2023/12/12

2023年11月19日(日)第369回グローバル・セッション・レポート

開催後のレポート
グローバルセッションイメージ

開催日:2023年11月19日(日)10:30~12:30
場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:大野友アンドレイアさん(ブラジル出身・箕面国際交流協会職員)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:11名(内2名はオンライン参加)

 今回のタイトル:
「①ブラジルに子どもたちと一時帰国して」
「②外国につながりを持つ子どもたちが、自分のルーツにふれて」

自己紹介

亀田(コーディネーター):ボンジーア。今日のGlobal Sessionは、369回目です。

 大津市在住です。アンドレイアさんのGSのゲスト参加は2回目ですね。2022年に研修会の講師でも来ていただいたので、全部で3回目ですね。箕面から山越えで来られましたね。

 では、それぞれ、自己紹介をしてください。

E・Tさん:京北町に住んでいます。Global Sessionにはよく来ています。

M・Aさん:1年前までブラジルに居ました。現在は大本さんで、奉仕中です。    (亀岡市のブラジルの姉妹都市ジャンジーラから代表団が来られた時のポルトガル語通訳でした。)

S・Nさん:京都の左京区から来ました。在住外国人の相談ごとを聞くことをしています。今日は、そのメンバーがオンラインでの参加がある予定です。

M・Mさん:「やさしい日本語をひろめる会」の会長をしています。在住の外国人とコミュニケーションをとることを考える会です。現在は、薬局や薬剤師の方々との外国につながる人たちが話が通じるようにといろいろ聞いて調べています。いろいろな課題があります。

M・Fさん:映画関係の仕事をしています。秋のイベントが終わったところです。子どもの映画制作やカルチャーウオークなどもやりました。

R・Sさん:ひまわり教室で外国につながる子どもたちの学習支援をしています。アンドレイアさんの講座などは全回参加しています。今日は、子どもさんとブラジルに行かれた話というので、お聞きしたいと参加しました。

児嶋:1999年に開始しましたが、当時は、亀岡交際交流協会の職員でした。それ以後、停年退職後は、主宰するオフィス・コン・ジュントの企画で継続しています。今回は369回目ですが、20年以上過ぎたと驚いています。

亀田さん:コーディネーターをしています。先ほどはポルトガル語でお話ししましたが、仕事はツアーガイドです。ここ3、4年はコロナでしていませんが、日本人をいろいろな国に案内してきました。南米は遠いので行っていませんが、ヨーロッパや中国やいろいろな国に行きました。チベットやウイグル、モンゴルも何度も行きました。現在は、中国はまだ開放とはいきませんが、ヨーロッパからの旅行者が多く来られていますね。スペイン、フランス、ブラジル、ペルーなどからも多いですね。「日本は天国」などと言われていますが、その理由は、1は円安で、2は、実際の物価が安いことが挙げられるようです。どこへまずいくかといくと、100円ショップなどです。中国などにも安売りの店がありますが、「200円ショップ」とかで、お気に入りのようです。京都駅などを見ても、ほとんど外国人かとか思うほど多いですね。

 アンドレイアさんの自己紹介から始め、今日のGSをよろしくお願いします。

グローバルセッション開始

アンドレイアさん:大野友アンドレイアと言います。箕面国際交流協会で仕事をしていますが、今日は、その職員として来たのではありません。(笑)

 箕面市には住んでいる外国人も多いです。近くに大阪大学もあり、留学生も多いし、就労者も多いです。今までと同じ話の内容にならないように気を付けますが、よろしくお願いします。

 私は、本当に10年ぶりに、今回は子ども3人といっしょにブラジルに行ってきました。「子どもが母親の文化に触れる」ことと「いろんな人と出会う」ことを目当てに行ってきました。

 私自身は、ブラジルの小さい町で育ったので、「ブラジル人はこうだ」とか、「日系人」という感覚が無かったと思います。今回はサンパウロへ行き、日系の人たちにいっぱい会いました。

 私は、サンパウロ生まれですが、すぐガラパリという小さな町に移転し、学校では台湾人の家族一軒以外にはアジア系の人はいなくて、アジア人とも、日本人とも、日系人とも思う事がなく、過ごしていました。

