2025年10月25日(日)第392回グローバル・セッション・レポート「服飾から見た生活文化シリーズ29回目:「西洋服飾史~エジプト編」」

コンテント

開催日:2025年10月25日(日)10:30~12:30
場所:ガレリア3階 会議室&オンライン
ゲストスピーカー:濱田雅子さん(元武庫川女子大学教授、アメリカ服飾社会史研究会 会長)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:8名
主催:オフィス・コン・ジュント&亀岡国際交流協会
共催:アメリカ服飾社会史研究会

 今回のタイトル:「西洋服飾史~エジプト編」

セッション終了後のレポート

2025年9月27日(日)第391回グローバル・セッション・レポート 「英語という風に吹かれて」

コンテント

開催日:2025年9月27日(日)10:30~12:45
場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:畑佳延さん(元総合商社勤務)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:9名

 今回のタイトル:「英語という風に吹かれて」

内容:内容

  • 英語との出会い
  • 英語にどのように接し、学んで来たか
    • 中学・高校時代
    • 大学時代
  • 社会人になって
  • 英語を学んで良かったこと
  • 英語について言いたいこと
  • 今、していること

自己紹介

亀田(C)さん:畑さんは、GSでのプレゼンテーションは初めてですね。若い時から、ずっと英語と関わりを持って来られたのですね。では、自己紹介から始めましょう。

K・Tさん:個人で映画制作をしています。「Chair」という映画が今、少しずつ評判を得ていますが、英語との関わりも増えていますので、今日は、畑さんがどのように英語を学んで来られたのか興味があり参加しました。

N・Kさん:小学校の教員をしていました。退職後は、ひまわり教室と関わり、母語と日本語で大変な子どもたちが、二ヶ月もすると話す人がいることが驚きです。今は、ラジオ英会話講座と月に2度の英語教室で英語を取り戻そうと勉強しています。

Z・Yさん:GSでは、何度もお目にかかる人がいて、うれしいです。私は、外国につながる子どもたちの支援を学校でしています。子どもたちといっしょに勉強していきたいと思います。畑さんは、英語で新しい道を開かれたと思います。これから、子どもたちも多言語での新しい道をひらいてほしいと思っています。

M・Hさん:GSには、ちょこちょこ来ています。英語は、娘が以前、アメリカの大学に行くというので、もし、私がひとりでアメリカに行かねばならない時がきたらと、学び始め、飛行機の中の英語も理解できるくらいになりました。それ以後、外国に人を受け入れる時に、日本の食品を英語で説明するのに難儀しました。また、簡単な英語を話せるようにしたいと思います。

C・Yさん:中国から来て大阪に住んでいました。1年前に亀岡に来ていましたが、仕事の都合でまた、来月から大阪で仕事をすることになりました。パナソニックインダストリーの関係会社で、国際関係の部門を携わることと思います。11月からは、大阪から宇治へ通うことになります。今までの仕事でも英語、中国語、日本語など多言語を使っていました。日本語、英語、中国語が使えると言っても、仕事上、ニュアンスがそれぞれちがう場もあり、これからは、シンガポールとの関係もあるので、多言語を使いながら、もっと英語を学びたいと思っています。AIも使いながらですが。

N・Fさん:亀岡に生まれて、市役所に勤務しています。母が英語の先生でもあったので、小学校3年生から英語の学習を始めました。大学では国際関係学部だったので、もちろん英語での講座もあり、英語は必要でした。

児嶋:1999年から、亀岡交流活動センターで、Global Sessionを開始し、私が退職後は、オフィス・コン・ジュント主宰として継続し、今日は、391回目になります。毎回ゲストをお呼びし、レポートを書いて、150名くらいの会員にお送りしています。どの会もお話しも、セッションもおもしろいですね。

亀田さん:コーディネーターを最初から少ししてから続けています。大津市在住で、毎月1回か2回は亀岡に来ています。遠くないので京都から30分くらいで来れますね。この間、「国宝」の映画を外国人の友人と見に行きました。その人は5回目だそうですが。普通の日で、朝早いと高齢の方が後ろの指定席に多くいました。トイレに近いからかもしれませんが。映画を撮影した場所が、今は観光地になっているようです。旧琵琶湖ホテルなども。こんどの小泉八雲の映画もおもしろそうですね。

畑さん、ではお願いします。

グローバルセッション開始

畑さん:後期高齢者なので、プロジェクターなどを使わず、話しが飛んだり、繰り返してもご容赦ください。特別に研究したわけでもないので、よろしくお願いします。   

  • 英語との出会い

 小学校からローマ字に興味を持ち、中学校へ行ったのが英語を好きになるきっかけでした。

  • 英語にどのように接し、学んで来たか

◎中学・高校時代

  ①中学1年の英語教科書のLesson one: a pen, a bookとあり、単数形の表示があることを発見した。

  ②NHKラジオ・テレビの英会話番組(初級・中級)の聴講を始める

   松本亨(ラジオ)・田崎清忠(テレビ初級:1年生の12月から)・

   国弘正雄・村松増美(テレビ中級):インタビュー番組で時々のトピックスや文化的背景を学ぶ。(文化的背景を学ぶことにより、英語学習に深みが出た。)

  *黙読だけではなく、声を出して朗読することにより、口が英語に慣れると同時に、耳に英語が自然に入ってくるので、一挙両得である。

  ③海外文通:同世代の若者と手紙で情報交換

    テキストにPen pal募集の欄があり、試しに出すと、返事が来た。

    筆記体の練習にもなった。

  ④訪日外国人との語らい:学習している英語会話を実践に移そうと、電車の中などで、観光客に話しかけた。快い返事が戻って来た。

  ⑤英語関連雑誌や本の購読

    「時事英語研究」・「英語青年」・「Readers Digest」その他

  ⑥英文学を読む(精読・音読) Charles Dickens. Kazuo Ishiguroなど

  ⑦ワークキャンプに参加した。(日本基督教団主催)

    アメリカの高校生とユースホステルに宿泊し、生活を共にしながら、近隣酪農農家の酪農地開拓作業を手伝う。(岩手県二戸郡)

    一つの目的の下、共に勤労奉仕することで、強い絆が出来た。  

◎大学時代

  ①実用英語技能検定試験(英検)1級に大学(同志社)1年に合格

    特別の英検用の勉強はしていなかった。こつこつとやっていると、気づかないうちに成果が出た。

  ②ESSに入部:質を上げるためには、知識が必要とわかり、いろいろな活動をした。

    Recitation Contest/ Speech Contest/ Debateなど

  ③海外青少年との交流~世界青少年交流協会での活動

    1970年世界青少年交流協会主催の派遣団員募集に応募し、旧西ドイツを1か月訪問した。(ドイツ南部地方・ベルリン)

     *ベルリンの壁を目の当たりにして、東西冷戦の厳しさを肌で感じた。

    帰国後、海外からの青少年受け入れや交流事業を行う。(京都周辺の案内・会社訪問・意見交換会など)→交流活動は、すればするほど難しくなる。なぜなら、自国のことをよく知り、自分の意見を持っていなければならないから。

    京都市・亀岡市とも協働

  • 社会人

 就職:海外との接点のある仕事を求めて、総合商社に入社

  仕事の内容:主計・財務(経理)

        米国会計基準に基づく英文の連結財務諸表の作成(Annual Report)

                海外駐在(英国7年・米国5年)英国では発音の美しさに触れる。

  • 英語を学んで良かったこと
    • 世界に目を向けるきっかけになった。
    • 世界との距離が近くなり、コミュニケーションの幅が広がった。
    • 海外の情報に時々、直接触れることで視野が広がった。

 世界の出来事、海外での報道の仕方、今 何が奉じられているかなど

  •  グローバルな人間関係を構築することができた。

ワークキャンプで知り合った米国人家族との交流

海外駐在で知り合った人々との絆(隣人・現地社員・公認会計士など)

  • キャリアの選択肢が増える(若い人向けに)
    • 脳の活性化に役立つ(主に高齢者に)
  • 英語学習について思うこと
    • 英語を学ぶ目的や目標を明確にすること

 目標は人それぞれで、日常会話ができれば良い・いやもっとなど。

  • オールラウンドな英語能力の習得をめざすこと

 世の中は、会話だけではなく、文章作成・会議・講演会に参加・読解など

  • しっかりとした英語力を実に付けること

 *内容のある英文を読む

 *話し相手は、英語の上手下手せなく、何を話すかを見ている。

 *英語で何をするか、何を伝えるかが重要

  ④ 英語を話すことは、特別なものでは、もはやない。

     *自動翻訳機や英語話者の増加→英語を話せる優位性は、低下してきている。

      →操る英語の中身の重要性が高まる。

  ⑤ 英語は、勉強するだけでなく、使うことが必要

 *INPUT ↔ OUTPUTの相互作用

 *Native Speakerとの接触する機会を持つ(英語を使う機会を多くする創意工夫) 

  ⑥ 現在は英語を勉強するには、恵まれた環境にある

     *インターネットの普及で英語に生の英語に接することができる。

    勉強する側の努力次第

  ⑦ 雑学をする→英語の幅を広げる

     *英文学者など専門家の英語に関する著書を読む

→英語を取り巻く知識が身につく

英語=骨  雑学=筋肉・神経

  ⑧ 「正しい英語をモットーに」を頭の隅に常に置いておく

  • 今、していること

*「天声人語」(英文対照)

*「Readers Digest」

*「Time」

*「Economist」 などの積ん読

*英語ニュースを聞く

*「朝日Japan Times」(日英)なども

亀田さん(コーディネーター):では、みなさんの感想があればどうぞ。

N・Fさん:どうやって卒業後も英語を勉強したらいいのかと考えていました。ちゃんとした英文をこれからも読むことが大切とわかりました。

畑さん:毎日、こつこつとやることが必要ですね。この積み重ねと楽しく学ぶことも。

Z・Yさん:日本の英語教育では、日本人が英語を話したいと思い、始めたのでしょうね。

 私は、外国につながる子どもの支援の仕事をしていますが、学校での英語の先生の使い方がもったいなあと思います。アメリカ出身の英語の先生がいても、10分ほどしか話す機会がなく、ほとんどが日本人の先生が指導していますね。

児嶋:私は、亀岡市やその他の地域がALTを入れるようになった最初から、関わっていました。文部省でその説明会があるので行ってと言われ、東京に行ったことも覚えています。もう、随分前ですが、それからも、ALTの先生方の入れ方については。まだまだなのですね。

C・Yさん:自分の子どもがしばらく日本の小学校に入り、今は中国の学校に行っているのですが、宿題はほとんど紙で、タブレットも、もらっているのに使っていないのはもったいないと思います。タブレットの子どもたちへ持たせてどう使うかの学習が必要でしょう。

M・Hさん:先生が十分、使い方がわからないのかもしれませんね。

C・Yさん:先生へのデジタル教育も必要かも。

N・Kさん:10年前に教師を退職して、今は、孫達の世話もしています。先生の悩みは時間が無いことです。6時、7時まで学校で仕事をし、家に帰って家事をすませ、10時ころから家で仕事をする日々でした。授業をするには、準備が必要で、子どもは3:30ころ下校しても、その間休み時間も、給食時間も指導が必要です。その間、鍵もあり、宿題も見なければなりません。新しい機器はいいのですが、研修が必要でなかなか時間が取れない場合もあります。先生は矛盾を抱えながら毎日指導している状況でしょう。

C・Yさん:中国では、ひとつのクラスに3、4人の先生がいて、各教科は別の先生が教え、食事時間などめんどうを見てはいません。担任の先生はいますが、大体国語の先生です。授業の中で聞かなかったら、その子どもの問題と言われています。

Z・Yさん:学校に行くと、先生の仕事が多いなあと思います。8:00には、登校指導もあり、8:30になると、先生達はいつも走って居るように思います。

C・Yさん:日本では、いろいろ改善することが好きなようですが、それにも限界があるでしょうね。

N・Kさん:ひとつを後で、入れようとすると、どこかを切らなければならないですね。

M・Hさん:昔は先生と遊んでいたような覚えがありますが。

Z・Yさん:元気ではない子どもの数も増加していますね。特別支援教育の必要な子も増えて。先生が足りないですしね。

N・Kさん:学校に外国につながる子どもがいれば、Z・Yさんのような先生がいたら、先生も安心だと思います。

C・Yさん:日本の教育を批判するつもりではないのですが、この構造の内部だけにいたら、見えないことがあり、それをどうやって見直すのだろうかと心配です。

N・Kさん:膨大な仕事に自分の生活を奪われ、心を病む先生が普通にいる状況です。カウンセラーの方との連携も必要でしょうね。もう量的にパンクですね。

畑さん:私は、小学生から、学校で英語を学ぶ必要はないと思っています。それよりも先に日本語をしっかり先にやり、自分を確立させることが必要と思います。もっと英語をと思う親は、それぞれに英語学校に行かせたらいいのです。好きこそものの上手なれと言われていますから。

C・Yさん:私は2月のGlobal Sessionのゲストですので、そのつづきはまた、その時にやりましょうか?

