2024/01/11
2023年12月16日(日)第370回グローバル・セッション・レポート
開催後のレポート開催日:2023年12月16日(日)10:30~12:40
場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:オジュグ・タデウシュ・アダムさん(ポーランド出身・大学講師)
コーディネーター:亀田博さん(ツアーガイド)
参加者:11名
今回のタイトル:
「世界の紛争・歴史観・多文化共生そして個人」
自己紹介
亀田さん(コーディネーター):昨年に続き、オジュグさんにはお世話になります。前回は、クリスマスについて楽しいお話しをお聞きしました。今年はそのクリスマスの話もお聞きしたいのですが、じっくり今の世界情勢について伺いたいと思います。
その前に、参加者の自己紹介からお願いします。
Y・Hさん:はじめての参加です。亀田さんとは、時々別の国際交流のイベントで会っていました。この間のワールドフェスタで児嶋さんに会い、このGSを紹介され、参加をしています。私は高校時代から、多文化交流に興味を持っていて、国際青少年交流協会主催で、ドイツの1ヶ月訪問したりもしました。就職もそれに関連したところに行きたいと思い、総合商社で仕事をしていました。退職後、50年ぶりに亀岡に帰って来ました。
F・Kさん:私は、このGSに2回目の参加です。この6月に滋賀県日野町から、京都市の中京区へ引っ越ししました。35年間、特別支援学校で教員をしていましたが、退職してから、私は狭いところにいたと気が付き、学び直しをしたいと思うようになりました。今は、古門書(江戸末期)を中心に学び直しをしています。
R・Sさん:小学校で教員をしていました。退職して8年目になります。今は外国につながる子ども達の学習支援教室のひまわり教室で、児嶋さんたちといっしょにボランティア活動をしています。オジュグさんがゲストのGSは、3回目になります。前回はポーランドの歴史を聞きながら、クリスマスの話もお聞きしました。今回は、ウクライナの隣の国であるポーランドの支援の話や、ポーランド政権が変わった上でのちがいなどもお聞きしたいと思っています。
S・Nさん:京都市左京区から来ています。外国人の困りごと相談などをしていて、最近は医療関係の相談が多いです。今回は、ポーランドから見たウクライナ支援についてなどもお聞きしたいと思います。
Y・Hさん:以前12月にオジュグさんからクリスマスについてお聞きしました。30年ほど前にハンガリーには、行ったことがあり、文化的に豊かな国だなあと思いました。そのようなことをポーランドについてもお聞きしたいです。退職後、イギリスに短期留学などもしましたが、「今は来るのが大変だ。ストライキなどもあり、いつ飛行機が止まるかもしれないし。」などと言われ、行っていません。私たちは、今何をすべきなのかを考えていきたいと思っています。
M・Kさん:大昔に一度ポーランドに行ったことがあります。現在は、私は亀岡市の教員をしていて、外国の勉強をする機会を作り、オジュグさんにも一度学校へ来ていただきました。ポーランドについては、あまり知らないので、学んで伝えたいと参加しました。
S・Yさん:今年の3月に亀岡市に引っ越しをしてきました。2010年から何年間もカナダに居ました。今は、多文化共生センターで仕事をしています。
Z・Yさん:中国出身で、現在は、亀岡市の児童教育支援員として、千代川小学校や大井小学校、大成中などで外国につながる子どもたちの支援をしています。オジュグさんの話は、3回目になります。この仕事をし始めて、自分が勉強不足だと感じることが多くなりました。
児嶋:このGlobal Sessionは、1999年に私が勤務していた、亀岡交流活動センター(元OSU-K)で始め、今回は370回目になります。知らない間に20年を過ぎてしまいました。2011年4月に退職後は、Office Com Junto(オフィス・コン・ジュント)の主催として続けています。
亀田さん:(ポーランド語でごあいさつ)私は、大津市民で、オジュグさんも同じ大津の比叡山下の坂本にお住まいです。事務所は、京都市内にあるのですね。今日は久しぶりにお会いしましたが、毎日世界のニュースを聞いていると、ウクライナのニュースが少なくなってきていますね。オジュグさんは、日本に在住で、ポーランドについてもお聞きしたいと思います。
