外国につながる子ども・保護者のための居場所つくりを考える研修会レポート

コンテント

2023年1月28日(土)13:30~16:00 ガレリアかめおかの2階大広間にて、2022年度第2回研修会を開催しました。

亀岡市国際交流協会&オフィス・コン・ジュント共催です。

「公立中学校の国際教室で行う母語を活用した教科学習支援の実際~ 誰が・どのような支援を・どのように行っているのか~ 」というテーマで開催しました。

講師は、清田淳子さん(立命館大学文学部教授)と王植さん(オンラインでの外国につながる子どもの母語支援者&川崎市内の小学校での学習支援指導者)のお二人でした。

参加者は、全部で23名でした。

参加者自己紹介と講師への質問

M・Fさん(T中校長):日本語を学びたいという気持ちをどのようにわからせたらいいのか。学びたいと言う気持ちを持つには、学校を知る、学ぶことに価値を持つ、自信を持つなどステップがあると思いますが。2日前に1年生が文化交流会を持ちました。Z・Yさん(母語支援員)の力を借りて、中国の遊びを取り入れたり、しました。外国につながる子どもたちが、自信を持った活躍の場を持ちたいです。

質問:活躍の場をどういうふうにお考えでしょうか?

Z・Yさん(母語支援員):中国から来て今はT中の双子姉妹の支援をしています。どういうふうに支援をしたらいいのか、悩んでいました。彼女らは、小学4年で日本に来たのに、日本語がほとんどわからなかったのです。今は、すこしずつ日本語を勉強したいという気持ちに変わって来たようです。

質問:どうしたら、支援ができるか?

M・Sさん:小学校の教師をしていました。退職後、母語支援員(英語)を小学校でしていたこともあります。韓国やフィリピンから来ていた子どもですが、日本語に対する意欲がありました。でも、ある程度コミュニケーションができる力がつくと、支援が終わってしまうのです。1、2年生で支援していた子が、あとで、国語科で苦労していたと聞きました。学習言語力がつくまで続けた方がいいと思います。でもその意欲をどう持たせ続けていくかが課題です。(できるからいいよ)と言う子もいます。今はひまわり教室の指導者をしています。

A・Uさん:2022年9月から月に2回、2時間日本語が十分でない子に教えています。(元中学校の英語教師) どうしたら、学ぶことが意義があると思うかが課題。今日のスキーマ(知識のネットワークの形成)は、ヒントかなと思いました。

R・Sさん:ひまわり教室の指導者。3ヶ月前から双子姉妹の支援をしていますが、目先の課題を追って来たような気がしました。今日の話から、元を耕さないと無理かなと思いました。「月曜日までの課題をどうしたらいいのか?」に追われて来たような。

言語の能力を鍛える必要があるとこの研修会で思いました。双子ですが、2人一緒は無理かなと思います。1対1に分けてやろうかと話合っていました。Z・Yさんや、W・Lさん(ひまわり保護者)に通訳の支援をしてもらうのは、得がたいことだと思います。でも、いつか、本当の力になるのだろうかとも思います。

T・Tさん(指導主事):教育委員会の指導主事になり5年目です。この間中国からの転入児童は5人でした。現場の先生方は大変で、子どものために、日本語と中国語を話せる人を探すのが大変でした。現在は、民際日本語学校から派遣してもらうことができ、Z・Y先生もその紹介から来てもらっています。

質問:川崎市の行政としての人的資源のシステムはどうなっているのかをお聞きしたいと思います。亀岡市も考えて行かなければと思っていますので。

E・Rさん(インドネシア出身・インドネシア語講師):息子一人がいて、大学生です。この子を産んだころは、支援は全く無かったです。いろいろな家庭のケースがありますね。外国人同士や、どちらかが日本人の家庭や、その場合、国籍は日本で、名字も日本名なので、名前だけでは分からない場合があります。また、保護者が子どもさんにどう関わっているのかもちがいがあります。学校に行くしかわかるシステムはないのかとか外国人がわかる方法が必要です。

また、お話しのように、支援された子が、支援者になるというのは、これからのつながりになると思います。また、保護者のコミュニティも力になりますね。支援者と保護者、学校がいっしょにやって行くことがいいですね。

F・Yさん:多文化共生センターの相談員をしています。私は、2020年にカナダから家族で帰国しました。8年間カナダのトロントにいて、子ども3人とアルメニア出身の夫と5人家族です。小3の息子はカナダ生まれで幼稚園もカナダで行っていました。子どもの言語として、英語にするか考えて、母語の英語と母の日本語を両方話していました。トロントは移民の町で生活の中に異文化や多言語の表示がありました。日本に帰国してからは、母とは日本語で話し、英語を忘れていくような気がします。父親はアルメニア人です。小学校の低学年は、大人が思っている以上に吸収力がすごく、入学後日本語で学び出すと早いと思います。高学年になると、父親の母語も学ぶかもしれません。日本では、外国語を学ぶことが少ないので、日本語でしか、習わない学校はどうなのかとも思いますが。