畑さん:私は、亀岡の内丸町に生まれ、大学は同志社で、家から通学していました。英語も話せるようになりますよ。

亀田さん:ここへ来るまでに、嵯峨野線に乗りますが、二条駅でアナウンスがあり、日本語で「遅れます」と言うのを聞いたのですが、その時は英語のアナウンスはありませんでした。日本語がわからない人はどうしたのだろうと心配になりました。

 さて、時間が12時半を軽く超えてしまいました。もっと感想が在る人は、児嶋さんに送ってください。

2025年8月31日(日)第390回グローバル・セッション・レポート 「パレスチナ、イスラエル、そして私たち」

コンテント

開催日:2025年8月31日(日)10:30~12:45
場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:大橋晶子さん(元京都新聞記者)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:15名

 今回のタイトル:「パレスチナ、イスラエル、そして私たち」

2025年7月27日(日)第389回グローバル・セッション 「世界を繋げるには?」

コンテント

開催日:2025年7月27日(日)10:30~12:30
場所:ガレリア3階 第3会議室
ゲストスピーカー:テオ・ディアスさん(ブラジル出身・翻訳家)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:14名

 今回のタイトル:「世界を繋げるには?」

参加者自己紹介

亀田さん(コーディネーター):「ボンジーア・トードベン?」今日は、テオさんのプレゼンテーションです。いろんな事にチャレンジする方です。では、参加者の方の簡単な自己紹介からお願いします。

Y ・Sさん:台湾から来ました。今は京都の山科に住んでいます。自分の会社を持って経営しています。

E・Oさん:去年の8月に再び亀岡に住みはじめました。今は、JTの子会社に勤務しています。

Y・Hさん:会社を10数年前に退職し、今は無職です。Global Sessionに参加し、いろいろな話しが聞けてうれしいです。今日は、翻訳の話で新しいサブジェクトだなあと期待しています。

Z・Yさん:亀岡市役所の学校教育課の外国につながる子どもの教育支援の支援員をしています。テオさんとは、日本語学校で知り合いました。

H・Mさん:日本語教育の教師で、煎茶クラブにも入っています。

Guさん:ブラジルから参りました。テオさんとは、日本語学校で知り合いました。今は、社会人です。

Gaさん:ブラジル出身です。今はビザの更新中です。

Tさん:日本語学校で学習中です。ブラジル出身です。

H・Mさん:亀岡で木綿の会社を経営しています。綿で世界が拡がることを望んでいます。Z・Yさんの紹介で、Global Sessionに参加し、拡がってきました。

M・Sさん:お知らせですが、この8月24日(日)にガレリアでワールドフェスタがあります。

このゲストのテオさんにも、ブラジルコーナーで手伝っていただきます。亀岡は4つの姉妹都市や友好都市があります。(アメリカ・ブラジル・オーストリア・中国)プラス今年度は、ウクライナのコーナーもあり、5つの国のコーナーがあります。みなさんもまた、亀岡のミニ万博に参加してください。

児嶋:このGlobal Sessionは、1999年から開始し、大体月に一度開催してきました。もう20年以上になりますね。

亀田さん:私は、亀岡ではなく、大津市から来ています。JR大津駅から京都駅まで10分で、亀岡駅までは30分弱です。京都市内をぐるぐる回るより近いです。滋賀県には、大きな工場に、ブラジルやペルーから来て仕事をしていました。そのため、日系の方達はブラジルへ渡った1世から算えると、もう4世くらいの人が、日本に来ていることになります。近年は、愛知県などに工場が移動し、仕事が少なくなり、ブラジルに帰国する人も増えてきたようです。

では、テオさんの自己紹介から始めて、お話をお願いします。

グローバルセッション開始

テオさん:本日は参加していただきありがとうございます。私は、来日3年目になります。2022年に来日して京都民際日本語学校で1年間学び、就職し、正社員になりました。今は、その社員と翻訳者の二つを持っています。翻訳は主に、ゲームの翻訳でおもしろくて、楽しいです。Global Sessionのお知らせのタイトルから見てください。

タイトル:世界を繋げるには?

1.イントロダクション

 架け橋>何をつなげる?

  • 文化・社会・言葉・人・知識

2.翻訳者の仕事とは

  • 技術的な面では?
  • センスとしては?
  • 探究心的面では?

 愛国心的面では?

3.翻訳を味わいましょう

  • 井関隆子日記 抜粋翻訳

4.翻訳の地獄と醍醐味

タイトルは、「世界を繋げるには?」ですが、何を繋げるのか?

 日本人の常識は、「時間を守る」がありますが、ブラジル人は、守らないと言われています。遅刻することは、日本では許されないですが、ブラジルでは、ある程度はしてもよいと思われています。日本では当たり前の事が他の国では当たり前でないことがあります。そこに通訳が必要です。社会の常識などで、他の国の人には、理解できないこともあり、誰かが翻訳や通訳しなければ理解できないことが、実はたくさんあります。

Z・Yさん:日本人の友情と中国人の友情は同じと思いますか?どの面から見るかでちがいもあります。

テオさん:ことばの感覚のちがいもあります。ポルトガル語のサオタージュということばがありますが、普通は、恋しい、さみしいなどの意味ですが、お母さんの料理がなつかしいという場合にも使います。

M・Sさん:日本語で「おつかれさま、よろしくね」と言いますが、英語で最初に「おつかれさま」とは、言わないですね。

堤健介さんの登場(最後の参加者)

亀田さん:K・Tさん、自己紹介をまず、してください。

K・Tさん:亀岡に住んで、映画作りをし、脚本も書いています。(先月6月のゲスト)

テオさん:誰でも翻訳者になれるわけではありません。通訳は聴く力が必要で、翻訳は、読解力が必要です。また、母国語をしっかり理解している必要もあります。言語は生きているので、勉強は、一生しなければならないと思っています。言語はまた、時代を超えて行くので、新しい言い方も避けられないと思います。

センスとしては?

 本音と建て前のちがい・ことばのあや・ジョークやだじゃれ・いやみや皮肉なども、文化を理解できなければ、いやみでもいいことを言っていると思い込むことがあります。

探究心的面では?

  いろいろな人と関わる(経験は武器)

  本をたくさん読む(語彙力を持たなければならない)

  よく聴く・よく話す(あやしい人とも関わるとか・・)

愛国心的面では?

  生まれ育った国が一番と思い、自国を知らないといけない。翻訳している相手はブラジル人なので。バランス感覚も必要

テオさん:ここまでで質問はありませんか?

Z・Yさん:「自国への愛が必要」と言われましたが、自国の良い所を言えても、悪いところをいうのは、ダメですか?

テオさん:愛国心は一番必要ですが、もちろん悪いところもありますが、自国が好きです。

E・Oさん:テオさんは、自国愛があるのですね。

テオさん:生まれた国が一番です。自分の国を出てきたのは、国がきらいというわけではなく、日本語が好きでもっとやりたかったからです。

児嶋:このメンバーの中には、仕事で外国に暮らした方達もいますよ。M・Sさんも日本人学校の教師として3年間シンガポールにいらしたし、私も家族でブラジルに3年間いました。

テオさん:「灯台もと暗し」という言い方がありますが、離れてから、よく見えて来ることがありますね。

3.翻訳を味わいましょう

テオさん:文化庁のコンクールの翻訳部門に挑戦しました。『井関隆子日記』という天保11年八月十六日の日付のある、文章で上巻と下巻の一部の文の日本語から英語への翻訳の課題です。みなさんにおくばりしますので、自分で現代語に一部でも翻訳してみてみださい。注釈もありましたが、完成するまでには16時間かかりました。

 みなさんも翻訳してみてどうですか?難しいですね。翻訳された文を読んで見てください。

Y・Hさん:この時代に歯の治療をしてもらい、その後痛くて外したという話ですね。

グスタホさん:ポルトガル語で言ってもいいですか?

  「・・・・・」 

テオさん:翻訳をしているときには、となりの人に助けてもらいました。そうでなければ、もっと時間がかかっていたと思います。

Y・Hさん:この井関日記というのは、そうとう長いのですか?

テオさん:上巻と下巻の文章があり、課題が出ていました。

M・Sさん:外国人の方も多く挑戦されたのですか?

4.翻訳の地獄と醍醐味

テオさん:地獄というのは、孤独ですね。通訳の場合は、ひとりでやる仕事ではないのですが、疲れます。倒れた人は何人もいました。

亀田さん:長い時間はやれないですね。NHKなどでも通訳の人は、交替しながらやっていますね。

テオさん:翻訳者は、在宅勤務ですが、いろいろなことを調べなければならないので、地獄と醍醐味と両方あります。

M・Sさん:語彙力と語学力と両方必要ですね。2022年に来てから、日本語の学習を始めたのですか?

テオさん:日本に来る前の8年間ブラジルで、16歳から日本語学習をやっていました。日伯文化協会で。自分は日系ではありませんが、母は英語もやっていて、英語からポルトガル語に訳したり、その反対のポルトガル語から英語に訳して貰ったりしながら、学んでいました。技術翻訳は、難しくはないけれど、おもしろくなかったです。

Y・Hさん:16歳で日本語を始めたと言われましたが、その動機はなんだったのですか?

テオさん:母が日系の方達と関わりがあり、「おばあちゃん」と呼んでいた人とも親しくしていました。その方は、100歳で亡くなりました。

 おじいちゃんの親友に堀ジューンさんという人がいて、漫画やアニメなどの日本語をポルトガル語にして見せてくれました。なんだかパズルを解くような感じで、自分の手でやってみたくなりました。

 今日の資料は、児嶋さんから、またメールで送ってもらうようにします。

M・Sさん:AIがやる時代が通訳、翻訳の世界にも来るかもしれませんね。テオさんは、どう思いますか?

テオさん:確かに話題になっていますね。AIは業界を変えるのではないかと。

M・Sさん:競争相手がAIとか。

テオさん:情報だけ伝えることはできると思います。ただ、クリエーティブにことばを替えながらやることはAIではできないと思います。最低レベルで理解したことの翻訳などは質は悪くないと思います。

M・Sさん:翻訳ではAIの力は疑問がありますね。ロンドンで吉本ばななさんの小説の翻訳がとても売れているようですが、翻訳者が育っているのですね。作者の個性を、日本語から英訳することでも出せているのですね。

テオさん:今回の文化庁のコンクールを出版するのは、コンクールの翻訳者で、出された物は、皆ちがうはずですね。でも、AI翻訳なら、ひとつでコピーになりますね。

グスタホさん:人はみなちがうので、翻訳もちがうでしょう。

Y・Hさん:文学作品は、ちがうはずですね。文化に根ざしていますから。AIがすべて組み取ことはむずかしいでしょう。

児嶋:文学作品の翻訳を読むことも、その国の言葉を理解する上で大切なことだと思います。

 私は、今ハングルをラジオ講座などでも学んでいますが、その国を理解することが。言葉の理解にもつながるので、最近は、ハングル文学などを日本語に翻訳され出版された本を何冊も読んでいます。語学の奥の理解ができるようで。

テオさん:AIが使う能力は、完璧ではないです。AIに丸投げしてはよくないですね。翻訳者としては、自分の長所は、クリエーティブでおもしろい文が書けることと思いますが、弱点は、文法力が低いので、ときどきAIに聞くことがあります。

K・Tさん:『井関隆子日記』を翻訳されて難しかったことはありますか?