最近は、いろいろな国から日本に来られていますが、オーバーツーリズムについてもお話ししたいと思っています。では、ご自身の紹介から、オジュグさん、お願いします。
グローバルセッション開始
オジュグさん:自己紹介と言っても。35年間日本に住んでいます。何で日本に来たのかとよく聞かれましたが、「わからない」と答えています。前の年のようにクリスマスの話は一番いいのですが、今日は、難しい話をさせてもらいたいと思っています。
- 歴史をどう伝えるか。
- いろんな国の人たちが仲良くするのはどうすべきか。個人の問題になりますが。
- グローバルセッションとしては、セッションですから、ワークショップ式に問題を提起し、みなさんの意見をお聞きしたいと思っています。
ウクライナ戦争についてですが、ニュースが減ってきていると感じます。パソコンでヨーロッパのニュースも時々見て居ますが、戦争が日常の普通のような感じになって来ていると思います。最初は、ショックを受け、支援をすれば、早く終結するのではと思って居たのですが。最近は精神的にしんどいので、「忘れよう」とかいう雰囲気もありますね。ゼレンスキー大統領がアメリカに行きましたが、なかなかです。
アメリカの支援がないと負けると思うし、でもヨーロッパの支援も貧しくなっています。ここまで戦争が続くと、何か武力行使で得することがあるのかとか、もし、ウクライナが負けるような事があると、どのような世界が生まれてしまうのかなど、将来が安全とは言えないのではないかとか考えてしまいます。
アメリカもヨーロッパも疲れて来て居て、私たちも含めてどうしていくかを考えなければならないなと思っています。負けないように努力をするとしたら、個人のレベルでどうしていくかを忘れてはいけないと思います。
ポーランドニュースには、いつもウクライナ戦争が、今日は659日目とか出て、続いていることを明示しています。
毎日、どれだけの人が命の危険にさらされているか。爆弾が一分先に落ちている。自分たちに選択権がない。結果としてだけではないけれど、この状況を許してしまった状況があると想像してみてください。そのような可能性がすぐそこにあると。
ポーランドに避難したウクライナ人の現状にはどうかですが、最初は、「まさか」と思っていたけれど、日本との大きなちがいは、「となりの国」という点です。たくさんの人が流れてきます。それは、今出ないと命がない。家にも帰れない。知らない所へ行くのは、「とりあえず命を守る」ためです。ポーランドには200万人以上も流れてきましたが、最初から行政は対応できなくて、一般人が対応しなければならないとしてやってきたと思います。普通の人が、「どうぞ」と家にいれます。何も持っていないし、子ども連れもいますから。1ヶ月先に戦争が終わったら帰ってもらおうかくらい思って受け入れを始めたと思います。一日か二日が1週間になり、1ヶ月になって来ると、今までの自分の生活ができなくなります。日常化してくると、ことばがちがい、習慣もちがうし、食事の好みもちがうでしょう。また、家にいても、誰かに電話をするくらいで何もしないかもしれない。こうなると個人の対応は無理になってきます。国や自治体がようやく動き出すでしょうが、すぐ帰ってもらうと思っていたのが、しばらく暮らすことになって来る。「暮らす」と「訪問する」の差は大きいですね。教育や仕事も必要で、医療の必要も出て来るでしょう。個人のレベルを超えてしまいますね。例えば、亀岡に子どもが急に500人増えたと思ってください。どうしますか?帰れとは言えない状況で。
とりあえず、子どもが学校に来れるようにしなければならないです。では、どうしたらいいのか。半年で帰ることが決まっているということと、ずっと留まるは、対応策がちがうはずです。「ここにいる」と言えば、無視できない。勝手にしろとも言えない。自分を犠牲にすることもできないですね。