 祖父は戦前満州に行き、ソ連が参戦後、ようやく家族で日本の山口県に帰国することができました。でも、その時は、いろいろな中国人が助けてくれてやっと家族一緒に帰れたそうです。でもそのような話は祖父はあまりしなくて幼児であった叔母もあまりその話はしませんでした。満州では、瓦職人だったそうです。当時日本に帰国してもどうしようもなく、当時ブラジルは、奴隷制度が廃止され、入植地を用意して移民を促進していたので、家族でアマゾンに移民することになりました。でも、土地はあっても自分で家を建てなければならず、母は5才でブラジル人の政治家の家に6人目の養子として住み込み、学校に行かせてもらうことになったようです。その後、1985年にはブラジルも軍事政権が終わり、母の養子先の政治家は夜逃げし、ベレンで母だけ残されたそうです。その後、叔母に連絡が取れ、助かったそうです。

 その後、サンパウロで駐在員だった父と出会い、結婚しました。そして、私(アンドレイア)が生まれ、父は日本の会社をやめ、日本に出稼ぎに行っていた従兄のやっていた八百屋を継ぐことになりました。「仕事ない?」とたくさんの人が出入りしていたことを覚えています。また、父は、八百屋で売っていた野菜がホテルでは高額で売っていることを知り、今度はホテル経営に乗り出しました。父はポルトガル語は話せても書いたりするのは十分でなく、苦労したようです。

 当時ブラジルでは、私立学校と公立学校に大きな差があったのですが、私は、私立学校に行きました。その間、ポルトガル語はうまくなり、日本語は家でだけ話す状況でした。だんだん弟達とはポルトガル語だけの生活になりました。

 そのためもあってか、14才で突然、日本にやって来た時は困りました。吹田市の学校に入ったのですが、今のような学校での支援はあまりなかったし、近くにブラジル人もあまりいませんでした。父は昔いた会社で仕事をすることができたのです。

 学校での支援はなかったのですが、家に支援者が来てくれることもありました。でも、学校では内容が難しいと感じ、自分だけができないと思っていました。中学校から高校へは、入試がありますが、通常のテストでは、100点満点の内、5点か10点しか取れないのです。ある先生が調べてくれて、高知県の明徳義塾高校に国際コースができるらしいし、入学することができました。2年生の時にブラジル人の監督と選手がやってきました。この高校の国際コースは、3年間の内に自費で留学が義務付けられています。そのお金をどうしようと思っていたのですが、当時、ブラジル人たちのために翻訳を頼まれていて、その翻訳料でカナダに10ヶ月間留学することができました。ポルトガル語ができると、日本語より早く身に付けることができました。英語の方が日本語よりもよく読める状態になりました。

箕面市での在住外国人支援

 箕面市では、ブラジル人は少ないですが、外国につながる16才未満の子どもは少なくないです。

①子どもの支援、 ②相談を上げていますが、英語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語などで相談を受けています。対応言語が多いので多様な人たちに出会うことができます。

外国人が日本に住む時の壁は大きく分けて3つあります。

1.ことば 2.制度 3こころ

 この中で、制度の問題も大きいです。在留資格を更新しなければいけないことを知らない人が多いです。日本生まれで、日本で育ち、ブラジルに行ったことがない子どもでも在留資格は大きな問題です。ひとつの家族で、祖母は日系二世で、日本語だけ、母はポルトガル語、子どもは日本語だけを話す家族もいます。最近のニュースでは、日本で生まれた外国ルーツの子に永住権を与えるというものがあります。在留資格によって、仕事も安定しないので、さまざまな滞納も出てきます。日本で生まれ、どこにも行った事のない子どもたちにとっては、なぜ日本に住む権利がないのか、不公平に思うのです。

「多言語での育成はプラスかマイナスか」

 1960年代半ばまでは、マイナスと思われていました。それは、学校での学業不振・精神不安・情緒不安定などの理由が挙げられました。

 その後は、多言語での育成はプラスだろうと変化しています。

「母語支援について」

*保護者が母語に力があるか、ないかで差ができる

 学校では母語支援のスキルがないので、その子の学力を知る手立てが必要。

 DLA(母語と日本語と両方でアセスメントする)方法で測る方法(大阪大学等)

