2021/04/20

2021年3月27日(土)第338回グローバル・セッション・レポート

開催後のレポート
グローバルセッションイメージ

開催日:2021年3月27日(土)13:30~15:30
場所:ガレリア2階大広間
ゲストスピーカー:崎 ミチ アンさん(同志社女子大学表象文化学部 英語英文学科 教員・カナダ出身)
コーディネーター:四方美智子さん
参加者:13名

 今回のタイトル:「多文化共生社会時代の子育てとは」

This global session will be interactive in that all session attendees will share their thoughts, experiences and opinions about the topic of raising children in a multicultural Japan.

Topics and questions for discussion:

What does “multicultural co-existence” mean in the Japanese social context?

Multicultural co-existence in Japan: the past and present

Trends and Challenges of raising children multiculturally and multilingually in Japan (issues at home, at daycare/school, medical facilities, public facilities, etc.)

How can we try to better co-exist multiculturally in Japan?

(日本語訳:﨑 ミチ アンさん)

このグローバルセッションでは、多文化な日本における子育てについて、参加者同士がそれぞれの考え方や経験、そして意見を出し合い、共有する場です。

話し合いのためのトピックスおよび質問事項

日本の社会的状況における「多文化共生」の意味とは何か?

日本における多文化共生について:過去そして現在の状況は?

日本における多文化にまた多言語で子どもを育てるという傾向と課題とは?

(家庭で・学校や保育所で・医療施設で・公共施設などで)

日本における多文化共生社会をより良くするために、どのようなことに挑戦すればいいのか?

参加者自己紹介

四方(C)さん:最初にこのGlobal Sessionを亀岡市交流活動センター(宮前町)で立ち上げられた時からのオリジナルメンバーです。いつもトピックスがタイムリーで、よく刺激を受けています。楽しみながら、多文化共生や国際理解をこのGlobal Sessionに参加していきたいと思います。

サムさん:カナダ出身で、カナダのゲストと話したいです。国際交流員です。

M・Fさん:話すと長いのですが。亀岡とオーストリアのクニッテルフェルトと姉妹都市盟約をされ、その一団がオーストリアにいらした時にお手伝いをし始めてからのお付きあいになります。今は日本に来ていますが、オーストリアには40年以上暮らし、日本語教師をしてきました。複文化・複言語に興味を持って、その勉強会に参加しています。夫(オーストリア人)と共に亀岡市内に暮らしています。夫は農業に興味があり、いろいろな方にお世話になっています。

H・Iさん:前の職場であった亀岡交流活動センターで始まったGlobal Sessionに1999年から関わっています。この20年間1ヶ月に1回の開催でしたが、いろいろなテーマが取り上げられて来たと思います。

Mu・Fさん:私も最初から参加しています。以前の交流活動センターの環境はすばらしかったです。いつも新しいテーマを取り上げ、刺激を受けてきました。私自身はNPO法人として映画会社に勤務後、京都映画クラブを立ち上げ、子ども達に映画作りを教えています。京都では時代劇を、草津市では、名所を尋ねる内容で作成しています。

K・Yさん:20年ほど前に、交流活動センターで仕事をしたときからのお付き合いです。
(児嶋:Yさんは、読み聞かせの専門家で、本の音声入力ボランティアもされています。ひまわり教室では、毎回絵本や、かみしばいを読んでもらっています。)

R・Sさん:ひまわり教室で学習支援をしています。外国につながる子どもたちのことばの獲得と学力とのつながりは大きいと感じていて、その方法が課題です。
(四方:教員だった私の上司で校長先生でした)
(児嶋:ひまわり教室を開校することになった子どもたちとお母さんがいた学校の校長先生でした。それに、私の次女の小1の担任の先生でした。大昔からの知り合いです。)

S・Yさん:今は能勢町に住んでいますが、亀岡市に住みたいと家を探しています。多文化共生センターが亀岡市に開設され、知り合いになりました。子どもは二人いますが、今は、ここの託児所に預けてきました。夫とは、カナダで出会ったのですが、もとは、アルメニア出身で、カナダに移住していました。夫は英語、日本語、ロシア語、アルメニア語を話しますが、今は、コロナでまだ、日本に来れなくて、9ヶ月直接は会っていません。

