、国の内情や日本人への見方などのお話をお聞きして、大変興味深かったです。

アメリカの歴史のお話を聞いて、その国の人々の考え方はその国の歴史から出てくるのだなあと思いました。「アメリカといえば白人を思い浮かべる人が多いが、実は他民族国家」というお話を聞いて、改めてトランプ大統領がプアーホワイトの男性から支持を集めている理由を思いました。玉野井先生は、お若い頃にアメリカに渡られ、アメリカで職につかれて現在に至っておられる由。どれほどのご苦労があったことかと思いますが、明るく穏やかで、「差別は感じたことはない」とおっしゃる言葉から、強靭さとしなやかさを感じました。歴史からその国の人々の考え方が出てくるのなら、すぐ近くの韓国や中国、フィリピン、インドネシアなどの国々には、どんな歴史があるのでしょう。勿論、太平洋戦争の歴史があるのですが、それ以前にも長い歴史があるに違いありません。昔からの日本との関わりなども知りたいなあと思いました。また、お話を聞きたいです。ありがとうございました。学ぶことは楽しいなと思います。機会を与えていただいていることに、感謝しています。

今後ともよろしくお願い致します。