普通のクラスではなく支援学級に入れてゆっくり学習する方が子どもによいと考えがちだが、問題はある。(レッテルがはられるようで、子どもが自分で自己肯定観を持つのが難しい) 

箕面市では、母語クラブ(スペイン語とポルトガル語で チャチャチャ)を7年前から、毎月ミーティングをイベントとして開催している。

 関西ブラジル人コミュニティのイベントを、4月18日にブラジル移民した祖先の気持ちを考える体験として神戸港で移民船に乗る体験を毎年しています。

外国にルーツを持つ子どもの現状を説明する時は、ことばの課題として学習機会があるか。日本語力が不足・母語の発達として支援が不足・母語喪失などがあげられます。

 うちの長男は、生まれてからアメリカにいたために、外では英語、家の中では日本語とい生活でした。ポルトガル語は全くしりません。8年後に生まれた下の子達は、まったくポルトガル語は消えています。

子供たち3人とブラジルへ一時帰国

 今回のブラジル行きは、16才、8才、6才の3人の子といっしょでした。なかなかチケットも取れないので、16才の長男は別便で行き、ブラジルで会うというような行き方でした。

私の弟は、いっしょに日本に帰国したときは7才でしたが、成長してブラジルに帰国していました。ポルトガル語も忘れてしまっているのに。

 最初はサンパウロのリベルダージで倉庫の整理などのバイトで仕事を始めました。そのうちにトップに立ち、営業職になりました。当時ブラジルに拠点を持とうとしていたダイソーの社長の手伝いをし、その後、ポルトガル語も日本語もできるようになったので、代表になり、その後独立をしました。今はうどんやとラーメン屋をしています。その子どもたちはブラジルの学校に通っていますが、時間の空く日には、日本語学校にも通っています。(ブラジルの学校は、半日ごとに学習する子どもが交替します)このため、両方の言語ができるようになっています。

 ブラジルでは、クレジットカードがどこでも使えます。

 また、今回行って、自分の日本に対する雰囲気が変わったと思います。それは、アフロ博物館というところを訪ね、日系の母親の絵が飾ってありました。そこでは、「日系のひとがどれだけブラジル根付いているか」を問うような感じがありました。

 私は、現在の分断が広がる世界の中で、憎しみではなく、安心を得ることができ、国籍や立場ではなく、個人が尊重され、互いの対話をあきらめず、関係をつむぎ続けられる場所が大切だと思います。

 移民博物館では、「移民の旅はいつ終わるのか」「移動って当たり前」というメッセージが書かれていました。

 ブラジルにはいろいろな顔があり、サンパウロの町では自分と似ている人も見ました。日本の各県から来ている地図もありました。日本語を教えている私立学校もあります。自由な雰囲気ですが、月謝は高いので、貧富の差が大きいですね。

アンドレイアさんへ質問

亀田(コーディネーター):質問はどうですか?

M・Fさん:14才で日本に来られた時の日本の状況はどうでしたか?ブラジルとのちがいをどう感じられましたか?

アンドレイアさん:ブラジルでは、自分が日系とあまり思わなかったのですが、日本に来たら顔がみんな同じだと思いました。帰る時には、ガラパリから、サンパウロに行き、日本に来たのですが、その時に日系コミュニティに寄り、「日本ではいじめに気をつけて」と言われました。日本では、「海外に興味がある」という子達もいましたが、少し集まる所に遅れると、「ブラジル人だから」とも言われました。現在は、国際交流協会から小学校の国際交流クラブなどを訪問することがありますが、「海外いや」とか、「日本は安全やし」とか言う子が多いです。

M・Fさん:物理的なちがいはどうでしたか?家の大きさとか。

アンドレイアさん:最初日本に来たときには、父が元いた会社に就職したこともあり、社長さんの家に住んでいましたので、とても大きかったのです。でも、他の家は小さいと思いました。