四方:アルメニアは、トルコやロシア、アゼルバイジャンと闘争中ですね。

H・Uさん:はじめての参加で四歳半の子ども(やまだはるよ)がいます。東南アジア研究をしていて別の所に長く住んでいたのですが、世界人権問題研究センターの研究員となり、京都に移住しました。フィリピン研究者として、学校にも入って行っていました。
(児嶋:ひさしぶりに亀岡でUさんの社会教育の講座があり、お会いしました。)

M・Kさん:現職の教員で、以前は、ネパールに2年間研修に行っていました。ネパールは多文化共生の社会であり、それが当たり前でもあったので、この点を柱にしたいと考えています。日本もそのような社会になりつつあるのに、まだその感覚ができていないと感じています。学校でもこれから取り組んで行きたいと思っています。

グローバルセッション開始

四方(C)さん:Global Sessionの約束ですが、1.当てない 2.どこからセッションに入って  きても良い。これをまもるために私は、当てません。

ミチさん:今年は桜が早くて、駅についたら、人が多くてびっくり。明日は雨かもしれませんね。

 今日は、花見に最適かもしれませんが、このように天気がいいときに来ていただいてありがとうございます。自己紹介を少ししますと、私は、崎 ミチ アンと言います。カナダのブリティッシュコロンビア州の出身です。在日25年になります。日本には最初にJETプログラムの英語指導助手として仕事を始め、2年が5年になり、あっという間に10年が過ぎました。結婚し、子どもができて今も日本に住んでいます。

 カナダは、多文化、多言語地域でカナダに生まれるとカナダ人となり、人々はいろいろな国から来ています。そのため、カナダの言葉とその国の言葉を話すのは当たり前の環境でした。日本で子どもを出産したとき、病院で、看護士さんが、「外人の子はかわいいね」と言うのを聞いてびっくりし、不安にもなりました。自分は「外のひと」なんだと。もちろん、悪い意味で言われたのではないことはわかっていましたが、なぜか大きな不安を覚えたのです。子どもが4才になったとき、夫と子どもの言葉はどうしたほうがいいのかと話合いをしました。それまでは、母親である私とは、英語と日本語と両方で話し、父親である夫とは、日本語で話していました。「日本にいるのだから、日本語の方がいいのではないか?」誰に相談したらいいのかよくわからなかったので、義母に聞くと、もちろん「日本語でしょう」と言いました。

 でも、自分の母語は英語なのに、なぜ、日本にいるからと行って母語ではない日本語で話さなければならないのか?日本語では自分の気持ちは全部を話すことはできない。何を言われてもいいので、英語で話したいとその時に思いました。ただ、子どもが外でどう思われるのかは気になりましたが。日本の教育について思うのは、母語の大切さにあまり関心がないなとも感じています。実際には、自分の子どもは1年生には通常の日本の学校に入学しました。その間も、インタナショナルスクールの方がいいのではないかと悩みました。子どもから、「私は何人?」「カナダ人?日本人?」と聞かれたことがあります。子ども自身もアイデンティティと言葉の間で悩んでいるようでした。夫にはあまりこの気持ちは理解されなかったようです。友人にも相談できる人はいませんでした。彼女は今はインタナショナルスクールに2年生から移り、今はあまり悩んでいないようです。どの言語を主にするかは、今決めなくてもいいからとも言っていますし、楽しく学校に行っています。父とは日本語で話し、母とは日本語と英語で話すのは変わっていません。自分は日本の大学で英語を教えていますが、自分の日本語もあやういと思う時があります。「反抗期」のことを「抗反期」と言って指摘されたり。

M・Fさん:私はオーストリアで3人の子を育ててきました。日本語教師として、オーストリアで、40年以上教えていました。最初の40年以上前は、オーストリアは、閉鎖的で義父母からは、子どもに日本語を教えようとすると、「たくさんの人が話している言葉を話さないのにどうして?」などとも言われました。でも、自分の思いを話す時に母語で話さないなんてと強く思いました。