N・Kさん:小学校の教員をしていました。ラインやビデオで、中1の女の子(お母さんが中国出身)の支援をしています。この子は日本生まれで会話に問題はないのですが、学習言語は弱いのではないかと思っています。教科書の内容もどのくらい理解しているのかと。抽象言語をどのくらい獲得してきたかと。中国人のお母さんなので、日本語での読み聞かせは少なかったかもしれないが、会話はできます。でも、学習言語の獲得が大切と思います。

W・Lさん:中国出身です。小3の男子がいる保護者です。この子は1歳半で日本に来て、中国語をあまり話さず、日本語が基本です。小学校では会話はできますが、文章理解力は弱い気がします。2年生の時にひまわり教室について聞き、参加し出しました。

私は、中国で学んだ教え方で子どもに説明するのですが、子どもは意味がわからないようです。正月明けの教室で四方先生に説明してもらったら、息子は理解できました。外国人が転入したら、市役所などで、ひまわり教室について教えてもらったら、もっと早くこの教室に入れたのにと思います。

Y・Yさん:ひまわり教室の指導者です。教師の退職後、市内2校で指導をしています。今日の話を聞いて、「これはできている」「これは改善しなくては」などいろいろ考えました。中学校の双子姉妹は、意味がわからないこともあるようですが、スキーマの形成が必要ろ確認しました。この子達のお母さんは、ここで同時にやっている日本語教室で学んでいますが、「先生、この子達は明日、英語のテストがあるのですが、意味がわからないので、覚えよといってもできないのです」と言っていました。

S・Sさん:シリア出身ですが、子ども3人は日本生まれで、小6、小4、赤ちゃんです。日本は外国と比べると多様性は少ないですね。我々は日本国籍ですが。私は22年前に日本に留学で来ました。子どもたちには日本語を中心に学んで欲しかったです。自分のシリアの母語はシリアにいる祖父や祖母と話す時にはわからなくて困っていますが。今は外では日本語で、父親とは英語で、母親とはアラビア語で話すことも大切かなと思っています。外とのちがいを感じすぎるのもどうかと思いますが。

質問:母語と日本語の両方を学習言語として持つことは可能でしょうか?親が教えることも可能でしょうか?

参加者からの質問と講師の回答

質問1:日本語環境にいる子どもをバウリンガルに育てることは可能か?

清田さんの回答:簡単なことではないと思います。子ども任せではなく、親御さんも環境を整えることが求められます。例えば、家に母語の本や絵本があるとか、ビデオがあるなど。親の母国にいるおじいさんやおばあさんと話せなくなるだけでなく、子どもが親より日本語力が伸び、親と話せなくなるとか、話したくないということも起こります。日本語を話せない親との会話は面倒だと。

王植さんの回答:家庭の中で、2つや3つの言語環境を保つのは簡単ではないです。子育ての中で両方のバランスを良くしたいとは思いますが。例えば、外では日本語を話し、家庭内では、母語で話すとか。カミンズの図のように、頭の中では両方で考え、伸びているという点から、学校で学んだ事を家では母語で話合うとか。そこでは、堅苦しくなく、軽く普段の生活の中につなげるという方法で。

質問2:母語への意欲をどうやって育てるか?

回答:読み聞かせ:絵を見て内容を把握する。そして、母語の、年齢相応の本に接することや、読み書きへつなげるために、学習言語を育てて行くことが必要ですね。

質問3:学習言語の獲得はどのようにするのか?

回答:低学年の子は、切り替えが早いが、母語の喪失も早いので、良いことばかりではない。(母語の読み書きの力をもっていない場合は、喪失しやすい)留学生や成人とは、子どもの母語の持ち方は決定的にちがいがある。

たとえば「ごんぎつね」を母語で読んで、母語で子どもとやりとりしながら、内容を把握していきます。週に1時間であっても、学習言語レベルの母語に触れ、使っていくことは大事です。どのように教科を教えるのか?が課題になりますね。

質問4:保護者は学習支援に関わらないのか?

回答:

  1. ネットワークを使う(地域でことばに困っている人がいたら紹介する。してもらう)
    例)母語で支援していた保護者が今は、教育委員会でスタッフになっている例もある。
  2. 保護者とタグを組んで支援する。(保護者とコミュニケーションを取りながら)
    例)ポルトガル語の教材作りをいっしょにした。
    英語圏出身の子どもの親に「ここまで読んでというメモを渡した。(保護者の活躍する機会を作る)

質問5:行政としての詳しい質問がしたい。

清田さんの回答:国際教室での支援の経験がある先生が、行政担当になっているので、紹介します。

質問6:中国出身の双子姉妹に対する質問

回答:母語支援の方法を実際にやっているのを見せてもらう方法もあります。

質問7:母語支援者について

回答:母語支援者は、ただの通訳ではない。学習支援の場での母語支援者は、教える人です。母文化を共有しているので、子どもがつまずく場所がわかるし、見通しができる。そのため、母語支援者とは、母文化を共有し、教科の内容も教えてくれる人です。

王植さんからの回答:川崎市の行政では、初期支援として、100時間がある。「サバイバル日本語(外部企業)」が日本語学習を提供する。100時間支援が終了後は、国際教室などへ(もし、小学校の時代に100時間が消化されなかった時は、中学校でひきつづき提供する)

横浜市の場合は、初期支援指定学校で2ヶ月間学習する。(子どもにはもっと自然な形での学習の方がいい。)「子どもが日本語ができないから、覚えさせよう」という考えもあるが、子どもそれぞれの理解の仕方があり、思っていることを引き出させる方法が必要であろう。

その他の質問と回答

T・Tさん:日本社会の中で支援してきた子どもたちは、どのように今はなっていますか?