テオさん:上巻の最後に短歌がありますね。

 「もえ出る春ともいはずかなしきは老その森のおちばなりけり」

 注釈:もえ出(いず)る春:歯が抜けたのが「如月(きさらぎ)のころ」

    如月(二月)は盛春なので、このように詠みだした。

テオさん:如月は初春なので、盛春とはいいにくいのではないか?

 「歯の落ちる」と「葉の落ちる」をかけているが、翻訳で英語にしたら

 どこまでニュアンスを近づけていけば良いか

E・Oさん:思考がおいつかないのですが、現代日本語を英語やポルトガル語には翻訳できる人も多いと思いますが、古代語を英語に直すなんてテオさんは、すごいですね。

テオさん:自分の文化は、誰でも少しはわかると思いますが、翻訳者になりたい人は、たくさん本を読むといいと思います。

E・Oさん:テオさんは大学時代から、翻訳もやっていたのですか?

テオさん:大学時代は、通訳や翻訳はしませんでした。

児嶋:私が英語で通訳や翻訳をしなければならなかったのは、亀岡にオクラホマ州立大学京都校が1990年に開校してからです。それ以前から、開校準備で英語でのやりとりをしていましたが、その学校にやってきたアメリカ人の教授たちは、日本語は話せないので通訳もし、日本人のスタッフも話せる人は小数だったので、相互のコミュニケーションのために朝から晩までやっていたのが初めてでした。でも、自分が話したり、書いたりするのは楽ですが、他の人のために通訳、翻訳するのは、だんだんむかついてくることもありました。

亀田さん:私は、観光ガイドの仕事ですが、通訳はしんどいです。言われた事を通訳しなければならないし、それも正確にです。自分のイメージで話してしまうこともよくあります。

テオさん:私も先に通訳をしていたのですが、翻訳者に切り替えました。

亀田さん:今日の内容も大変ですが、その時代によって状況もちがうので、わかりやすくするために、日本の天保年間は、たとえば、英国では、いつごろかなどの説明もいるのではないでしょうか? 

 では、12:30も過ぎましたので、これで、おわりにしましょう。

8月のグローバルセッションは?

2025年6月22日(日)第388回グローバル・セッション 「短編映画『Hola! 出来島!!』~「こんにちは」からはじまるコミュニケーション〜」

コンテント

開催日:2025年6月22日(日)13:30~15:30
場所:ガレリア3階 第2会議室
ゲストスピーカー:堤健介さん(映画脚本家・亀岡市在住)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:14名

 今回のタイトル:「短編映画『Hola! 出来島!!』~「こんにちは」からはじまるコミュニケーション〜」

参加者自己紹介

亀田(コーディネーター):では、自己紹介からお願いします。

M・Hさん:何も無い人ですが。数年前まで「へき亭」をやっていました。今は1から勉強中です。堤監督とはつながりを持っていました。

K・Nさん:ぼくも。堤監督とのつながりがあります。『chair』を見ていなかったので、今日の上映を楽しみに来ました。

Z・Yさん:私もM・Hさんの紹介で堤さんとは会ったことがあります。楽しみです。(外国につながる子どもの亀岡市の支援員)

M・Yさん:多文化共生をテーマに映画を作られたと聞き、来ました。外国人がいっぱい来ている京都に住んでいるので、興味があります。国立博物館で、「美のるつぼ展」なども見たことがあります。知ると世界地図が変わる気がします。

S・Oさん:デザイナーで、クリエーターで、映画作りもしています。4月には、インドネシアの撮影クルーと『ピンクランドリー』を撮影しました。亀岡に住むコーディネーターとしていろいろやっていきたいと思っています。

E・Oさん:JTの子会社に勤務しています。短編映画を撮影されたということですごいなと思って来ました。

M・Mさん:「やさしい日本語」を広める会をやっています。日本語を第1言語とする人たちに、外国人との話し方を考える仕事です。

K・Yさん:日本語教室で教え、ひまわり教室でも10年前から指導しています。今年は亀岡の支援コーディネーターとしての仕事もしています。

H・Mさん:結城テキスタイルという木綿屋をしています。堤さんとは、食でつながっています。

Y・Hさん:以前は商社に勤めていましたが、今は亀岡に帰り、無職です。Global Sessionではいろいろな人と会えるので、ずっと来ています。

M・Fさん:映画会社に居ました。今も太秦で子どもたちに映画つくりを教えています。

S・Fさん:日本語教室のボランティアを続けています。最近、日本語N4レベルのフィリピン出身の生徒さんに「老人」と「高齢者」はどうちがうのかと聞かれました。 「老人と呼ばれたくない高齢者もいる」などと言っていましたが。」

児嶋:このGlobal Sessionは、私は亀岡市交流活動センター勤務時代の1999年から始め、今も継続していて、20年を過ぎましたね。いろいろな方が、いやといわずにゲストに来ていただけるので、続いていると思います。ゲストと参加者との接点がおもしろいですね。それと、毎回、レポートを会員さんに参加者だけでなく、150名ほどに送っています。帰国された外国人ももちろん含まれます。今回もよろしくお願いします。

亀田さん:ツアーコーディネーターですが、ここでみなさんとお会いし、いろいろ話しができるのが楽しみです。最近大阪の文化に興味のある外国人の移住が増えていて、京都と大阪のちがいにおもしろさを感じている人に合いました。京都も大阪もなじめば、長く居られると思います。

グローバルセッション開始

堤さん:私は、亀岡の生まれで、主に独立系映画の脚本家として活動してきました。一昨年、亀岡でオールロケを敢行し、短編映画『Chair』を制作しています。今回上映した『Hola! 出来島!!』は、出来島商店街の方から依頼があり、制作されたものです。16分くらいの短編映画ですので、まずご覧ください。

(内容:児嶋)(参加者は説明はなく、映画をまず、鑑賞しました)

「子どもたちに出来島商店街のことをそれぞれ聞いてきて、どんな店かを話してもらうようなストーリーです。その中で、ペルーから来たとされている少女が、商店街の人たちと心をひらき、なかよくなっていくというようなストーリーです。」

堤さん:ありがとうございました。この映画のキャストさんは、ほとんどが素人さんです。プロは、日本語学校の先生をしている人だけでした。

脚本:堤健介 この映画の監督は、いつも組んでいる岸本景子という女性です。映画を企画し、物語の舞台ともなった出来島商店会さんは、大阪府西淀川区にあり、製造や物流に関する中小企業の多い街です。尼崎の手前にある街で、尼崎生まれの母が、よく出来島の駅を利用していたそうです。僕も一時期、西淀川区に住んでいたことがあり、出来島は縁のある街です。当時製造業に勤めていたこともあり、同僚には実習生のベトナム人の方が多くいました。近年、出来島には外国人の移住労働者の方が増えてきています。

 先ほども触れましたが、出来島商店会さんから映画を撮ってほしいと依頼がありました。これは助成金事業の一環で、商店会のPRになりつつ、でもちゃんとした映画を撮ってほしいというものでした。

 そこで、僕と岸本はどういう物語が良いのかと考えました。

 まず出来島商店会では、外国につながりをもつ子どもたちに向けて、日本語教室の活動に取り組んでいます。ブラジル、ペルー、パキスタンなどいろいろな国にルーツを持つ子ども達が通っています。

 そして、商店会に加盟しているお店で、子どもの通学時のあいさつ運動をしているお店がありました。子どもに声かけをすることで、安否確認や防犯活動になっています。日本語教室に通う子ども達と、このあいさつというものをかけあわせたら、何か面白い映画ができるのではないかと考えました。

 ですが、実際日本語教室に足を運び、外国にルーツを持つ子ども達の現実を目のあたりにして、映画を撮ることで何ができるのかと悩みました。現実をそのまま表現するのはあまりにも酷です。そこで、外国にルーツを持つ子どもや商店会の方々が、映画制作に参加して楽しい思い出になるようなものを作ろうということになりました。

 そこで、日本語教室に通うペルーにルーツを持つ女の子が、地域のフェスティバルで商店会のことを調べて発表するという物語が生まれました。

 移住者の相談役をしているセリアさんという女性から、ペルーにルーツをもつ当時小学4年生のカミラちゃんを紹介してもらいました。最初、カミラちゃんに会ったときは大変でした。知らない大人達と会うので、ずっと下を向いているような状態。なんとかお互い歩み寄りをして、カミラちゃんに映画出演のOKをもらいました。

 そして、やっと脚本ができました。カミラちゃんにその脚本を読んでもらうと、機嫌が悪い。今でもすごく印象に残っているのですが、その時、カミラちゃんは、図書館で借りたまんがをポンと僕の前に置きました。あー、僕の脚本が面白くなくて、こういう話がやりたいのかなと思いました。ですが、カミラちゃんの話をよくよく聞いてみると、そうではありませんでした。そのまんがには、難しい漢字にふりがなが振られていたのです。一方の僕の脚本には、漢字がびっしり。僕には、小学校4年生ならこれくらいの漢字は読めるだろうという先入観がありました。ですが、外国の言葉を喋るお母さんのもとで暮らしているカミラちゃんには、その漢字が読めませんでした。すごく自分が恥ずかしかった。僕はカミラちゃんという読み手のことを考えていなかったんです。この時、相手のことを考えて書くという姿勢を学びました。

 そこで、僕は脚本を書き直しました。基本はひらがな。少しでも漢字があればルビを振る。文章表現も、本当に簡単なものにしました。これで、カミラちゃんから脚本のOKをもらいました。

 撮影は、トータルで3日間。カミラちゃんは自分の考えを持っている子どもで、割とこまかい演技もしていました。商店会の方達も、いろいろ手伝ってくれて、出演もしてくれています。はじめは和気藹々と撮影をしていました。

 ところが、1日目の夜、プロデューサーの保坂直希(本来彼は役者なのですが、スタッフもこなせる優秀な男です)が言いました。「プロじゃない子どもは、必ずどこかでショートする。その時、どうやって監督が相手と向き合うかの勝負だ」と。直接監督に言いなさいよと思いましたが、その時、周りに対してのフォローが必要になるという心構えを教えてくれていたのだと思います。

 だんだん撮影を続けているうちに、子ども達の集中力が切れてきました。監督の岸本にもイメージがあり、カミラちゃんの演技に要望が増えていきました。

 やっぱりと言いますか、突然カミラちゃんがショートしてしまって、「帰りたい」と言い出しました。監督の岸本は、一所懸命カミラと話し合いました。そこで岸本は、「この場面は、あと一回で終わるから好きにしていいよ」とカミラちゃんに伝えました。岸本自身も自分のイメージを優先し、カミラちゃんの考えを尊重できていなかったと気づいたからです。カミラちゃんもようやく首を縦に振ってくれて、本番となりました。とても自然で良い演技で、一発OKとなりました。

 さて、カミラちゃんとコミュニケーションが一番うまかったのが、カミラちゃんの相手役の居酒屋のおばあちゃんでした。誰に対しても自然に接し、カミラちゃんに対しても「どうしたい?」と相手から抽き出し、打ち解けた感じの撮影になりました。

 撮影が終わると、発表まで1週間しかありませんでした。そのため、私は、3日間寝ずに編集を仕上げました。特にクライマックスのダンスは、最初から最後までぶっ通しで撮影した素材ばかりですので、どこを選ぶべきなのか頭を抱えました。

M・Fさん:描写の部分が、もうちょっと入っていた方がいいと思います。草津で子どもたち相手に映画作りを指導しています。6回を目処にやっています。1回目は、シナリオを読んで、難しいと思うところを探ります。「カメラをやりたい?」とか聞いて、監督も子どもがします。2日目は、撮影に入ります。子どもにはやりたいようにやらせます。子どもはおぼえが早いので、15、6分の映画を作成しています。この映画の出演者の女の子は、最初は、暗い感じだったのに、最後は明るくなりましたね。

堤さん:私も口は出すところは出しましたが、基本は子ども達に任せていました。

M・Fさん:部屋の照明はどうしましたか?3日間の撮影と言っても、そろえるのは難しいでしょう?