自分の子どもは現在は、自分のアイデンティティを持っているようで、他人の言葉に対してもオープンです。国際人としての身体を持ち、でもハートはそれぞれでいいのではないかと思います。

 自分の親は、「英語は世界中で話されているので、英語は大事」と言っていました。でも、どこの国の言葉も大切です。「できる」ことと、 「わかる」ことはちがうはずですね。ひとつの言語をしっかりやる必要があると思います。マルチリンガルというのは、難しいと思います。それと、「must」ではなく、「楽しいからやろう」と思う方がいいと思います。今の方が、昔に比べれば、ネットやスカイプや会議もZOOMでなどいろいろな方法を自分で選ぶことができていいなあと思います。

 40年間いたオーストリアを離れ、2020年12月に日本に住みはじめました。子どもさんは親といっしょに来ても知らないところは、はじめは大変でしょう。頭と身体とわけて日本をキャッチしていくような気がします。そのため、子どもさんには「いっしょにはなそう」とできるだけ声をかける必要があるでしょうね。大人になれば、マルチカルチャーの中ならどこでも同じだと思います。

四方(C)さん:ひまわり教室の子どもさんがみなさんの話を聞いているといろいろ多い浮かび、目からうろこです。日本ではマルチカルチャー社会でなく、まだまだでしょう。カナダは国際的のようですが、私は日本人学校の教員として、20年ほど前に3年間過ごしていました。その時に聞いたスリランカのおばちゃんの話を思い出していました。「自分には4人の息子がいるが、その嫁の言葉はみな違う。」それを聞いた私は、カルチャーショックを受けました。シンガポールも国際社会そのものです。子どもを何語で育てるかは、大きな課題で、友人の夫さんは、シンガポール人で、日本人の友人との間の子どもさんは、英語で育ったそうです。子どもの時には自分のことばに揺れていても、そのうち自分で消化していったそうです。

M・Fさん:家族の方針として考えればいいと思います。でもひとつの言語を母語として持っていることは大切なことと思います。日本では「外人」と言われますが、ポジティブな意味でとらえればいいし、ひとりで6カ国語くらい学ぶのが普通の国もあります。社会にでるとやはり強くなるのではないでしょうか?

ミチさん:子どもを見て「外人」と言われたことがあります。

H・Uさん:言う人に悪意がなくても、どういう場面で言われるかにもよりますが、「我々とは違う人」という意味はありますね。

M・Fさん:日本ではあまり教えていないようですが、ヨーロッパでは「アジア人」というのは、「中国人」のイメージがあります。自分の中の差別感を考えて見る必要があるでしょう。

H・Uさん:露骨な人種差別ではなく、「外人」と簡単に言われていますね。日本で「ハーフ」がどう扱われたかというローレンスの分析があります。「日本に住むなら日本語がいい」という考え方も認識がうすいからだと思います。複合言語で育つ大切さもありますね。

四方:ひまわり教室でも姑さんに「日本で育てるのだから日本語以外で子どもに話しかけたらいけない」と言われたという話がありましたね。韓国から来た子どもさんのお母さん(日本人)が韓国人の夫さんのお母さんから、「韓国では日本語は使わないで」と言われ、全く母である自分は、子どもに日本語で話しかけなかったのを、日本に事情があり連れて来て、日本の小学校に入れた」という話を聞いたことがあります。

H・Uさん:日本でも、学校内に日本語教師がいるような学校(外国につながる子どもがいる)では、教師が外国につながる保護者を複合言語を使うよう励ますこともありますが。

四方:外国人で日本語を学んできたフィリピン出身の母親から聞かれたのですが、「にほんのこんだて」の「にほん」を「2本」と取り、「あと1本は?」と聞かれたことがあります。にほんを「2本」と取ったのですが、実は「日本」の意味だったことも。親にも子どもにも日本語での教育をする場合には支援体制が必要だと思います。