清田さん:日本にいて成長し、高校生、大学生、企業に就職した子もいていろいろです。日本語ができて親を支援する側になっている子どももいます。社会に貢献したいという気持ちがある子が多くいます。

王さん:支援者として中学校に戻って、後輩たちを支援している子どもさんもいます。

M・Sさん:ひまわり教室は、「宿題を見てほしい」という外国につながる保護者の希望で始まりました。私もそのころから、やっています。(2014年)それ以来、この子の日本語能力はどれくらいと言えるのかとよく考えていました。ひまわり教室では、いっしょに勉強したあと、遊んではじけている場所になっていてこれがいいと思います。毎回、子どもの数が多い日も少ない日もありますが、多言語環境にいることを自覚するだけでもいいと思います。学校とのつながりもあり、指導者も学んでいます。

これからの課題としては、バイリンガルの力をつけるのは、なかなか難しいということがあります。でも、その力のある人がこの研修会の場にたくさんいらっしゃると思います。実践の方法を学び、どうやって乗り越えるかを考えていきたいと思います。

R・Sさん:母語支援者は通訳ではないと指摘がありましたが、私たちも通訳だけをしてもらうつもりは、ないですね。  

後日頂いた清田先生からの研修会の補足

土曜日の研修会ではたいへんお世話になりました。会の後半&終了後に、たくさんの質問をいただきました。お答えできていないものもいくつかありますので、補足いたします。

・先生からの「外国人生徒が活躍する場」についてのお尋ねでした。

実際に、A先生がいらっしゃる中学校でどのような活躍の場があるかは、直接A先生に伺うのが一番と思います。(私が知っているのは、文化祭の時、国際教室の生徒がみんなで出し物をすることと、卒業式の時、子どもたちの出身国の国旗も壇上に並んでいること、さらには、卒業式の校長先生のお話の中にも、外国人生徒の活動に触れるお話がありました。)

一つだけ言えることは、「1年に1回の晴れ舞台」的な、つまりイベント的な活躍の場だけではなく、普段の学校生活の中で(=日頃の学習活動の中で)、どうやって外国人生徒の存在を「当たり前のように」受けとめ、日本人生徒との学び合いの場を作っていくかの方がとても重要だ、ということです。 たとえば、A先生の中学校では、毎日流れる下校の放送は、多言語でアナウンスされています。とはいってもなかなかイメージもしにくいかと思います。

 国際担当の先生へのインタビューが新聞記事になっているので、それを添付します。(参考までに。)

③ ②とも関わりますが、学校での取り組み、国際教室の授業、そして家庭での親子の様子が登場する映像作品を紹介します。

「百聞は一見にしかず」で、大学院の授業でも必ず流す映像です。全部を見ると45分かかりますが、フィンティくんというベトナムの子と、ゆきみさんという中国の子どもの部分は必見です。その二人の子どもだけを見ていくと20分ぐらいです。(学生は衝撃を受けています・・・。「知らなかった」と。)

「大きないちょうの木の下で」という作品で、M先生のいらした学校が舞台です。

もともとはNHKのドキュメンタリー番組でしたが、今は「NHKティーチャーズ・ライブラリー」にネットで申し込むと、無料で借りることができます。

ただ、借りることができるのは「学校の先生」だけで(※常勤・非常勤を問わない)、何の授業で子どもに見せたか、反応はどうだったかなど簡単な報告を書く必要があります。

ひまわり教室の関係者の中に、小中学校や高校、あるいは大学で1時間でも授業をもっている方がいたら、その人に申し込んでもらうと話が早いです。

簡単ですが、補足は以上です。

王さんや私が支援に関わっている学校では、今年度最後の支援が終わりました。

1月は、日本語と母語で、国語の入試問題に取り組みました。(5月に会ったときには日本語がなかなか出てこなかった子どもが、入試の長文問題に取り組んでいる姿を見ると、「頑張ったんだなぁ」としみじみ思いました。)

ひまわりのみなさんは、地域に根付いているという強味と、飽くなき向上心をお持ちで、「はぁ〜、すごい」と思うばかりです。

今回も、たくさんの刺激をいただきありがとうございました。

2022年7月17日(日)外国につながりをもつ子どもの学びを支える研修会

コンテント

開催:2022年7月17日(日) 10:15~12:15

場所:ガレリアかめおか 2階大広間

講師:大野友アンドレイアさん(箕面市国際交流協会職員)ブラジルから14才で来日。現在は箕面市国際交流協会の職員として外国ルーツの子どもをサポートする活動を行っている。

内容:1.講座「マイノリティと日本社会の狭間で」(10:20~11:10)

   2.セッション(質疑応答)(11:10~12:15)

参加者数:26名

共催:京都府国際センター(令和4年度外国にしながりをもつ子ども・保護者のための居場所づくり支援事業)、亀岡国際交流協会

主催:オフィス・コン・ジュント

研修開始

堀江亜希子さん(京都府国際センター)のあいさつ

  • 資料について(アンドレイアさん制作の年表の紹介)
  • 研修会の流れについて

司会:児嶋きよみ(オフィス・コン・ジュント主宰)