堤さん:イベントのシーンを入れるときの照明がむずかしかったです。

M・Fさん:映画つくりで考えていることは、1:スジ 2:ヌケ 3:ドウサの順で必要なことを考えています。これは、シナリオがまずあり、技術が次で、最後が役者と思い、自然にみえるようにと考えています。

Y・Hさん:感想ですが、映画を依頼されたのは、PRのためと聞き、驚きました。それでも、人と人との関係がものすごく映画に出ていますね。そこのくらしの一部分という印象を受けました。忘れかけている人間社会のあたたかさのある風景が出て居て、PRよりそのような感じが大きかったです。

堤さん:商店会さんからPRなんだけど映画になるものをと言われ、どういう物語ができるのか本当に考えました。ダンスの場面で出てくる壁の飾りは、カミラのお母さんが作った物です。みんなで力を合わせて取り組みました。上映が無事終わったときに、「やってよかった」「またやりたいね」と聞きました。
 カミラちゃんも、この映画に出演したことがきっかけで、出来島に開催されたファッションショーから声がかかりました。
 撮影後、カミラちゃんが居酒屋のおばあちゃんを訪ねて、映画のごっこ遊びをしていたと聞いています。

 最終的に思う事は、あいさつは出発点なのだということです。「こんにちは」というだけでなく、そこからどう関係性を深めていくのかが大事なんだなと思います。お互いに価値観の違いがあり、それとどう向き合っていくべきかなど考えました。

M・Fさん:ペルー出身のおかあさんと聞きましたが、南米までは何時間かかるのでしょうか?直行便はないですね。

H・Kさん:アメリカはややこしいので、メキシコに行ってからの方法やドバイ経由もありますね。

M・Hさん:むすめが行ったときには、カナダのアトランタ経由でした。

H・Kさん:アメリカは税関がきびしいので、また、時差もあり、なかなか難しいですね。

S・Fさん:出来島商店街というのは、本当にあるのですね。ペルー生まれの子として出演していたましたが、実際は、日本生まれですね。

堤さん:カミラちゃんは、日本生まれです。カミラちゃんは、家にいるとき、お母さんとスペイン語で話しているそうです。

M・Mさん:「やさしい日本語」の会では、相手に何とか伝えようとしたり、相手から引き出す努力が必要と思います。以前、生まれた時からピアスをする習慣のある国から来ていて、保育園などでは、怪我をする恐れがあるので、何とか伝えたいと思われたケースがありました。

堤さん:何でもまず、「聞く」という姿勢が大切でしょうね。

児嶋:生まれは日本なんだけど、この出演している子どもさんには、「あなたの国で、こんにちははどういうの?」と聞いていましたね。この子は抵抗はなかったのかな?

M・Hさん:この子は、日本生まれですよね。このような映画はすばらしいので、亀岡で撮影してもらって、上映したらいいのでは?

児嶋:私は、実話かと思って見ていて、商店街の方達も、つながりを持とうとしている様子がよく感じられました。

M・Hさん:これからは、たくさん来られるはずで、多文化共生はどこでも必要ですね。

児嶋:亀岡市は、実は現在も、他の市町村よりは、圧倒的に進んでいます。学校での支援員やコーディネーターを市の職員ベースで、今年から雇用が始っています。これは、とても大きな変容です。ここに参加されているZ・YさんとK・Yさんが、その当事者ですが。

Y・Hさん:これから、外国人労働者を雇用しなければやっていけない時代がきますね。その後、家族持ちのファミリーも増えると、子どもたちは学校へ行きますからね。

M・Hさん:亀岡市は米を一時的に供給するだけでない、支援が必要になりますね。

M・Yさん:政府も1週間前に、外国人受け入れの法整備をすると公約し、調査を始めるはずです。

S・Oさん:人に届けることは、物が最適ではありますが、情報も届ける必要があるでしょうね。

堤さん:映画を作る時に、監督の岸本さんと話していたのは、相手が何がやりたいかを聞き、人と人をつなぐことが大切ですねということでした。説明や情報もつめこみ過ぎたら伝わらないですね。そのうえでどのくらいの説明や情報が必要なのかは考えています。

M・Yさん:子ども達は、大人の目的だけで、期待されすぎると、緊張するでしょうね。

児嶋:ひまわり教室も、外国につながる子どもや保護者の学習支援活動を10年間しているので、時間があれば、また予定の日に来てみてください。理解したときの子どもたちの喜びを実感できますよ。

K・Yさん:ひまわり教室では、それぞれの子どもたちが、出会うことを楽しみにしているのがよくわかりますよ。

M・Hさん:昨年、亀岡の花火の日に孫が来ていたので、いっしょに見に行ったのですが、橋の上に人が多く、警備員の人が「止まらないでください!」と何度も何度もいうのでうが、外国人も多く、理解できないようでした。中国語や、英語やハングルくらいの看板が必要なのではないでしょうか?

S・Fさん:亀岡には今年、1400人くらいの外国籍市民がいて、そのうち700名くらいが、実習生のようですね。私も日本語教室で指導をしていますが、毎回、10数人くらいしか出席していません。「どこへ行ったらおもしろい?」とよく聞かれますが。

 介護士の国家試験には、N2かN3が必要で、技能実習生も最大5年で帰国する法もあり、なかなか大変ですね。

K・Yさん:家族でも日本語の読めない両親もいて、保育園や幼稚園の先生方も大変です。

児嶋:1400人の外国籍の人だけでなく、どちらかが日本人の保護者の場合は、子どもは日本国籍をとれるので、もっと外国につながるひとの数字は大きいし、これからも必ず増えるという予測があります。それに対応できる方法を先取りする必要があるのです。

 K・Yさん:技能実習生は日本語力で上に行けますが、逆に、日本語の読めない外国人の両親もいます。親戚の中国につながる社長に呼ばれて、家族で来ている人もいます。その子どもさんは、保育園や幼稚園から亀岡に住み、親の通訳をする子もいます。

Z・Yさん:習慣やことばのちがいでコミュニケーションでトラブルがあることもたくさんあります。子どもたちは学校に来るので、学校の先生方は大変です。

M・Yさん:この地域の映画を作ってほしいですね。

堤さん:南丹市のほうで、日本人の子ども向けではありますが、ワークショップ形式で映画を制作されている方がいると聞いたことがあります。

Z・Yさん:日本では外国人とみると、すぐに英語で話そうとする人がたくさんいます。英語圏でない国から来た留学生が不満を言っています。

M・Hさん:欧米系の人は、母語が英語でなくても、英語が話せる人が多いですね。

児嶋:この役の女の子は、家ではお母さんとスペイン語で会話しているようですが、それもずっと続いてほしいですね。

K・Yさん:親の通訳をするヤングケアラーは、学校を休んででも、やっている子もいるようです。

児嶋:たくさんの外国人を技能実習生として雇用している会社は、自分の会社で、日本語学習教室として先生を雇用して作ってほしいと思っています。日本語教室も亀岡にはありますが、日曜日に開校しているのですが、日曜日が、いつも休みとは限らない実習生もたくさんいます。やはり会社内で、毎日のように時間を決めてやる必要があると思っています。

E・Oさん:日本語を学習してから来てほしいですね。

児嶋:みなさんが、外国に行き、数年間住む予定がある場合、その国の言葉を学んでから行く事などは、無理です。

M・Hさん:この映画を桂川市長さんにも見せてあげてください。地域の人たちとのつながりがよく見えてきますね。

A・Oさん:遅れてきてすみません。元京都新聞の記者で亀岡に赴任していました。この映画のように、外国につながる人たちとの活動をこれからは、もっともっと熱心にしていかなければならないと思いました。

H・Kさん:時間が3:00までですが、すでに3:30を過ぎていますので、これで終わりにします。ご意見があれば、児嶋さんにメールで送ってください。また、ゲストと交流ができますよ。

2025年5月25日(日)第387回グローバル・セッション・レポート「歩んで来た道から見えること」

コンテント

開催日:2025年5月25日(日)10:30~12:50
場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:張穎さん(中国出身・外国につながる子どもの支援員)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:19名

 今回のタイトル:「歩んで来た道から見えること」

2025年4月27日(日)第386回グローバル・セッション・レポート「いろいろ考えて帰ってきました」

コンテント

開催日:2025年4月27日(日)10:30~12:50
場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:山本咲さん(かめおか多文化共生センタースタッフ)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:13名

 今回のタイトル:「いろいろ考えて帰ってきました」

恒例の自己紹介からスタートです。

コーディネーター(亀田さん):では、これからGlobal Sessionを始めます。

まず、自己紹介からお願いします。

E・Tさん:2024年の8月からまた、亀岡に住み始めました。JTの子会社に勤務していますが、12月から同じ職場の中で新しくなり、悪銭苦闘しています。久しぶりにGlobal Sessionに参加しました。

Z・Sさん:亀岡市の職員でしたが、期間が終わり、新しく「森の京都」で仕事を「しています。今日のゲストの山本咲さんは、トロントから日本に家族で帰国したと聞き、興味があって参加しました。トロントは、ぼくのふる里です。山本さんが、カナダに来られた時は、ぼくは、14才でしたが、日本で出会ったのは、24才でした。

R・Sさん:オフィス・コン・ジュントの主催するひまわり教室で、指導者として関わっています。外国につながる子どもの支援について関わっています。

M・Sさん:咲さんとは長い付き合いになります。日頃から話はしていますが、どんどんテリトリーを拡げて行かれているようです。亀岡に住んで思う事を聞きたいと思っています。

M・Mさん:「やさしい日本語」を広める会の会長をしています。外国につながる人々にわかりやすい日本語で伝える方法をと考えています。

M・Hさん:立命館大学院の二回生で、日本語教育の専攻です。

Y・Hさん:いつも言っていますが、仕事で亀岡を離れていて、2年前に戻って来て今は、無職です。GSでは、いろいろな話が聞けるので、おもしろいです。(9月には、ゲストをお願いしています。:児嶋)

Z・Yさん:中国出身で、外国にルーツを持つ子どもたちの教育支援員をしています。(5月のGSのゲストです。:児嶋)

N・Fさん:市役所で勤務しています。ひまわり教室で指導もしています。

児嶋:Global Sessionは、毎回言っていますが、1999年から始め、今回が386回目になります。20年以上になると思います。

亀田さん:大津市に住んでいます。滋賀県は、琵琶湖があり、湖が中心です。大津市はマンションが多く、亀岡に来ると古い家に住んでいる人も多く、とても落ち着きます。

近江八幡や、彦根、長浜なども特色がありますが。

山本さん:亀岡はいろいろな所にアクセスがいい場所と思います。

亀田さん:では、山本さんのお話しをお願いします。

山本さん:亀岡に来て3年目になります。大阪の箕面生まれです。コロナ後、2022年に夫と合流して、家を探し、亀岡にベストの家として、決めました。

Global Sessionは、亀岡に住むようになる前に、多文化センターで、四方美智子さんに進められて参加しました。

カナダも好きでしたが、いろいろ考えて日本に帰って来ました。家族は、5人家族です。

小学6年生のノアと小学1年生になったアレンと5才のミラと夫のホルネル(42才)と咲(37才)です。

山本さんの追加のレポート

「本日は大変貴重な機会を賜り、本当にありがとうございました。児嶋さん含め、皆さまが“面白い”と思っていただけたらとても嬉しいです。

グローバルセッションのような、能動的で建設的な、それぞれの意見や思いが話し合える場所が、どの機関でも当たり前になったらなぁと改めて感じました。

いろんなことを話しすぎて、うちの子供達の言語について共有するのを忘れていました(笑)