S・Nさん:神戸にある海外移住者協議会に行くと、移住した2世が多くいて、70代や80代がいます。最初にブラジルに行ったブラジル丸の展示がしてあるビルにも行ったことがあります。県人会なども各県にあるようです。パラグアイからの人が多いですが、当時、ブラジルに行きたい人が多く、それに入れなかった人は、パラグアイに行ったようです。今日は、ポルトガル出身の学生が来たかったのですが、風邪で来られませんでした。

児嶋:ブラジル生まれで、現在日本に仕事で来られているM・Aさんの感想が聞きたいです。

M・Aさん:歴史的によくしらべてプレゼンをされていると思います。私も同じ移民のルーツでブラジル生まれです。母はパラオ出身で、父は広島出身です。ブラジルで二人は出逢い、パラグアイとブラジルとの国境の町で生活していました。学校は、ブラジル人学校に通い、ポルトガル語、スペイン語、そして日本語も学びました。ブラジルは、1500年に、ポルトガル人が発見し、そこをインドと思い込み、現地の人をインディオと呼び始めました。アマゾンの先住民は日本人と似ていると思います。シャーマンや薬草の紹介などもしています。元はアジア系と言われています。現在は、金の採掘で水銀を使用し、それを川に流すので、水銀中毒が大きな問題になていますね。

S・Nさん:アンドレイアさんは、ブラジル生まれで日本に来ていますが、国籍はブラジル人ですか?

アンドレイアさん:よく(  )人という箱に入れる人がいますが、地球人と思っています。最近は、日本にルーツをもつブラジル人と言っています。私は、14才で日本に来たのですが、母語がないなと思います。中学生でもかけ算の九九は知らなかったです。時々何かができないと「やっぱりブラジル人」とよく言われました。

Emikoさん(オンライン):アメリカに住んでいます。自分のアイデンティティを自覚することはありますか?私の義父は日系二世ですが、バイリンガルです。計算するのはたいてい母語であるのではないでしょうか?また、日本国籍を持たないと国民扱いされず、住民票がないと病気の時にこまりますね。

Yukikoさん(オンライン):今、不便なことはありますか?

アンドレイアさん:日本語は「~とみなされる」とか、わかりにくいことばが多く、かさなると混乱してしまいます。

児嶋:ひまわり教室で外国につながる子どもたちの学習を見ていると、「かけ算」がネックかなと思う事がたくさんありました。S先生はどうですか?

R・Sさん:かけ算や100マス計算なども振り返って学習すると力が出てきますね。宿題をみながら、気が付くことが多いです。

M・Aさん:外国に生まれて、日本に移住してきた人と、元からいる日本人とは、何か大きな穴があるような気がします。

S・Nさん:サンフランシスコでは刑務所が満杯で、999ドルまでは万引きしてもOKだと聞いたことがあります。それに比べると、日本は犯罪が少ないです。

M・Aさん:ブラジルにはお金がない人を無料でめんどうを見るという法律があります。

S・Nさん:以前、アメリカの破産状態の時に、医療保険を作ろうという動きがありました。日本では、最低限の医療は拒否できないと思います。

M・Mさん:現在薬局などへの外国につながる人たちへの支援について調査しています。保険制度は、スペインは無料、日本は1ヶ月に一度行かなければ、また保険料の支払いが必要です。韓国は、日本よりも良い点もあるようです。中国は保険制度が機能していないところが多いようです。

亀田さん:アメリカでは、事故に合っても支払い能力があるかどうかがチェックされ、それがないと医者は手術を受けつけないです。そのため、渡航時には必ず医療保険をかけるように旅行でもしています。

児嶋:以前アメリカ大学京都校(OSU―K)を開設していたときも、全員にまず、医療保険をかけて出発するよう厳しく指導しました。そのため、いろいろな事故もありましたが、お金が無くて、医療ができなかったことはありません。

亀田さん:日本の医療保険は、その点では優れていると思います。コロナ禍の保険も今はあります。ツアーで行っても家族で行っても、保険は大事です。さて、12:50分になりましたので、まだ質問などある方はあとで、独自にお願いします。ありがとうございました。