講演:「マイノリティと日本社会の狭間で」

児嶋:アンドレイアさんは、亀岡に来ていただくのは、二度目になります。では、どうぞ。

アンドレイアさん:「マイノリティと日本社会の狭間で」という良いタイトルをつけていただき、ありがとうございます。日本でもブラジルでもマイノリティになると思いますが、マジョリティの面もあります。今は、外国人市民や外国につながる子どもたちの相談など受ける仕事をしていますが、私自身の人生をひろげることもあるなあと実感しています。

 最初の画面を見ていただくと、バナナがいっぱいありますね。日本ではバナナというと黄色いバナナを予想されるでしょう?ブラジルでは、バナナの色も形もいろいろです。木で黄色くなったのは、おいしいし、バナナナニッカという小さくてなかなか手に入らないのもあります。このいろいろなバナナを見ていただき、人もいろいろな人がいますよということを考えていただきたいので、話をする最初は、このバナナの映像にしています。

 2018年に亀岡に呼ばれて来ましたが、その時も話しましたが、私の履歴を知らせて、これからの課題をみなさんとごいっしょに話合いをしていきたいと思います。

なぜ、私の祖先がブラジルに行ったのか?

 祖父(母の父)は、最初は、中国の満州へ行っていました。祖父はあまり当時のことは、話しませんでしたが、当時は、瓦職人として仕事をしていました。日本が戦争に負けて引き揚げてくるようになりました。その時は、男子は、軍へ、女子は子どもを連れて引き揚げということになっていました。祖父は徴兵されて行ったのですが、そこから離れて帰る途中に偶然、家族と会えて、中国国内を汽車を乗り継ぎ、船に乗り、ようやく山口県にたどりついたそうです。途中では、中国のいろいろな人が助けてくれたおかげで帰国できたようです。祖父は中国満州では瓦職人でしたが、日本では最初は、何もなく、子ども4人と5人目の母が生まれ、生活は大変だったようです。

 戦後の政府は、海外移住センターを開設し、南米などへの移住を促進し始めていました。現在は日伯協会とか、関西ブラジルコミュニティなどの組織があります。ここで、祖父は決心をしました。ブラジルへ行く際、アマゾンを選択すれば、誰かの下で働かなくてもいいとのことだった。サンパウロへ移住した人は農園で雇われる形でした。アマゾンでは土地しかなく、家も自分で作らなければなりませんでした。コロニアという場所で、植民地の意味もありますが、ブラジルでは、外国人居留地のような意味で使われ、日本人の多く住むコミュニティです。アマゾンのコロニアに入植し、こしょう作りを始めました。学校には、船に乗ってみんなで行き、日本語での学校があり、ブラジルの学校には行っていませんでした。でも、土地についての知識が無く、雨期には水が溜まるような場所で、そこを避けて点々と移って行ったようです。その後、日本政府が推奨した土地でしたが、その土地が農業に向かない土地であると認めましたが、その補償は全く無かったそうです。母は、学校へ通うために、ブラジルの政治家のひとりの養女になり、アマゾン河口の都市ベレンに住みはじめました。1985年の民政移管後、この政治家は姿を消し、母ひとりが残され、家族の元に帰ったと聞いています。 

 私の父は、日本の会社の駐在員でしたので、日系1世の母との間に生まれた子どもが私で、日本国籍とブラジル国籍を持っています。生まれて3ヶ月以内に日本領事館に届ければ日本国籍が取れたのですが、それを知らない家庭もあり、日系の人でも日本国籍のない人が多くいます。

ブラジルの人種

 ブラジルは、先住民が多く住んでいたのですが、1500年にポルトガルにより発見という名で入植され、ヨーロッパからブラジルへ移住して来た人が多く、先住民を農場の雇い民とすることが難しかったので、アフリカから奴隷として黒人をたくさん連れてくるようになりました。このころから、白人から黒人が搾取され、1830年代に描かれた絵画には、黒人奴隷が白人にサーブしている様子が見られます。当時、ブラジルは、アメリカの10倍くらいの奴隷を連れて来たと言われています。

 現在は、ブラジルは、白人、黒人の区別があまりなく、混在していて、フレンドリーと言われ   ていますが、実際にはどうかなと思います。サンパウロには以前は日本人街と呼ばれた地域がありましたが、現在は、東洋人街と言われ、アジア人が多く住んでいます。アジアからは、中国からの移住者が先で、韓国などからも多く、多様性がイメージとなっています。

 しかし、大統領は今でも、白人ばかりで、アンドレイアさんが日本に来て、多くの日本の人々が、「ブラジルは白人の国とは思っていない」ということに大変驚いたようです。9月7日はブラジルの独立記念日と言われ、パレードやマーチが盛んに行われています。でも、実際には、ポルトガル人がブラジルを発見し、後に侵入してきたというのが事実です。 インドとまちがって、先住民をインディオと呼ぶようになったのは、よく知られていますが、現在は、「先住民を守る」という組織もあります。地方によってはちがいがありますが、総人口の2~3%と言われています。インディオは、ワクチンの接種も大変で、白人が行き、それで、コロナになり、免疫を持っていない病気に感染、問題になっています。