●小6のノアは小1で日本に来たので、日本語に順応するのは容易でした。一年生の漢字も他の子供達と同じように習得しました。逆に、英語を話す環境がなくなってしまったため、英語が弱くなってしまいました。英語は6歳レベルの英語しか覚えていません。家ではパパとは英語で会話をしていますが、うまく伝えられないこともたまにあるみたいです。リスニングはありますが、単語の理解もカナダ人の6歳レベルです。

現在はアカデミックな英語学習は積極的にはしていません。家では英語で映画やYouTube 動画を一緒に観たりしています。

漢字は覚えられましたが、国語の読解力や日記を書くこと、会話力は他の子より平均以下かも?と感じたことは低学年の頃よくありましたが、言葉が遅いのも長男あるあるか?と思ったりもしました。生活上、問題ないです。

名前もカタカナですし、周りから帰国子女のように見られることが嫌みたいで、英語を少し拒絶しているようにも見ていて感じます。

まずは日本語をしっかり習得してもらって、英語に興味がでてから自分の意志で勉強してくれたらと願っています。最近は、自分の産まれた国、カナダにまた行ってみたいと言い出していますので嬉しいです。友達も多く、元気な野球少年です。

●アレン(現在小1)は日本で産み、0歳から2歳くらいまでカナダにいましたが、学校や幼稚園に通っていないので、英語は家庭内でのみでした。日本語が母語です。ただ、ノアよりも語学能力に長けているように思います。これは個人差や個性かなと思っていますが、両親の英会話をしっかり聞いているので英語も理解しています。積極的には喋ろうともしています。

●ミラはカナダ生活は4ヶ月のみなのでほぼ日本の環境で育っています。英語にふれることは両親の会話くらいです。女の子なので、口が達者です。よくしゃべります。英語はあまり喋りたがりません。英語で喋りかけても日本語で返事します。

3人とも、無理に英語は教えないようにしています。いつか自分たちが両親の住んでいたカナダや、アルメニアなどに興味を持って、外国語を学びたいと思ってくれたら、その時はサポートしてあげたいと思っています。」

なぜ、カナダのトロントに?

子どものころからのあこがれ+日本の景観がきらい(電車でみる風景ばかりですが)

はやく広い世界に行きたいと思い、アメリカ文化にあこがれていました。(ただのあこがれ)ワーキングホリデイでニューヨークの上にあるトロントに行きました。

フィリピン人の家でホームステイをしていたら、アルメニア出身の男(現在の夫)が休日に遊びに来て、それが夫との初めての出会いでした。トロントはいろいろなストリートがちがう民族性を持っている町です。

カナダは、それぞれの色や形を活かしたモザイクアートで、アメリカはいろんな素材を溶かしてできたスープ(るつぼ)みたいな感じと思います。

人種のモザイク(Mosaic):いろいろな文化や民族がそれぞれの特徴を持ちながら共存する社会。カナダのトロントでは、中国系、インド系、イタリア系など、それぞれの文化が残ったまま暮らしている。

人種のるつぼ(Melting Pot):いろいろな文化や民族が混ざり合い、一つの「アメリカ文化」に統合される社会。ニューヨークでは、移民もアメリカ流の生活になじみ、英語を話し、アメリカ文化を受け継ぐ。

人種のるつぼの由来:英国のユダヤ系作家:イズレイル・ザングウイルが20世紀初頭に発表した戯曲「メルティング・ポット(るつぼ)より

るつぼ:何種類もの金属を溶かし、一つの合金とするための道具のこと

なぜ、今日のテーマ「いろいろ考えて帰って来ました」にしたのか:

 私は、大阪に生まれ、6年~7年バーテンダーをしていました。いじめられたこともあり、人間不信にもなりました。そこには、外国人も来て、英語で話すこともあり、早く海外に行きたいと思うようになりました。ワーキングホリデイでカナダに行き、3ヶ月ほどESLで英語を学びました。アルメニア人の夫と出会い、結婚をして、母親になりました。

 夫はカナダの市民権を持ち、私はカナダの永住権を取得しました。その後、カナダの移民のための英語学校LINCに通い、英語をしっかり学び、人生で一番楽しい学校生活だったと思います。その後、留学サポートの仕事やパソコンを使っての仕事などもしました。

カナダの主要な移民プログラムは、言語能力(英語または、仏語)が重要な専攻基準の一つで、言語教育が移民政策の中心である。

 カナダ:言語支援:ESL(英語支援)クラスが制度化

     教員体制:ESL資格を持つ教員が常駐

     法的枠組み:教育機関に提供義務あり

 日本:言語支援は、一部学校が自主的に対応

    教員体制は、専門教員の不足:自治体によって格差がある

    法的枠組みは、努力義務レベル 

カナダの多文化主義

 カナダは人口が少ないので、移民を受け入れないと成り立たない移民国家であり、文化的多様性を前提としている。1971年に多文化主義政策(Multiculturalism policy)を国の政策として採用。人種・宗教・言語などのちがいを尊重する。

 例:*移民が、母国の言語・文化を守りながら暮らせる社会をめざす

   *州や市の公式文書が多言語対応(中国語・ロシア語・ペルシャ語など)

   *学校で、宗教に配慮したメニューや休暇をとり入れる(ラマダン・ヒジャブなど)

日本は、単一民族国家としての意識が強い。それは、外国人が少数派で、特別扱いをされやすい。そのため、外国人の「受け入れ」に課題がある。最近は、外国人労働者や留学生が増加し、じわじわ変化中。「日本的なやり方」に同化を求める傾向がある。事実上、移民は多くなっているが、移民政策は不安定(技能実習制度や特定技能)。多文化主義の認識が不足している。また、支援の地域的かたよりがある。

例:*外国人のための相談窓口の設立(かめおか多文化共生センターなど)

  *小学校や中学校での日本語指導支援(亀岡市・京都市など)があるが、多くは、非常勤やボランティアに頼っている。日本語が不自由なまま、通常授業に入ることになり、教科の学力が見につかないケースが多い。また、年令が高くなるほど「学び直し」が困難になる。そのため、言語能力が原因で進学をあきらめる生徒もいる。

  *「やさしい日本語」の会などの指導(亀岡市役所などで市職員の指導のも)

教育・子育てのちがい

カナダ:自由な発想や多文化的理解が大切 個性・多様性を重要視する。そのため、個性や自己表現を尊重する。そのため、能動的な学びとして生徒が主体的に参加する授業を重視する。対話型で、質問やディスカッションを重視(Show and Tell)

 

考える力を育み、問題の本質を見抜く思考法として、Critical Thinking(批判的思考)が重視される。アインシュタインは、「常識とは、18才までに身に付けた先入観のコレクションである」と言い、うのみにしないで多角的に考える力が大切とする。

PTA活動は、アメリカ発祥だが、カナダにもあり、親は積極的で、ボランティア精神が根付いている。

清掃は、清掃員がする。トイレはきれいではない。ランチタイムは子どもが弁当を持って来て、子どもだけで食べ、教師はいない。

日本:知識の習得と協調性が求められる。(子どもが掃除)(給食を教師と共に)

集団の中で調和を保つ力が求められ、礼儀や秩序を大切にする。学び方は、受動的で、靜かに聞くことを求められる。

PTA活動は、会議は形式的。トイレはきれい。

Y・Hさん:カナダでは、「Critical Thinking(批判的思考)が重視される。」と言われているようですが、日本では、「批判的」という言葉のイメージから、あまり適切ではないと思われていると思いますが。

医療制度

山本さん:実は、日本の医療制度で息子が助かったことがありました。カナダではファミリードクター制度があり、予約する必要があり、時間がかかり、不便でもある。2才の時に帰国した時、それ以前から、腹痛と熱が続いていたが、なかなか見てもらえなかったが、日本では、小児科で診察後、すぐさま総合病院を紹介され、隠れた病気について、それぞれの医師たちが真摯に対応してくれて、結果、日本で無事に手術して成功しました。

 カナダでは出産後、1日で退院しなければならないので、Midwife(助産師)制度があり、産後1~2日目に自宅を訪問するケア制度があります。とても助かったし、ミッドワイフの活動に母としてすごくあこがれもしました。でも、日本の贅沢な入院生活に憧れて、2人目は日本で出産しました。

仕事と働き方のちがい

カナダ:仕事が厳密に分業、専門化されている。(専門家に責任を振り分け、働きやすさを重視する。(「担当ではない」という責任の明確化

例:カナダのカスタマーサービスに電話する→「その件は、別の部署です。」→それは、別ですね。→待たされ、折り返す。または、やっと解決

サービス・ホスピタリティ

カナダ:「対話と公平さ」を大切にする文化。フレンドリーな接客など。

 チップ制度:南北戦争後の奴隷解放宣言後に広まった。“感謝”だけでなく、“構造的な不平等”の影もある。

  *人種差別や搾取の歴史的背景が全くないとは言えない。

  *アメリカでチップ制度が根付いた背景には、奴隷解放後の黒人労働者たちへの待遇が深く関係している?

  *雇用者側が「正規の賃金を支払わずに済む」仕組みとして利用された側面も。

日本:おもてなし文化は、「見えない心配り」に重きを置く文化。

千利休:「おもてなし」=「表なし」説

表裏のない心で、表面的ではなく本心で相手を気遣う

聖徳太子:「和をもって尊しとなす」

「もって」「なす」の文字が「もてなす」という言葉に発展した

 見返りを求めない心・気づかれない気遣い:サービスの在り方がカナダ流と根本的にちがうと思います。

日本文化を形づくった3つの思想の融合(日本独特の精神文化)

 神道:自然や目に見えないものへの畏敬

    「清め」や「調和」「礼儀」を大切にする

    周囲と調和して生きる心

 仏教:苦しみを乗り越える智慧と、他者への思いやり(利他の精神)

    無情や内省を重んじる

    静けさ・控えめさ・慈悲の心

 儒教:親子関係、師弟関係など上下関係や礼節を重視

    勤勉・忠誠・礼儀という価値観

    道徳と秩序ある社会を理想とする

トロントは、都会だけれど、どこでも簡単に行ける街で、住宅街は木が多く、歩き回るのも楽しいです。公園も多く、子どもと大人が楽しめる街。冬には、学校の校庭が雪だるまだらけになります。移民の学校も充実していて、いろんな国から来た人たちとディスカッションができ、日本人として、日本を知らなければと思いました。カナダに移民として来た人たちは、祖国は好きだけど、政治的不安などが現任で住めなかったので、自由な国のカナダに移民として住むことができて、嬉しいと言っていました。私は日本人としてカナダに住み、海外から日本を俯瞰し、自分を見つめ直す機会になりました。

カナダに移民として住むには、英語力は必要不可欠です。そのため、移民のための政策の中心は言語教育です。

亀田さん:質問の時間です。だいぶん、時間が経ちましたが、どうぞ。

M・Sさん:山本咲さんの講座は、よく分析され、まとまっていますね。プレゼンテーション能力が高いです。カナダの良さも日本の良さもわかります。その中で、帰国して「こんなはずじゃなかった」という部分もあるのではないですか?