これからもポーランドへのウクライナからの流入は続く可能性があります。最初、クラスに10人転入して来たと考えてください。一人、二人は可能でも、どうしたらいいのかですね。ふつうのポーランド人の子どももいるし、受験生の場合もあります。その子には将来に関わる事になりますね。ウクライナ人だけのクラスを作る案もありますが、このようなクラスにいると、ポーランド人の友達もできないし、ことばも覚えられない状況が予想されます。精神的な問題が起こることもあり、大人のサポートが必ず精神的なケアが必要です。これを理解しなければ、「疲れた」状態になりますね。
ウクライナは穀物の輸出国ですが、黒海経由で出せなくてポーランド経由になって来ました。ウクライナの穀物は、ポーランドより安価で、ポーランドの農家の産物が売れない状況が出て来ました。他にも、ドライバーの料金がウクライナの方が安くて今度はポーランドのドライバーが仕事をできなくなる状況も出て来ました。こうなるとポーランド政府は、何とか対応しないといけない状況です。
ポーランドは最近、政権が交代し、ようやくEUとの協力体制で動けるようになりました。前の政府の時の変な状況がやっと正常化してきました。
ウクライナを大事な友人として、似たような文化を持つ国として、普通の市民が助け合う気持ちになるようにしなければと思います。
戦争が始まってから、ウクライナからポーランドへ1700万人の人が国境を越えて来たと言われています。その後、1500万人が自国に戻って行ったようです。行ったり来たりの移動の多さに驚きますね。今は300万人ほどが留まっていると言われています。京都と大阪で人口は1300万人ぐらいですから、2年間にこの京都大阪に住む全員が移動したということになります。ポーランドだけでなく、他国への国境を越えた人もいたはずですから、ドイツには150万人ほどが留まっていると言われています。
イスラエルとパレスチナをどう思っているかですが、外国のメディアの報道と実際はどうなっているのかをしる必要がありますね。亡くなっている人は、パレスチナ人は14000人などと言っていますが。
Why War?
- 初めは、ウクライナ戦争はだれも想像しなかった。
- イスラエルとパレスチナの戦争は、なぜそれが起きたかを考えなくてはいけない。
皆さんは、戦争についてはどうですか?
Y・Hさん:ウクライナともうひとつの戦争は、根っこがちがうような気がします。ロシアは、昔ソ連時代にウクライナは、自分の支配下にあったからと言っていますが、1990年頃から東西融和が進み、EUやNATOが拡がって行ったので、ロシアが結果的には暴発したことになるのでしょう。イスラエルとパレスチナは、もともと民族間に抗争がありましたね。ユダヤ人とアラブ人の抗争ですが、アラブの人が住んでいた地域にヨーロッパ各国の支援を受けてユダヤ人の国を作ったのですね。その後、アラブ人が追い出され、この根っこは深いと思います。だから、ふたつの戦争はちがうと考えます。
オジュグさん:ハマスの攻撃があったからとイスラエルの正当化をはかり、イスラエルを守ろうという動きがあります。自分が危険だからと。
Y・Hさん:どちらも脅威から来ていると思います。
亀田さん:ウクライナ戦争の他でも、コソボ紛争以後、他のEU諸国でも問題が起こっています。イスラエルとパレスチナは第2次大戦以後の争いですね。イギリスは逃げていますが、アメリカは引けないし、アラブ諸国もいろいろな問題があります。シリア・ヨルダンやイランにイエメンなど。イスラエルの隣がエジプトですし。
Why War?
オジュグさん:答えは出ると思いますか?
Y・Hさん:自分の考えだけが正しいと考え、相手と話をすることがいけないと思います。他を理解するという姿勢が大切(聞く耳を持つ)でしょうね。
オジュグさん:戦争が起こっている理由を考えていくべきだと思います。なぜ戦争がなくならないのか。そして、なくすためには、何が必要なのかと。
Y・Hさん:日本政府も非核宣言をしないですね。軍需産業をのばそうとしています。日本もアメリカに追随しているような。
オジュグさん:歴史的にそうであっても、政治的には戦争の必要性を説明できますか。
S・Yさん:宗教上のちがいもありますが、キリスト教徒でアラブ人という人もいますよ。
オジュグさん:不思議じゃないですか?理解できないけれど、現実にはありますね。
S・Nさん:政府と庶民はちがうんですよ。実際に戦争などで死んでいるのは庶民です。金持ちというより庶民(貧乏人)のちがいがあり、個人としての金持ちがやらしているのではないでしょうか?