ブラジルでの構造的な人種格差

 奴隷解放の記念日も5月13日になっていますが、実際には奴隷は、白人に買われていた商品と思われていて、自由は自分の金で支払ったともきいています。アメリカで「Black lives matter」の動きがありましたが、ブラジルは白、黒が混ざった色の皮膚なので、問題はわかりにくく、優遇政策はありけれども十分ではないでしょう。

 アメリカでジョージ・フロイドが警官に殺され、大きな問題になった7日後、ブラジルのヘシーフェと言う町で、市長の妻のメイドをしていた女性が、犬の散歩を命じられ、その女性の5才の息子は市長の妻(雇われ主)と家に残され、エレベーターで9階に上がり、そこから、その子が墜落するという事件が起こりました。雇われ主がエレベーターのボタンを押す映像が監視カメラに写っており大きなニュースとなりました。事件当時は構造的な人種格差によるものだと本人も気づいていませんでしたが、その後、そのメイドだった母親が法律を勉強し始めた。人種差別が当事者にとっても分かりにくい構造であることが分かります。

 軍事政権時代に教育学者のパウロ・フレイレは抑圧者の権利を訴える活動をしており、捕まえられたあと、チリへ逃れ、その後ヨーロッパへ逃れた事件があります。フレイレの思想に共感したアウグスト・ホアールと言う人もまた劇を通して、抑圧と権力の仕組みを伝える活動を行い、箕面国際交流協会では、この手法を使って「日常の中の多様性について」、というテーマで取組を続けて実施しています。

「わたしのアイデンティティは、どのようにして現在までに作られてきたのか?」

という課題があります。

 父は日本の会社の駐在員でしたが、母と結婚してサンパウロにいたようですが、ここには、日系のグループもあり、マジョリティの一員です。その方が安全ではありますが、私が1歳の時、日本人がほとんどいないガラパリという町へ行き、やおやさんを始めました。仕事はないかとたずねて来る人が従業員となりどんどん増えました。やおやの後、家のガレージをお店にして、アイスクリームや缶詰なども売っていました。私はそこの幼稚園に入ると、言葉がちがうことに気づきました。父母とは日本語で、近所の子どもたちとは、ポルトガル語で話していたが、日常のボキャブラリーが少ないと感じました。その後、父はホテルをやりはじめました。雇い人は、やおや時代から一緒に成長してきた従業員で、ほとんど、町のスラム街に住んでいて、学校に行っていなくて、アルファベットも書けない状況であり、「なぜか?」と考え始めました。その後、ホテルのレストランを作るとき、さしみは気持ち悪いと言われる時代でしたので、中華料理店をしました。学校でいろいろな行事もありましたが、なにかみんなとちがうと思うようになりました。

 第2次世界大戦の時、母方の祖父を含め、その時代を生きた1世はあまりその時代のブラジル政府の対応を3世や4世の孫には言っていませんでしたが、日本移民強制退去事件などもありました。その後も、日系のあいだで、戦争の勝ち組と負け組が戦ったこともありました。

 私の学校生活は、そのずっとあとですが、どの子もルーツはいろいろで、「あなたは何系?」とは言われませんが、アジア系はみな、「日系」と言われていました。でも、そこには私ひとりしかいないので、ルーツは問われませんでしたが。

 ブラジルの時代背景ですが、大統領が替わるとお金まで変わってしまうのです。1980年~1990年代ですが。今日、何かを買っても、明日それが買えるという保証はないのです。お金が変わるので、以前の紙幣は役にたたず、ドアのストッパーにされているのも見ました。ためてももったいない時代でした。

 その後、1991年に父は家族と共に、サンパウロへ移るか、日本へ帰国するかを考え、突然、ブラジル人出稼ぎ者がいるわけでもない大阪の吹田市に帰国しました。私は、14才で、弟は、11才と7才でした。帰国したのは1月で、寒くて寒くて大変だったのを覚えています。当時、政府の支援制度などはありませんでした。母は、いろいろなところから、情報を得て、私の正式な名前の「長谷川友アンドレイア」からアンドレイアを取り、長谷川友とするようにしました。ちがいがあるといじめられると思ったようです。中学校ではマンガ研究部に入っていた人から声をかけられることがありましたが、日本語の読み書きもままならず、成績は悪く、当時入れる高校として、高知にある全寮制の高校に入ることにしました。ここの国際コースに入ると、その後、Jリーグができて、その高校にブラジル人留学生もくるようになり、私が通訳や翻訳を頼まれるようになりました。その後、大阪外語大学に入学し、ときどき、ディスコに行くと、ブラジル人が多く来ていることに気がつきました。JICAの南米日系プログラムで住み込みの研修もしました。

 高校時代にカナダに留学し、英語も話すようになりました。その後、仕事でアメリカに行き、夫とはそこで知り合い、結婚しました。

 2013年に箕面市に来て、国際交流協会へ子どもといっしょに行くと、ポルトガル語を教えてほしいと頼まれました。日本で生まれ、親は日本語を話せず、親との会話のできない高校生たちに教える仕事です。その後、相談が必要となり、協会の相談業務に関わりを持つようになりました。

講演終了。

質疑応答

Z・Yさん:バナナの写真がありましたが、フィリピンに日本語教師として行った時に、バナナは、128種類ほどあると聞きました。料理用のオレンジ色のバナナが好きですが、ブラジルにはどれくらいのバナナの種類がありますか?