 私は、外国に住んで、日本に帰国したとき、単一民族の日本がせまくるしく感じられ、苦しかった時期がありました。このGlobal Sessionはちがいますが。

山本さん:カナダから日本に帰国したとき、日本の空港の清掃員の掃除の仕方を見て感動しました。日本では、それぞれの仕事に対する誇りを感じます。渡航前は病弱でもあり日本がいやで、抜け出したいと思っていました。大阪では、煙草を吸っていましたが、カナダではきっぱりやめました。帰国した日本は美しかったです。

M・Sさん:私が、苦しんで居たとき、「Global Sessionに来たら」と児嶋さんに言われ、参加するようになりました。日本だけど、日本ではないような場ですから。

E・Tさん:ここが、外国に近い感覚というのは、わかりますね。

山本さん:私は、日本は個性を殺す教育をしていたと思っていました。戦後、平均をつくる教育指導だったと訊いたことがあります。他の国はそれでは、成長しないので個性を尊重すると。最近は不登校の子がいても、フリースクールも増加していますね。カナダから帰国して数年経ちまので、確かに、自分のことしか考えない、世の中に無関心な日本人も見えて、縦割り社会だと思います。

Y・Hさん:世界の中で、自分の国に対してリスペクトが高い国とそうでない国もあります。第2次大戦後、自分の国にほこりを持てず、日本がきらいという人も増えたのです。けれど、日本のことを外国の人からよく聴かれます。小学生から、日本の歴史を学び直した方がいいと思います。日本語をしっかり勉強させるべきです。

山本さん:日本での方法で英語教育をしても伸びないと思います。

M・Mさん:外国の方を移民として受け入れるために、薬剤師のための「やさしい日本語」のビデオを造りました。保険証を造ったりすることもわからず、簡単に脱落する外国人の方もいますから。

Z・Sさん:外国人が多くなり、社会的に、外国人に対する視点がきびしくなっています。カナダでは、1970年に多文化主義を法的にとり入れてから、ずっと平和を維持しています。

M・Mさん:最近は、なんでもネットでしらべるだけで、偏見ももったままでいる若者も多いです。

山本さん:なんでもネットで調べられるから、いろいろ知っている若者は多いが、「選挙に行かないのはなぜ?」とか、10代や20代の人に「あなたは日本が好きですか?」と聞きたい。

Z・Sさん:日本人として日本の国についてもっと学んだ方がいいと思います。選挙の学習も。

R・Sさん:18才から選挙権がありますが、今は、中学生から選挙制度を学習します。高校では模擬選挙もやっているようです。

Y・Hさん:多文化共生という言葉の響きは、いいですね。だけど、まずは、日本人が日本のアイデンティティを確立する必要がある。多文化共生は二の次だと思います。

E・Tさん:それも態度で示す必要があるでしょうね。

山本さん:となりのひとに興味を持ってほしいですね。

Y・Hさん:英会話もいいけれど、まずは、日本語をしつかり学ぶ必要がある。日本のことをよく知ってはじめて会話ができると思います。

亀田さん:日本のことを聞かれて答えられる日本人を育てていく必要があるでしょう。

Y・Hさん:中学校から10何年も「英語のでこぼこ道」をあるいて来ました。ぺらぺら話す必要はないので、何を話しているのかに注目していきたいですね。

亀田さん:今日は、この辺で終わりましょう。

2025年3月29日(日)第385回グローバル・セッション・レポート「服飾から見た生活文化シリーズ28回目:「1940年代のアメリカ服飾史―第二次世界大戦がファッションに与えた影響―」」

コンテント

開催日:2025年3月29日(日)10:30~12:30
場所:ガレリア3階 会議室&オンライン
ゲストスピーカー:濱田雅子さん(元武庫川女子大学教授、アメリカ服飾社会史研究会 会長)
コーディネーター:亀田博さん
参加者:8名
主催:オフィス・コン・ジュント&亀岡国際交流協会
共催:アメリカ服飾社会史研究会

 今回のタイトル:「1940年代のアメリカ服飾史―第二次世界大戦がファッションに与えた影響―」

セッション終了後のレポート

2025年2月11日(火・祝)第384回グローバル・セッション・レポート「外国人ママから見た日本の小学校の不思議」

コンテント

開催日:2025年2月11日(火・祝)10:30~12:30
場所:ガレリア3階 会議室
ゲストスピーカー:ゲスト:周悦さん(中国出身・亀岡市多言語指導員)
コーディネーター:亀田博さん(ツアーコンダクター)
参加者:17名

今回のタイトル:「外国人ママから見た日本の小学校の不思議」

自己紹介

亀田さん:コーディネーターの亀田です。参加者の方々の自己紹介から始めたいと思います。

M・Mさん:「やさしい日本語を広める会」の会長です。仕事をする外国人の方と接する方々も必要です。

M・Yさん:教育委員を7年間していました。今回の「日本の小学校の不思議」というタイトルに興味があり参加しました。

Z・Yさん:亀岡市で外国につながる子どもたちの教育支援の仕事をしています。周悦さんの話が楽しみです。

S・Fさん:先月、「ひきこもり」の研修会を受講しました。15才~65才くらいのひきこもりの方は、150万人ほどいるそうで、ちょうど京都市の人口くらいです。外国の方の観光も増えていますが。

Y・Hさん: 総合商社に勤めていましたが、2年前に亀岡に戻ってきて、今は無職ですが、Global Sessionは、いろいろ聞けて楽しいので、いつも参加しています。

M・Hさん:30年ほど、亀岡市内で「へき亭」を運営していました。今は無職です。ただ、家で時々、料理教室などもしています。

S・Gさん:2024年9月まで5年間、亀岡市国際交流員をしていました。今は、「森の京都」という会社で、南丹地域などの地域振興の仕事をしています。

F・Kさん:滋賀県で35年間養護学校の教師をしていました。退職後、10年ほどたちますが、今は京都の中京区に引っ越しています。

N・Fさん:亀岡市の職員です。ボランティアで京都駅などでガイドをしています。

S・Yさん:ここの多文化共生センターの相談員をしています。

Y・Uさん:小学校で、30年間教師をしていました。日本に来ている外国につながる方も増えていますが、気が付かなかった事も多いので、今日は、参加しました。

S・K(新聞記者)さん:児嶋さんに誘われてこのGSに参加しました。小学生と今度1年生になる子どもがいます。

M・Sさん:亀岡に住み、小学校の教員をしていました。10年以上前に退職し、時間が経つのが早いと感じています。いろいろなボランティアをしていますが、ひまわり教室も参加しています。今日のタイトル(小学校の不思議)に引かれ、参加しました。

K・Nさん:村おこしの仕事をしています。学童保育も2ヶ月に1回ほどやっています。前回も参加しました。

H・Mさん:亀岡で木綿の生地屋をしています。

児嶋:このGlobal Sessionは、1999年に宮前町にあった交流活動センターで始め、私が退職後は、主宰をしています。今日は、384回目です。月に1回やってきたので、もう20年以上になりますね。セッションが主なので、どうぞ。いろいろなご意見を。

グローバル・セッション スタート

亀田さん:亀岡でない所から来ていて、大津市からです。京都駅も外国人観光客が多く、この嵯峨野線も多いので、早く行かないと乗れないくらい混んでいますね。

では、周悦さんの自己紹介から始めて、今日のお話をお願いします。

周悦さん:時間的には、30分~40分話し、セッションということでいいですか?Global Sessionのゲストに呼んでいただき、光栄です。みなさんのお話しも聞きたいと思います。

私は、中国の江蘇省の蘇州市で生まれました。亀岡市の友好都市でもありますね。

自己紹介:2009年に熊本大学に交換留学で来て、2011年には京都大学大学院で発達心理学を学び始めました。現在は、英会話教室の経営と講師をしています。

保津小学校ETTボランティア講師や、東輝中学校での語学支援員をし、通信教育で「認知心理士」資格取得のため勉強中です。又、二児(3才と7才)の母です。

7才の娘(小1)は、本が好きで新聞も読んでいます。2024年4月に入学しました。1学期には、先生からも友達とも仲良く、学校の勉強もいろいろ上手にこなしていると言われていました。ところが、9月になると、学校に行きしぶり出して、母子登校や父子登校でしか行けなくなりました。今は、転校を考え、2月からは、西別院小学校に週一回行き、「ここに行きたい」と言うようになりました。このように「学校に行きたい」と思えるまでに何があったのかを探ってみたいと思います。

タイトル「外国人ママから見た日本の学校のふしぎ」ですが、中国の学校と比較して、何がこうなっているのか、みなさんといっしょに考えてみたいと思います。

中国では、成績のランキングがはっきりしています。テストを返して貰うときも成績順で呼ばれ、先生からも友達からも重く見られます。また、親の送り迎えが必要で、小学校では、国語、算数、社会、理科だけで、家庭科や生活はありません。また、成績がトップの人がクラス長になり、班長も成績順になります。運動会は、運動ができる子どもだけが参加します。入学式も子どもだけが参加し、保護者は帰ります。全校の式典も先生の話を聞くだけです。

このような中国の学校で育った私ですが、日本の学校は楽しみでした。

子どもも行く前からわくわくしていて、楽しみでした。ところが、いろいろ準備も含め頭がいたい現実がありました。

  1. 持ち物にすべて名前を書く。袋のサイズまで規定がある。筆箱の鉛筆の本数も。
  2. びっくり仰天の教室の現実授業参観:先生が二人・子どもが歩き回る
  3. 保護者として:PTAの集まり・授業参観・懇談会・運動会の参観など(保護者も休んで参加するほど忙しい) 中国では、1年に1、2回

デメリット:自分で考える必要がない。子ども自身の思考力が失われるのではないか?

2学期から、不登校が始まった。

 母子登校をして気づいたこと:学校が楽しくないと思った現実

*先生に「おんぶして~」って言ったらダメと2回言われた(教師と生徒との体の接触は制限されると)→人間らしい行動がダメ?

*知り合いの好きなお姉さんの教室に行けない。→他の学年の階や教室に行ってはいけない。 (日本ではことばで、「大好き」と言いにくいのか?トラブル防止は、人間関係の薄さにつながらないか?)

*ブラックスケジュール?
毎週金曜に、学習予定表が配布され、下校時間が週によってちがう場合がある。(働く親は、どうやってスケジュールを組むのか?パートだけ?長期の休みの前後は給食がない。日本では予定の変化が多すぎる。→ストレスがたまる?

中国では、スケジュールの変化があまりない。

  • 2年生: 2:35下校
  • 2年生~6年生: 3:25校

放課後、担任の先生が教室内で預かり、決まった時間に下校する。

日本の場合、変化が多い→先生の負担にならないか?

(中国では、毎週の予定が決まっている。)

小学校の一日のスケジュールの変動で、困る児童がいるのでないか?

 (気づかれないストレス・不登校につながる恐れも)

*日本の小学校の1日のスケジュール

  ①次の授業までに5分で移動(お茶・トイレ)

  ②給食は12:05から~12:45(朝ご飯が7:00でお腹がすく)

  ③昼休み 12:45~1:00(たったの15分)

    ちょっとしか遊べない・外遊びは間に合わない

*中国では、昼寝の時間がある。(リクライニング椅子のある学校もある)

  授業の間は10分と固定されている。

  昼食と昼休みを含む時間は、長くて2時間も

*日本の学校でも、昼寝の時間の導入をする学校もある。

最後に、これから学校があるべき姿について考えたいです。私はまず学生は学生である前に「人間である」と思います。エリクソンの発達段階理論がありますが、6才~13才は勤勉性が求められ、身に付けたことに励む必要があると言われています。なので、学校は必要です。

ただ、学校は何を優先させるべきかというと、マズローの人間性心理学にあるように、まずは「生理的欲求」を満たす、つまり十分な休む時間があり、給食は落ち着いて食べられる環境が必要である。安定した学習スケジュール、友人・教師との関係性を作れる環境を整える。そのうえで、勤勉して成績が良い子はどんどん伸ばしてあげて、自主性を尊重して、学校のルール作りや学習内容も任せたらいいと思います。

質問

Y・Uさん:夜寝るのが遅いから、昼寝をしたいのですか?