オジュグさん:宗教上では、欲を抑えるよう指導していますね。
S・Nさん:宗教の組織の上の人は金持ちでしょう。
オジュグさん:共産主義でも戦争は否定していないですね。
S・Nさん:権力を握るとあまり共産主義ではいられないのではないでしょうか?誰も殺したくないと言いながら、おかしいいですね。拒否する権限もないですからね。
オジュグさん:何も言わないなら、楽かもしれませんね。
S・Nさん:教育の問題としたら、今がチャンスかもしれませんね。
児嶋:先日テレビで見たのですが、日本の高校生とアメリカの高校生がが、第2次大戦の真珠湾攻撃と広島・長崎の原爆について日本で話合いを持ったというニュースでした。これからの若者を入れた会議として必要でおもしろいと思いました。私は、OSU-Kのアメリカ人の教授たちといっしょに仕事をしていた時に、何度も「原爆を落とされなかったら日本は戦争をやめなかっただろう」と言われました。原爆そのものの、被害についてあまり知らないままに落としたアメリカでは、その後の教育もこの程度しかやっていなかったのかと何度もがっくりしたことを思い出します。
S・Yさん:今は戦争をしている双方が、どっちが勝つかを決めなければ、「共生」についての考えが受け入れられないのかと考えてしまいます。
オジュグさん:当たり前の事がどうして通らないのでしょうか?
F・Kさん:「共生」については、教育の中では特に必要なことがらだと思います。戦争は、弱い立場の人(障害を持った人)に特にひどい状況を作ります。ウクライナの戦争などでも、あまり報道には見えて来ませんが、どうなっているのかなといつも私は考えています。
オジュグさん:人間の価値の問題ですね。
F・Kさん:戦争の時ほどあらためて感じてしまいます。
R・Sさん:なぜ戦争は起こるのかについては難しい課題だと思いますが、プーチンでも、自分が作りあげた体制を維持していかなければ負けてしまうと思っているのでしょう。先日は、プーチンの支持者が8割とか出ていましたが。そのためにひとつの操作として戦争を続けているような気がします。
イスラエルのネタニアフ首相は人気がないと聞いていますが、負けるわけにはいかないので、つっぱしるしかないと思っているのではないでしょうか?反対の声もあるようですが。
日本も戦争をくりかえして来たわけですが、「あぶない」と見抜き、どんな政府や国を選ぶべきかふだんから話し合っていなければならないのではないかと思います。
オジュグさん:普通の人が望んで戦争をするわけではないですね。自己利益だけではないはずですが。ウクライナ人だけが犠牲になっているわけではなく、ロシア人も多数犠牲になっているはずです。戦争とはそのようなしくみでしょう。
Z・Yさん:戦争はどうしておこるのか。宗教や、教育の内容なども問題があるはずです。自分の国が強くなりたいと思うからかもしれません。海の底で起こる地震でさえも、自然に起こるばかりとは言えないかもしれません。反抗から?ではどうして?どっちが悪いとも言えないケースがあると思います。では、戦争が止まらないのはどうして?平和的運動もいろいろしているのに。日本はまだ独立していないという考え方もありますね。それを打ち崩す、日本の独自の力も足りないような気がします。
オジュグさん:自分が守らないといけない。それは何か。今のウクライナのためにと考えることもあります。
M・Kさん:なんで戦争が起こるのを認め、許しているのか?ひとごととか、傍観者でいるのか。それは、想像力の欠如かもしれません。
児嶋:自分の知っている範囲しか言わない人もいますね。日本政府もそうしているような気がします。
オジュグさん:戦争はなぜ起こるのか?
- 相手の土地を奪う(領土争い)
- 宗教上のちがい(私の方が正しい:神様に言われた)
- 民族のちがい
- 政治的争い(イスラエルとパレスチナのように)
- イデオロギーのちがい(ロシアはずっとスラブ民族を統治してきたと思い込んで、今後もそうしなければとならない権利・使命感がある。)
戦争を許すなど不思議でしょう?議論をしてまとまらなかったら、殴り合って決めようかというのが戦争でしょう?許し合うことはないのでしょうか?
S・Nさん:国民の思いと権力者の思いにはずれがあるのではないでしょうか?戦争を許す人が日本にはいないでしょう。民主主義ですから。でも、日本は実は民主主義ではないのではないでしょうか?投票率20%以下で当選しているのですよ。にせの民主主義で、政治家主義とでも言うのでしょうか?投票するしか自分の意見を通すことはできないのですが、当たり前が国会で法案が通らないことが多いですね。それで、「戦うぞ」と思っても、だれのために?自分のため?