アンドレイアさん:ブラジルにもいろいろな種類のバナナがあります。日本では黄色のバナナがほとんどで、バナナと言ったら黄色と思っている方が多いようです。それで、最近のお話しの最初に、この絵を見てもらい、バナナといってもいろいろありますよと多様性について考えていただいています。

M・Wさん:20数年間、大人向けの日本語教育を地域でしていましたが、子どもさんと関わることがなかったので、行政との関わり方など、知りたいと思い、参加しました。それについては、いかがですか?

アンドレイアさん:外国籍を持つ人は、義務教育ではないので、でも受け入れますよくらいの態度が最初だったと思います。現在は、文科省の予算もつき、市でも予算化されてきました。ただ、市単位でちがいが大きいと思います。教育委員会でも担当者がいない地域もあります。外国人児童がどこで困っているのかをわからない先生もいます。そのまま行くと、中学校では、積み重ねがないと勉強がしんどくなる子が出てきます。箕面市でも外国にルーツを持つ子どもの学習と居場所事業があり、日本語教室は7校ありますが、それぞれがつながることはむずかしいので、学校で子どもの学習支援ができるのが、いちばんいいと思います。時には特別支援のクラスに行くように勧められることもあります。でも、そうなると、自意識が下がり、教室に入るのもいやがることもあります。支援方法も市によって大きなちがいがあるので、もう少し大きな範囲(県や府、日本全体など)で教育の方法を考えて行く方が望ましいです。

F・Kさん:日本に来てからの経験や今の活動などをお話ししていただき、ありがとうございました。聞きたいのは、日本の中でのマイノリティには大きな壁があるのではないでしょうか?

アンドレイアさん:多文化の受け入れについての前提がアメリカなどと大きくちがいます。アメリカのカリフォルニア州などでは、移動してきた保護者に、母語としてのことばの歴史をそれぞれにまず、聞きます。保護者自身が、子どもの言語学習には、母語が関係するという意識を持ってもらうためです。     日本では、先生も、保護者にどこまで聞いていいいのかわからないと思う人もいて、地域によって大きな差が出てきます。母語をどこまで子どもが使い、日本語はどの程度かの認識があれば、いろいろな支援に助けになります。それがないとその子の問題点が見えてこないと思います。

F・Kさん:日本に来て良い点はありますか?

アンドレイアさん:それぞれの国にはいろいろな価値観があり、それぞれがちがいます。親の国の過去を聞き、比べるのではなく、現在を比較する事が必要ですね。

 例えば、年金制度なども、ブラジルから日本に移住した場合、現在は、ブラジルの年金制度から続けて日本でかけ続けられるとか、知らないひとも多いです。

Z・Yさん:ブラジルは白人が中心の国というのを聞いて驚きました。確かにテレビの主役にも白人が多いのですね。力を持っているのも。

H・Kさん:ブラジルのニュースで、最近アマゾンで火事が続いていますね。温暖化のせいだと思いますが、政府は力を入れているのだろうか、入れていないのではないかと思います。政府の安定が必要ですが、現在の政府はどうなのでしょうね。

アンドレイアさん:アマゾンに住む先住民も弁護士になり、活動して居る人もいますね。貧富の差も大きいですね。毎日の生活が大変なので活動を続けるというのも大変ですね。

児嶋:ブラジルの第3の都市のベロオリゾンテにいた1985年からの3年間に見た子とだけでも、驚くことはたくさんありました。化粧品店にもおしろいの色が黒っぽいのから真っ白までいくつもあって、肌色などという日本のクレパスの色もなくなりましたが、全部肌の色なのです。それほどちがうのですね。姉弟でも、大きなちがいがある家族もありました。

アンドレイアさん:ブラジルの日系人だけが住む地域の学校は、日本語だけもありましたが、小さい時だけと聞きました。中学校からは現地の学校へ行きポルトガル語だけで学ぶようになります。現在90~100才となる移民1世の中にはポルトガル語ができない人もいます。2世に当たるその子どもはポルトガル語しかできず、日本に出稼ぎに来ると、今度はその子どもは日本語しかできず、親子での会話が難しいケースがあります。

 親子が別の母語で生活をしていて、他のお母さんと交流できていないお母さんもいます。そのような親子の会話の通訳などの協会ですることもあります。例えば女の子の生理の話なども。見た目もちがうのに、日本語しか話せない人もいます。何度も警察に呼び止められる人もいるようです。日本生まれの日本育ちでもです。

 自分の子育てでは、長男は日本で生まれましたが、5ヶ月でアメリカに駐在する家族として行き、6才の時に家族で日本に帰国しました。日本では英語でしゃべれないので、「自分は何人か?」と長男から聞かれたことがあります。「日本人なのか、ブラジル人なのか、アメリカ人なのか」と。