周悦さん:政府が睡眠時間について調査しようとしているようです。不登校になった子どもは、「学校に行きたい」と思っていて、西別院小学校に行ったら、「学校が楽しかった」と言っていました。その前は、運動が好きな子どもなのに、「体育が楽しくない」と言っていたのに、この学校へ行ったら、「体育ってこんなに楽しいのかと思った」とも。

M・Hさん:中国も小学校と中学校は義務教育ですね。

M・Sさん:なぜ、どの品物にも名前を入れるかというと、落とすと名前がないと拾わないからです。昔は、私が50年前に教師を始めたころ、雨が降ると学校に来られない子どもがいました。家庭訪問をすると、家に傘が一本しかなかったのです。それで、雨がふると傘が余分にないので、学校に来られないと。今は落とし物係が居ても、だれも取りに来ないので、落とし物が溜まります。子どもの物に対する価値観がないように見えます。

先生の立場からすると、必要な物をそれぞれがそろえて置かないと授業が成立しない場合があります。

Z・Yさん:なぜ、日本ではどれにも名前を書くのかですが、中国では、自分の物はそれぞれが管理し、授業中に立ち上がったりもしないで、ビシッと座っていて、落としてはダメと子どもも思っています。

Y・Hさん:今は若いころとちがって、物が溢れています。私は、物が不自由なころに育ちましたが。無くしても買えない時代とちがって、物を大切にする感覚が低いのではないですか?中国の成績第1主義は、むかしからですか?

周悦さん:1980年代からエスカレートして来たと思います。学歴が仕事に関わり、行けるポジションも決まってしまうので、良い学校へと思うようになったのでしょう。成績のトップの人は、学校でも権力があります。

Y・Hさん:北京大学への志望者が多いと思いますが、地域別に北京大学に入れる人数を割り当てていますか?

周悦さん:割り当てる人数の違いよりも、地域によって同じ大学に入学するための合格ラインが違います。

S・Yさん:おんぶしてと言ったり、上の学年の好きな人のクラスに行けないなど、日本では人間らしい行動がだめと言われているような気がしますが、中国ではどうですか?

周悦さん:気をつけていることはあると思います。同じ性の先生に「おんぶして」とか。ただ中国では先生は権威がある存在なので、そもそも子どもはボディタッチしたがらないと思います。

M・Sさん:教師と子どものボディタッチは当たり前で、世話をすることも教師の仕事で、足りない場合は、補助の先生もつきますし。でも、コロナ禍になってから、「さわっちゃだめ」と言われ始めましたね。

H・Mさん:管理社会が子どもの社会にも入ってきているのでしょうか?自然を学べる年齢は小学校の間でしょうが、ほったらかしで育ってきたわれわれですが。昼寝のリクライニングシートにはびっくりしました。親が子を管理するのはおかしいと思います。

オーストリアに長く住まれているF・Mさんは、親と子の絶妙の距離感を持っておられます。中国では成績だけでいろいろ決めるのですか?バランスが必要と思いますが。今日は、リクライニングの椅子などが中国にあると聞き、日本にはないことも学ばせていただきました。

S・Gさん:カナダでは、文房具も含めて名前は書かなかったと思います。無くしたら、先生か誰かに借りていたと思います。鉛筆削りもあるけれど、音がして、はずかしかったと覚えています。成長していくので、世話をしすぎないことも大切かとも思います。

Z・Yさん:学校によってちがうかもしれませんが、日本では放課後預かる場所もあり、7:00までできると思います。中国では、自分の場合は、家庭科もあり、工場見学などもしました。昼寝の時間もありました。眠たくない子はどうしたかというと、絶対に寝なければならいと言われていたと思います。

S・Fさん:会社にも昼寝の習慣はあるのですか?

Z・Yさん:私の子どものころは、給食はなかったです。でも学校に食堂はありました。食べに帰ってまた来る子もいました。今は学校に給食はありますが、どちらにするかは選べると思います。日直は、班長がやり、毎日指導します。日本は、毎日替わりますね。私が行っている千代川小学校などでは、先生も子どもと遊んでいると思いますが。時間割は、中国では1年間同じですが、毎週変化する日本の時間割の方法は、先生もたいへんだろうと思います。

S・Fさん:先ほど先生におんぶしてもらえないとありましたが、先生にゆとりがなくなったこともあるのでしょう。時間割も、いつごろから毎週出して、変わるようになったのでしょうね。

F・Kさん:教師も心の病で休む人がとても増えました。1990年ころからです。高校でも進学校の教師はたいへんです。テストでも成績によって席が替わることもあり、自分がつぶれないようにするのもたいへんでしょう。教育大学を卒業しても教師にならない人が増えてきたと聞いています。中国では先生の病気はありますか?

周悦さん:中国でも先生はたいへんです。先生の教育に集中できる時間が少なくなっています。国からは、国を協賛しましょうというような知らせを生徒に送ることも言われます。

Y・Hさん:教育も大事ですが、まず、人間性ですね。物事にひとつの解決方法はないと思います。

M・Yさん:先生も管理されています。中国でも日本でも子どもを大切に育てたいという思いは同じでしょう。中国は、デジタル化が早いですね。

周悦さん:集中度を見る機械もありますね。

亀田さん:「中国の領土は?」などとAIに聞くと、答えないで、イチテンポ置くようですね。日本人はAIに弱いかもしれませんね。

児嶋:学校によって教育委員会などからの指示がちがうことは、日本ではないと思います。今までの学校と西別院小学校のちがいは、まず、子どもの数と、もう一つはどこからも受け入れる学校体制を持っているので、自分と同じように、親の国がちがったり、よそから来ていたり、ちがうひとがたくさんいることではないでしょうか?それに子どもの数が少ないので、学年を超えてなかよくなっていこうという雰囲気はあるのでしょうね。

周悦さん:学校にもっとよゆうがあればと思います。子どもがたくさんいても、個人差はあるはずで、いろいろな学年の子どもと遊べることも必要だと思います。実際の人間的環境のように、いろいろなひとが交ざっていますから、それが重要ではないかと。

亀田さん:12:30を過ぎましたので、これで、終わりにします。意見や質問があれば、児嶋さんを通したら、また周悦さんとの連絡がとれますので、どうぞ、よろしく。

2025年1月25日(日)第383回グローバル・セッション・レポート「保津むらグローバル -四代目水車小屋の倅(せがれ)として-」

コンテント

開催日:2025年1月25日(日)10:30~12:30
場所:ガレリア3階 第1会議室
ゲストスピーカー:ゲスト:中野恵二さん(保津川こなこな研究所・保津むらカフェプロジェクト・ ひのまる米工房・中野精米工場)
コーディネーター:亀田博さん(ツアーガイド)
参加者:15名

今回のタイトル:「保津むらグローバル -四代目水車小屋の倅(せがれ)として-」

自己紹介

亀田さん:コーディネーターの亀田です。今回は383回目になります。これから、GSが始まりますが、まず、参加された方々の自己紹介から始めたいと思います。

H・Mさん:日本語教師をしています。

Z・Yさん:亀岡市の小学校や中学校で外国につながる子どもたちの教育支援員をしています。

M・Mさん:木綿屋をしています。亀岡市です。

K・Hさん:3年前に亀岡市に移住してきました。中野さんとのご縁で今日も来ています。

M・Hさん:おととしまで、へき亭をやっていました。今はこのように遊んでいます。料理教室などもやっています。

M・Sさん:教師を退職して何年か過ぎました。カルチャー教室やひまわり教室でのボランティアやおけいこ事などをやり、今が一番楽しいです。

S・Fさん:2年前から民生委員をしています。また、ガレリアでの日本語教室で外国から来た人たちに日本語を教え、楽しくおもしろい関わりを持っています。保津の火祭りのちょうちんも作りました。安町で提灯屋もしています。

N・Fさん:市役所で、市民活動の支援を担当しています。京都で外国人を観光に案内することもしています。

Y・Hさん:定年退職後、2年前に亀岡に戻ってきました。Global Sessionは、毎回参加しています。脳の活性化につながると。地元の中野さんが、今日はゲストなので楽しみしてきました。

M・Fさん:2020年から亀岡に住んでいます。オーストリアに43年暮らしていました。亀岡からの訪問団が来られた時からのつながりです。

児嶋:1999年から、亀岡市交流活動センターという神前の山の中でGlobal Sessionを始めて、定年退職後、主宰するオフィス・コン・ジュントとして開催して今回は、383回目になります。知らない間に、20年以上過ぎてしまいました。毎月1回ゲストをお呼びしてセッションをやっています。

亀田さん:エスペラント語でのあいさつは知っていますか?中野さんは知っていますか?

 (知りません:中野さん)

 エスペラント語話者は、200万人ほどいるそうです。ポーランドのザメンホフと言う眼科医の人が1877年に始めました。世界に通じる言語をということで開発されたのです。今日は、水車小屋の話もあり、楽しみです。

児嶋:亀岡は、大本教の方達がエスペラント語を学ぶ人が多く居て、どこの町よりもエスぺラント語の理解できる人の割合は多いと思いますよ。

亀田さん:中野さん、どうぞお願いします。

グローバル・セッション スタート

中野さん:ほぼ知っている人が多く、やりにくいんですが。では、保津町の紹介からです。保津町の紹介ですが、ほぼ山です。JRの駅がある町です。わかりますか?どこの駅でしょう。保津峡駅は、実は保津町です。

<保津町基本データ> 2019年 3月時点の亀岡市統計より
人口 : 1,574 人   世帯 : 727   面積 : 15.01 ㎢
森林 : 約 77%         農地 : 約 9%          住宅 : 約 5%

大家族宣言

保津町には、「保津橋を渡ってきたらもうみんな家族だ」という大家族宣言があります。住んでいる人も、 訪れた人もみんな家族です。

自己紹介 我が家の歴史

明治41年(1908年)に愛宕谷川の豊かな水量を利用して、保津村の山裾に曽祖父が水車小屋を設置して精米業、製粉業を始める。当時、保津町に11軒の水車小屋がありました。
 私の祖父 慶太郎は、大八車を牛に引かせて、川東地域を中心に仕事をしていました。

「ケイタロ」さんと呼ばれ皆さんに親しまれ、「ケイタロさんの孫か・・・」と言われる事もあります。

大正生まれの父はあまり商売人ではなかったので、第2次世界大戦の真っただ中で、勉強は良くできたが大学にはやってもらえず、地域の私塾「興風義塾」で勉学に励み軍人に。

東京の「陸軍中野学校」で学び、苦労して「憲兵」に。今でいう所の(軍事)警察官として約1年弱働き、原爆投下後は、広島の片づけへと出兵して終戦を迎え、帰郷しました。

仕方なく家業を継ぎ、動力を引いてオート三輪を購入して営業していました。精麦に力を入れていました。

私で四代目となり、米屋が斜陽の時代に細々と継続しながら、今年で117年になります。

米の販売は後発組 精米、製粉業(こなこな研究所)、菓子製造業など多方面にやっています。

「グローバル」とは? 世界規模、地球規模という意味

世界を感じたのは、亀岡保育園(大本教主催)時代の大本でのエスペラント大会や小学校時代のEXPO70で、「世界にはいろいろな人がいるんだなあ」と体験して思いました。

大学は地元の京都学園(現在の京都先端科学)・社会参加は、イベントのお手伝いなど。

英会話の先生は、アレックスカー(東洋文化研究者で亀岡の矢田天満宮に住んでいる)さんでした。半年前に同級生とアレックスさんを訪問したら、「1年しか教えなかったのに奇遇ですね」と言われました。「私、信じられない」という日本語が先生の口癖でした。