児嶋:私は、外国につながる保護者の方々を見ていて最近感じるのは、大人になって外国語として日本語を学んで来た自分たち(親)は、母語が確立しないまま日本の学校にポーンと入れられた子どもさんたちの体験は、実は親御さんは、誰もしていないという現実に気がついていないのではないかという点です。学習言語をしっかり学び、力をつけるには、5年から7年かかるという研究結果が広く行き渡ってきましたが、保護者は子どもが流暢に日本語を話し始めると「もう大丈夫」と思いがちですが、実はそれはちがうという点です。テストでも教科書でも3年・4年になると普通の会話では使用しない言語が多く使われてきます。その内容をちょっとわかりやすく説明して手助けするのと、しないのでは、自分の頭の中に残るものがちがって来て、将来に大きく差ができるはずです。ひまわり教室では、「宿題を見る」と言っていますが、宿題を見ながら、この子は、どこらへんが理解できていないかが見えてくるので、少し前に戻って九九を教えてみようとかやることがあります。問題の意味が分からないために正解ができなかったと思えることもたびたびありました。せっかくひまわりがあるのに、話せるからもういいやと思い、子どもが「行くのがいや。時間がない」などというと、それに打ち勝つことができない保護者が多いのです。

R・Sさん:学校が休みの時や、ひまわり教室を規制が出て開校できなかった時も子どもさんと連絡を取りながら、指導して来ました。今担当している中2の子どもさんもまじめで休まず来ていました。でも、なぜか伸びていかない、もうちょっと上に届かないという現実があります。本人は、自分に自信が無いようです。お母さん(中国出身)は、子どもには自分の母語である中国語は使って来ませんでした。外国出身の母としての立ち位置をはっきりさせた方がいいのですが。でも真面目まので、時間は掛かるけれども多分必要な学習言語や学習内容は、彼は、獲得するだろうとは思っています。

S・Yさん:「自信がない」のは、外国につながる子どもでなくても日本人の子どもでもない子はいると思います。なぜなのかと考えますが。

M・Fさん:認められた時には、外からの刺激があれば作り出すはずです。

ミチさん:子どもが大きくなり始めたとき、2、3才で保育園に入れようか、インタナショナルの幼稚園に入れようか迷いました。また、小学校へ入れるときも。結局小1の1年間は日本の普通の学校に行きましたが、2年生からは、インタナショナルの小学校に行きました。

S・Yさん:小1の子どもがいます。日本に来た時には日本語をいやがっていたのですが、今は日本の学校に行っていて、日本語だけを話しています。「なんでいちいち英語で話す必要があるのか?」と。

カナダでは、日本人の両親を持つ子どもさんでも、普通の学校に行っていて、日本語が話せない子どもさんも多くいました。

ミチさん:私自身は日系4世で、家でも英語でみんなが話していました。親戚付き合いもあまりなく。私は、母語は英語でした。大学に入ると、日本人のペンパルがいて、日本語が好きになりました。

 今は、TABUNKO(たぶんこ)を造り、活動を始めています。ここに来る子どもは日・英のバイリンガルが多く、親も「日本の幼稚園について」など悩みをだれに相談したらいいのかがわからない人が多かったので自分たちでグループを作ったのです。

 ミックスルーツの家族の居場所つくりを目指しています。活動のひとつとして、多文化ストーリータイムがあり、母語と日本語とでの読み聞かせを目指しています。

四方さん:40年ほど前の事ですが、ブラジルから仕事に来ている人の子どもさんが転入し、教室には担任がひとりだけで右往左往していました。今は、学校現場も大きな変化があり、サポートシステムも整って来ています。支援者も入っている所もありますね。昔はゲストとして、外国人の来てもらうという感じでしたが今は、ちがいますね。学校と家庭とひまわり教室のような地域の支援グループとの連携が必要ですね。 亀岡市は多文化共生センターも作り、見通しは明るいと思います。

H・Uさん:TABUNKOは、お父さんも入れますか?母語が日本語ではない父親もいますね。

児嶋さん:S・Yさんはどこにおすまいですか?