 子どもというのは、何人という意識は、属している環境によるのかもしれないと思うようになりました。

講座終了。

2021年度ひまわり教室関連の報告

コンテント

2021年4月から2022年3月までのひまわり教室に関連する1年間の報告です。

2021年度のひまわり教室

2021年度、ひまわり教室は、二教室で開催してきました。

馬路教室は、亀岡市馬路文化センターで火曜日の午後6:00~8:00で開催

中矢田教室は、大本愛善苑会館で木曜日の午後6:00~8:00で開催

子どもの参加費:300円、保護者参加費:無料でした。

※8月からはコロナ禍のため、おもにガレリア3階の会議室で、2カ所の合同ひまわり教室を日曜日の10:00~12:00で開催してきました。

2021年度の動き

2021年4月

4月13日 馬路教室 参加者:子ども2名
中矢田教室 参加者:なし

4月18日(日)Global Session
ゲスト:品田井サフワンさん(ひまわり保護者:シリア出身)ガレリア大広間にて開催
亀岡国際交流協会共催・公益財団法人大阪コミュニティ財団の「多文化との共生」分野の助成金授与

4月23日(金) 中学校校長会でのひまわり教室について説明を開催

5月

ひまわり教室2教室ともに開講なし

5月11日(火) 小学校校長会でひまわり教室について説明を開催

6月

6月 馬路教室 8日(火)・15日(火) 参加者:8名
中矢田教室(ガレリアかめおか)10日(木)・17日(木) 参加者:4名

6月20日(日) 2021年度ひまわり教室発表会
午後1:30~4:00 ガレリア大広間にて開催 参加者27名(参加料:無料)

7月

7月 馬路教室 6日・20日 参加者:4名
中矢田教室(ガレリアかめおか)8日 参加者:1名

7月13日(火) 指導者Meeting ガレリアかめおかにて開催

8月

8月 中矢田教室(東部文化センター)5日 参加者:1名 19日 参加者:なし
※馬路教室の場所をガレリアかめおかへ変更

日本語集中講座
8月1日・4日・12日・21日・29日  述べ参加者:13名
2年前の春節に中国の父母の実家に帰国し、日本にコロナ禍のため2021年7月まで帰国できなくなった男子1名(1年生)と、中国出身の2名男子を対象。  

8月8日(日)夏休み合同宿題&工作教室 午後1:30~4:00 ガレリア2階大広間 にて開催 参加者:23名参加(参加費無料)
ちぎり絵つくり・新聞紙で折り紙・習字・自画像制作

8月22日(日) 研修会「外国につながりをもつ子どもと地域の居場所つくり」
午後2:00~4:00 府国際センターよりオンライン開催
「ひまわり教室(亀岡)の活動紹介」 講師:児嶋きよみ(Office Com Junto主宰)
NPO舞鶴国際交流協会&(公財)京都府国際センター主催

8月28日(土) 「外国につながりをもつ「元」子どもの声を聴く」オンライン開催に変更 午後1:30~3:30
講師:ヤンソル(梁 説)さん「Books×Café Sol」店主
Office Com Junto&(公財)京都府国際センター主催・亀岡国際交流協会共催

8月29日「外国につながりをもつ子どもの日本語・教科学習支援」オンライン開催 午後2:00~4:00
講師:滑川恵理子(京都女子大国際交流センター助教・ひまわり教室指導者)
NPO舞鶴国際交流協会&(公財)京都府国際センター主催

9月 

9月ひまわり合同教室(ガレリアかめおか3階会議室)午前10:00~12:00 19日 参加者:3名

9月23日(木) 指導者Meeting 午前10:00~11:00 ガレリアかめおかにて開催

10月

10月ひまわり合同教室(ガレリアかめおか3階会議室)午前10:00~12:00 17日 参加者:7名 31日(日)(ガレリアかめおか3階会議室)参加者:6名 

10月9日(土)研修会「第2回外国につながりをもつ子どもの学びを支える研修会」
午後1:30~4:00 ガレリアかめおか3階会議室にてオンライン開催
講師:熱海まき子さん(横浜市立中学校教諭・国際教室担当)
Office Com Junto・亀岡国際交流協会共催
「公益財団法人大阪コミュニティ財団」の「多文化共生」分野の助成金授与

11月

11月 ひまわり合同教室(ガレリアかめおか3階会議室)午前10:00~12:00
7日(日) 参加者:5名 21日(日) 参加者:8名 

11月11日(木) 指導者Meeting 午後1:00~2:00 ガレリアかめおかにて開催

12月

12月ひまわり合同教室(ガレリアかめおか3階会議室)午前10:00~12:00
5日(日) 参加者:5名 26日(日) 参加者:6名

12月19日(日) Global Session&ひまわりクリスマス会 午前10:00~12:00 ガレリア1階工作室にて開催 参加者:22名
「音楽からさぐるポーランドのクリスマス」ゲスト:オジュグさん(ポーランド出身・大学教官)
Office Com Junto・亀岡国際交流協会共催
「公益財団法人大阪コミュニティ財団」の「多文化共生」分野の助成金授与

2022年1月

1月ひまわり合同教室(ガレリアかめおか3階会議室)午前10:00~12:00
8日(日) 参加者:4名 16日(日) 参加者8名

1月23日(日) Global Session 午後1:30~3:30 ガレリア2階研修室にて開催
タイトル「僕の言論の自由」 ゲスト:品田井サフワンさん(シリア出身・立命館アジア太平洋大学出身・会社員) 