25歳で冬のヨーロッパ40日の放浪の旅へ

 *10ヶ国:フランスのパリ・イギリス・ドイツ(ベルリンの壁)・オーストリア・イタリア・ギリシャ・スイス・フランスのパリへ戻る。

*オーストリアでは、亀岡市の姉妹都市のクニッテルフェルト市へ親書を持って行った。

(父が当時の谷口市長と友達で)到着して、通訳の案内人の(言われた)tel番号にかけても通じなくて、自分で市役所を探し持って行った。(tel番号がまちがいでした)

*ベルリンの壁も体験(列車の中で、ビザのない人が隠れているのも見ました)

おもしろくて、おそろしい体験でした。オーストリアやドイツの人は声をかけてくれてとても親切で、日本人としてフレンドリーと感じました。帰国して「日本は安全やなあ」と思いました。「国籍の壁をなくしたい」とも。

以後は、仕事をしながら社会参加 

青年会議所・行政関係・商工会議所など「地域や人との繋がりが大切」思いながら、農林振興課と地産地消を考える。

*日替わりシェフレストランの「かめおか四季菜」で6年間店長

現在は、地元の保津町をよくして行こうと考えています。

(保津川下りにはたくさん来るが、保津町にも来てほしい)

●NPO法人ふるさと保津・田舎を生かした村おこし・農業塾・産品開発

(放置されて柚子を使う:ジャムやサイダーに)

インバウンドの外国人観光客増加

 へき亭や湯浅農園へ:年間マイクロバスが200本も来る

 「丹波七福米(現在、お休み中)」を海外の家庭画報に紹介頂く(京ちりめんのふろしきに包む)

一時期、知り合いに頼まれて外国人の宿泊所に(5組くらい)→母の介護・コロナが始まり休止

●保津川こなこな研究所 粉(製粉)を使った村おこし 料理教室や産品開発など

 こなこな料理教室 Z・Yさんをゲストに「皮から餃子をつくる会」開催

●保津むらカフェプロジェクト 保津川屋酒店を拠点にした移住促進・村おこし事業

     保津の妖怪「竹きり狸」の里吉くんをキャラクターに村おこし

     商品化 ポン菓子、お米、米粉、小麦粉 + プリン、ポン米粉

      (竹きり狸のぽんぽこプロジェクトは休止中 竹林整備事業) 

●アイアルクラシ京都 10年前に「ほづあい研究所」吉川慶一さん 京都ほづ藍工房

 私は食べる藍を考え中: 藍茶(粉)、藍茶ハーブ(ティーバッグ)、藍茶のど飴

 藍のコスメ 藍の化粧水・藍の石鹸なども商品化して世界に発信しよう

 *今年は、藍の栽培から商品化までを保津で体験できる教室を開催予定

 アイアルクラシ京都 + kyo-aroma Breath + NIMBUS STUDIO

今後の企画

保津むらグローバル 保津から世界に発信 ⇔ 世界から保津に求心 保津むらローカル

保津川下り(世界一の激流下り・昔から人気)→トロッコ電車からの連動

  京都ほづ藍工房(藍染め体験は人気のアイテム 団体での受け入れも)

  長岡銘竹(海外での需要もあり、海外アートイベントなどにも参加)

 農家民泊 ファームハウスナナ(インバウンド客を中心に受け入れ)

 吹きガラススタジオ「カローレ」(海外からの体験客も増えている)

 霧の工房(天然砥石館田中亜紀館長 ものづくり体験ができる一棟貸切農家民泊)

 お香と土「NIMBUS STUDIO」(お香と土(陶芸) 日本の伝統文化の魅力を世界へ)

約20年前、NPO法人ふるさと保津を立ち上げた時には、「行くところが村の中には何も無い」と言われました。今回、お話しを頂き、なんとなく整理してみたら、意外とあって、改めて感慨深いです。これからは、保津むらグローバルであり、保津むらローカルである事を意識して活動したいです。

亀田さん:では、質問がある方からどうぞ。

M・Sさん:私は、こちらのM・FさんとMさんご夫婦を通して中野さんと親しくなりました。最初から、「おもしろいおじさん」と思いました。中野さんの活動は、「発信」と「求心(信)」をSNSを上手に使ってやっておられると思います。昔は難しかったかもしれませんが、現在は、発信力としてうまく使えばパワーアップになると思います。

 昨年は、M・Fさんたちとのつながりでオーストリアにしばらく滞在しました。その間、亀岡市の姉妹都市のクニッテルフェルト市にも行って来ました。亀岡とよく似ていて、山も多いです。モニュメントもあり、「かめおか通り」もあります。その時に中野さんにメールをすると、以前行かれた時は、市の道路が舗装されていなかったと聞いたのですが、現在は立派に舗装されていると伝えました。

 中野さんは、積み重ねもされ、発信力もあるおもしろいおじさまです。

Y・Hさん:たいへんいろいろ活動されているなあと思います。今は外国からのインバウンドが多いと思いますが、保津の活動にはどれくらいの割合で来られていますか?

中野さん:駅から歩いてでも行けるので保津藍工房などに南アの高校生がバス3台で来られたこともあります。シンガポールやアメリカからも来ていると聞いています。

Y・Hさん:保津むらグローバルとローカルを組み合わせるという方法は、個人的に賛同できます。ローカルな部分にも外国人は多くなっていますね。そして、ローカルな視点も必要と思います。

中野さん:保津むらと「むら」にしてローカルも大事にしたいと思っています。

亀田さん:水車小屋ですが、黒沢明監督の『夢』という映画がありますが、そこでは、長野県で水車小屋で小麦やそば作りをしている様子があります。

 スイスのツェルマットという村では、電気自動車と馬だけが通れるハイキングコースがあり、そこにも水車小屋がありました。これからは水力発電になるかもしれませんね。亀岡の水車はめずらしいので、SNSやYouTubeなどで知らせると外国人もたくさんローカルの地に来ると思いますよ。

中野さん:SNSはまだ遊びの範囲で使っていますが、これで行こうと決めたら、しっかりやりたいと思っています。

M・Hさん:今SNSに上げましたよ。

K・Hさん:水車小屋も観光として期間限定で動かすとか。水質管理もできるのではないでしょうか?

中野さん:10何年か前に、亀岡に水車小屋がなくなったのですが、放っておくと壊れるのです。棒が折れたり。ずっと使うためには、お金が必要です。

K・Hさん:お金があるおばさまたちもいますよ。

中野さん:私の藍の畑の前に水車小屋があります。そこで藍を作り、水車小屋を看板に(を)使って活動(製品化)しようと思っています。水車小屋は使わないとなくなってしまいますので。

M・Sさん:今はいくつ水車小屋が残っているのですか?

中野さん:ひとつだけです。

K・Hさん:ここ、京都で復活しましょう。

M・Hさん:資金がいるのですね。

M・Fさん:クラウド(クラフト)ファンディングですね。

中野さん:精米30kgを打つのに一晩かかります。大きな音がするので文句を言われたこともあります。今は水車小屋を倉庫として利用しています。

K・Hさん:そばとか藍の畑を復活してほしいですね。

M・Hさん:藍の花と(を)水車で売り出す(動かす)方がいいのではないですか?そばと水車はどこにでもありますから。私は、保津町の隣の千歳町に住んでいるのですが、保津町に良いところは、駅から歩いてこれる点です。それもあって活発なのかもしれませんね。

中野さん:市に対して物が言える人がいるのがいいのかも。それに、小さい町なのに、小学校も保育園も残っているのがいいなと思います。中学校も、近い方の亀岡中学校に子どもたちは行っていますからね。

M・Sさん:私の前職は教師で保津小学校には1年間行ったことがあります。子ども達は地元の人々に支えられているなあと思いました。竹が保津町にはたくさんありますが、総合学習で、竹で竹庭を造ったり、とうふを作ったりしました。保津川下りも有名ですが、英国の皇太子が来られた時に、その後ロイヤルファミリーに子ども達が手紙を書いたら、返事が来たとか。

中野さん:保育園、小学校、祭などもひとまとまりでやっていますね。保津町にも個性的な方々が入ってきていると思います。

真理子さん:保津川があり、森も山もあるしね。

中野さん:山は放置されているところが多いですが。

真理子さん:使える方法はないのかな?何かに使えたらいいですね。

M・Hさん:チャイナから来て土地を買う人がいると聞いていますよ。みんなで規制しないとね。

東村さん:いなかはほったらかしですよ。私の自宅にも水車がありました。今は妹が田んぼを作っていますが。私も教員として、1987年から8年間保津小にいました。中野さんは6565才のようですが。保津は、駅からちかいですね。

H・Mさん:私は水車を見たことがないのですが。

中野さん:保津浜テラスというレンタルスペース(店)がありますが、そこから水車が見えますよ。

Z・Yさん:亀岡が好きで10年ほど前からよく亀岡に来ていました。民際日本語学校の紹介があり、亀岡で仕事をし始めたのですが、最初は宇治に家があるので、通っていました。ちょうどひまわり教室の話を聞き、ボランティアを始めたころ、亀岡で教育支援の話がありました。宇治の小倉から亀岡に家を借りて2024年の2月に引っ越して来ました。真理子さんやM・Hさんからも引っ越しの手伝いをしてもらったり、素敵な家具をたくさんもらったりしました。自分の家族より暖かいと思います。

 保津町には、散歩道ができるといいなと思います。亀岡駅からと馬堀駅からと歩く様な散歩道が。

M・Hさん:旅行会社の「まいまい」の30人から40人ほど保津から七福神めぐりをしていたと思います。

Z・Yさん:中国から兄が来たとき七福神めぐりをしたのですが、いつもあいているわけでもないですね。

M・Hさん:保津町にはお寺がたくさんありますね。朱印帳などやスタンプなどもあるといいですね。休憩所もね。

中野さん:竹の通りの良い所なども見せたらいいですね。

児嶋:亀岡市には、外国籍の方が1000人以上今は住んでおられるし、両親のどちらかが日本人の場合は、日本国籍なので、その中には入っていない「外国につながるひと」は、もっともっといます。住んでいる「外国につながる人々」に少しのサポートをしながら保津に呼んでもらえるアイディアがほしいですね。おもしろいところの地図を作るとか。お願いします。

M・Mさん:今、アメリカはトランプさんになり、アメリカファーストを強く出していますね。ローカルな面で良いところは何かと考えていました。亀岡は霧の町とも言われていますね。私の仕事の綿は、湿度が大きく影響するのです。亀岡はこれも売り出したらいいのではと思います。それと、昔の「農林一号」を作り出したのは亀岡出身の方だそうです。このようにミーティングして亀岡の偉人を研究するとか。それと、湿度も関わって。

児嶋:私は福井市の出身ですが、最初に宇治市に教師として赴任したとき、とても乾燥して体がつらかったのですが、亀岡に来てからは湿度が体に合ったのか、とても楽になりました。

M・Hさん:野菜もそうですね。水菜や小豆は霧の出る湿度の高い地域が向いているのです。亀岡は野菜がいろいろあり、道の駅などには観光バスがとまり、しっかり買い物されていますね。

Z・Yさん:亀岡の野菜はとてもおいしいと思います。

M・Hさん:乾燥しないので、肌にもいいし、水もいいですね。目の前に保津川はあるし。

Z・Yさん:ここだけに住んでいるとわからないかもしれませんが、私は主人と世界一周の度に出たことがありますが、亀岡はどこよりもいいと思います。

M・Hさん:よそに行って京都に帰ってくると、灰色の家が多いなあと思いますが、亀岡に帰るともっといいなあと思います。香港人のマネージャーが亀岡に来てびっくりしていました。「ゴールド!」と言って。田んぼが見えて、「ゴールドだ」と。

児嶋:京都の人は、亀岡は遠いと思っていて、舞鶴くらいと思うみたいで、JR京都駅から30分以内で亀岡に着くというと、びっくりしてしまいます。

M・Hさん:新快速を使い、大阪から京都を通り、帰って来ても近いです。

亀田さん:12時半です。もっと聞きたいことなどあれば、中野さんか児嶋さんにメールで聞いてくださいね。ありがとうございました。