S・Yさん:能勢町です。でも亀岡に住みたくて家を探しています。

四方さん:マルチリンガルを継承することはむずかしいですね。

サムさん:カナダでは、中国人のコミュニティでは、中国語を話すのが普通ですが、日本人の2世の人たちはコミュ二ティもあまり作らず、帰化する人も多いし、その国の言葉を話 したいという願いが強いようですね。

ミチさん:父母は、日本語でも話していたと思いますが、母は、「カナダ人なのに何で日本語を話さなあかんの?」と言っていました。日系の交流会には参加していましたが。コミュニティがあれば、ルーツが日本語ならば、日本語でやろうとしているところが多いです。

四方:継承語というのは、子どもにとっての親の言葉であり、母語はMother tongueの英語であり、小さい時から生活に使用してきた言語という意味ですね。

M・Fさん:書けなくても話せる言葉もありますね。

M・Kさん:日本には、マルチリンガルが育つ場があまりないですね。いろいろな言葉を話すと楽しいよという気分が伝わらない様な気がします。「外人」とか言われれば子どもは、いやな思いをしたと感じるはずですね。いろいろな言葉ができれば楽しいと感じられる環境を作ることが必要で、そのためには、大変でも乗り越えたいですね。

S・Yさん:もっと英語を勉強したいとカナダへ行ったのですが、教え方がちがうと感じました。生きた英語というか。日本の学校の英語のレベルはまだ低いと思います。

M・Fさん:ある付属小学校の英語授業を見学したことがありますが、教え方があまり適切でない気がしました。子どもはカタカナで書くような発音で話していました。

四方さん:2020年度からは、小学校でも週に2回英語の授業があり、大分充実して来ました。6年生の最後には、各自が自分の夢を英語で語ることも課題でした。

M・Kさん:日本の子どもは日本語しかない環境に住んでいる子が多いですが、外国ではイマージ ョン教育も多く、聞く力がつきます。日本では授業はあっても、わからないままで卒業し、苦手意識のある子どもが多いですね。大人も話せないですし。

S・Yさん:日本の学校では、先生だけがしゃべっていることが多く、自分の気持ちを伝える手段を持つ教育が必要ですね。

四方さん:今年は子どもたちに英語を教えていましたが、課題も多かったです。聞くだけでも力はつかないので。

児嶋さん:Tabunnkoのようにいろいろな人がいるとおもしろくなるでしょうね。

Mu・Fさん:先ほど子どもの映画作りをしていると言いましたが、子どもの数は20名ほどにしぼっています。友人2人を誘って対応していますが、子どもたちにまず、シナリオを渡すと、覚えるのがとても早いです。でも最初に自己紹介をさせると、声が小さいのです。多分、はずかしいのでしょう。発声練習として、「おかあさん」と呼んでごらんというと、だんだん打ち解けてきて大きな声が出てきます。「みんなに聞こえるように声を出してね。」とも言います。これが終わると、子どもたち自身を2つに分け、スタッフ担当と俳優担当にします。スタッフ担当は、監督も任せます。監督には、「あの読み方でいいのか?」などと声をかけ、監督から指示をするようになります。俳優役の子どもには、監督やスタッフが台詞を読むように指示を出します。子どもの中にはフィリピン出身の子もいましたが、監督が「日本語の発音がおかしい」と言うと、「日本人ではないので、発音を教えて」と答えだんだん良くなることをみんなで見て来ました。一人では映画はできないと気づいて来るとみんなが真剣に取り組むようになって来ました。最後に「映画作りというのは、できるまでやるのですね」と言った子どもさんもいました。

ここで終了です。

長くなり、1:30~3:00が3:30を過ぎてもまだ話が続きそうだったので、あとは、個人でそれぞれにお任せして解散になりました。

課題は多くありますが、日本で外国につながる人たちが多くなることは目に見えていますので、いろいろな言語で話していいし、理解もしたいし、楽しいという環境を作っていきたいという雰囲気になりました。

次回が楽しみです。