2月 

2月 ひまわり教室開講なし

3月

3月ひまわり合同教室(ガレリアかめおか3階会議室)午前10:00~12:00
6日(日) 参加者:2名 20日(日) 参加者:6名 

3月31日(木) 指導者Meeting 松田真美さんの古民家千手庵にて

                   

      

2020年度の指導者meeting及び研修会

コンテント

指導者meeting
2020年7月23日(木・祝)10:30~12:00 ガレリア3階会議室
ゲスト:堀江亜希子さん(京都府国際センター)
京都府国際センターの「外国につながる子ども」に関わる事業について

支援者研修会meeting
2021年1月30日(土)1:30~3:30 (オンラインで30名以内)
(オフィス・コン・ジュント・京都府国際センター&亀岡国際交流協会共催)
・児嶋きよみ(外国につながる子どもの学習支援教室ひまわり教室の紹介)
・新谷遙(にたにはるか)(教科学習につなげるための日本語指導~小学生への指導を中心に):京都外国語大学講師

Zoom Meeting
2021年2月9日(火)10:00~12:00
(横浜国際教室と亀岡のひまわり教室について)
清田淳子さん(立命館大学)・王植さん(横浜国際教室・宇津木さん・児嶋

ガレリア会議室ZOOM&参加者Meeting
2021年3月8日(月)10:30~12:00
「外国にルーツを持つ子どもの特別の教育ニーズと支援~多文化共生を尊重した支援の在り方の検討」資料
長櫓涼子(上田女子短期大学児童文化研究所報・40号)
ひまわり教室に関わる学校別児童・生徒の現状(2021年3月6日現在)について

2019年度ひまわり教室に関する発表一覧

コンテント

6月7日(金)17:30~ 京都教育大学
浜田麻里教授主催学習会にて、ひまわり教室巣の絵本作りについて発表。
発表者:滑川恵理子 サポート:児嶋・末永

8月7日(水)、8日(木) 立命館大学衣笠キャンパス
MHB研究大会(母語「・継承語・バイリンガル教育学会)
ポスターセッション:児嶋きよみ 「ひまわり教室について」

8月20日(火)13:30~16:22 キャンパスプラザ
JIAM(全国市町村国際文化研修所)実地研修
テーマ:外国につながりを持つ子どもたちへの学習支援~多様性社会を生きる「次世代」の育成
発表者:児嶋きよみ

10月28日(月)13:30~16:00 峰山地域公民館講義室
講座名:「外国にルーツを持つ家庭サポーター養成講座」
府内の活動事例紹介として、「外国につながりをもつ子どもの学習支援教室・ひまわり教室」について発表。
発表者:児嶋きよみ

2019年度ひまわり教室関連の研究会開催一覧

コンテント

2019年度に開催した外国につながる子ども・保護者・教師の研究会です。
主催:京都府国際センター、オフィス・コン・ジュント
共催:亀岡国際交流協会共催

第1回:8月3日(土)13:30~16:00 ガレリア大広間 参加者:20名
講師:中山美紀子さん(京都市立春日丘中学校・日野小学校 日本語教室担当常勤講師) 
テーマ:「やさしい日本語」を使った子ども・保護者とのコミュニケーション
内容:外国につながりをもつ子どもの学習支援をする指導者のスキルアップを図り、地域の学習支援教室の活動を支援方法について。

第2回:11月23日(土)12:00~16:00 ガレリア大広間 参加者:28名
講師:清田淳子さん(立命館大学教授) 
テーマ:「外国につながりをもつ子どもへの教科学習支援」
内容:学習言語とは何か? 学習言語能力を伸ばすために有効な支援方法について。

2019年度馬路教室・中矢田教室によるひまわり合同教室イベント開催一覧

コンテント

7月23日(火)9:00~15:00 場所:馬路文化センター
ひまわり合同宿題&工作教室(馬路文化文化センター)参加者:30名 
宿題と工作の他に、馬路文化センターのプールを利用しました。
参加者には、簡単昼食が提供されました。

8月6日(火)9:00~15:00 場所:千手庵(千歳町)
ひまわり夏休み合同宿題&工作教室 参加者:30名 
宿題と工作の他に、あそびの時間も取りました。
参加者には、簡単昼食が提供されました。

12月22日(日)10:00~14:00 場所:ガレリア和室研修室
冬休み宿題教室&クリスマス会  参加者:27名
谷口スセットさんによるメキシコのクリスマスのお話
クリスマスツリーのかざりつくり(横井照美さん指導)
クリスマス絵本の読み聞かせ(山添きみ代さん)
参加者には、簡単昼食が提供されました。

2020年2月2日(日)13:30~16:00 場所:ガレリア大広間
2教室発表会 参加者:33名
馬路教室は、牛若丸を英語劇で発表。
中矢田教室は、絵本「反抗期:メキシコ・シリア・中国」の紹介。
いろいろな国のじゃんけん遊び
絵本作りの発表(たなかのりこさん&滑川恵理子さん)
みんなでおどろう:谷口スセットさんがルンバがを指導