オジュグさん:日本の1億何千万人の人は普通の人で、政治家はほんの少しでしょう。ポーランドは8年間同じ政権でしたが、これではあぶないと投票があり、投票率は70%だったそうです。つい最近のことですが、変わりました。戦争をしたくなければ、普通の人が物を言える仕組みが必要と思います。
Yuval Noah Harariという人を知っていますか?イスラエル出身のユダヤ人ですが、おもしろい人です。今までは「知識は力なり」と言われてきましたが、現代は知識や智恵は消えて、「情報」社会になって来たと言われています。「情報の洪水」でどれが重要かを見分ける力が必要です。自分にとって重要でない情報、例えば電話帳を皆暗記する必要は無いでしょう?
Harariは、自分にとって重要なものとそうでないものを見分ける力が大切だと言っています。そのためには、教育の中でその力を養うことや人と意見を交しながら話合いで見つけることなどが必要ですね。人は「物語で物事を考える」という傾向があるとも言っています。事実かどうかは関係なく、人間にひかれて判断する傾向があるとも。これが良いとは限らないのですが。社会の仕組みとして民主主義がいいとは思いますが、「自分が歴史や政治をどう見るか」それは、「自分という存在をどう考えるか」が大切と言っています。それは、自分を理解することによって相手を理解する力を持つからです。
「共生社会」とは、地元の人と外の人が共に生きることでしょう。
Me and Other
児嶋:今日の朝、テレビでNHKの「チコちゃん」の番組を見ていたら、「すべての日本国民に告ぐ」と言い出しました。毎週、聞いているのですが、「日本国民」と言うなよと思ってしまうのです。「住んでいるすべてのみなさん」でいいでしょうと。
オジュグさん:EUなどでは、国を越えようとしていますね。先日、初めて会った人と話していたら、突然、「英語で話して」などと言うのです。
私は、初めから日本語で話していたのに、それに気付かないみたいで、気付いたら 「英語で話して」と言うのです。接する時に、顔で決めているのは、先入観からでしょう。他人との関係は、実感してそれから判断してもらいたいと思います。
「戦争という手段」は、他を排除することですね。もうやめましょう。
亀田さん:先ほどチコちゃんの番組で、「日本国民」と言ったという話がありましたが、日本人は「平和ぼけ」しているとも言われています。どう聞くかについて無関心なのですね。その戦争による怖さの経験がある人は、ポーランドの人たちのように選挙も拒否したりしないでしょう。
オジュグさん:「平和ぼけ」という表現は危険ですね。気付かない内に「平和」は悪いことですという気持ちを持つようになる可能性があります。政治に関心を持ち、理解をした上で、賛成するか、賛成しないかを判断するべきですね。情報に左右され過ぎずに。
児嶋:最近の若者というと、私は小学生からでもそうだと思うのですが、手に入れる情報量が多すぎて、多分判断できないのではないかと思っています。昔の世代の子ども時代とは極端にちがいがあります。この子達が、情報を、将来自分で判断できるかは心配です。
オジュグさん:教育の場でも考える必要がありますね。
M・Kさん:リテラシー(与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力・応用力)に弱いですね。これは今に始まったことではないと思いますが、どう判断するかなどの力が弱いと感じます。
オジュグさん:権力側から見ると、自力で考える国民が増えることは、喜ばないでしょう。権力の都合で動かせられる方がいいですから。ソ連も共産主義で失敗しているので、その点は明らかです。リベラルな方がいいのですが、最も良い選択をそれぞれができるかというと、今のままでは、まだですね。最も良い選択をそれぞれができるよう、「がんばろう」と励まし合うことが大切なのではないでしょうか?
Z・Yさん:選挙も20%くらいで当選するようではだめですね。
オジュグさん:ケースバイケースではありますが、50%くらいはほしいですね。それに想像したことと現実がちがう場合は、現実を重んじる体制であってほしいと思います。
亀田さん:さて、時間も過ぎました。まだ話したい人は個人でやっていただくことにして、今回はこれで終わりにしましょう。ありがとうございました。