2022/04/12

2022年3月27日(日)第346回グローバル・セッション・レポート

開催日:2022年3月27日(土)10:30~13:20
場所:ガレリア3階 会議室&オンライン
ゲストスピーカー:濱田雅子さん(元武庫川女子大学教授、アメリカ服飾社会史研究会 会長)
コーディネーター:児嶋きよみ
参加者:12名(うちオンラインでの参加4名)
共催:アメリカ服飾社会史研究会、亀岡国際交流協会

 今回のタイトル:服飾から見た生活文化シリーズ22回目「写真が語るアメリカ民衆の装い(その2)―1850~60年代の民衆の生活文化を垣間見るー」

講座開始前

濱田さん:今日の話の内容は、パワーポイントに録画をしてありますので、そちらをオンラインで送信させていただきます。その上で説明が不足している場合は、セッションの場で考えを述べたいと思います。PODと電子版で出版予定の本があります。版下・装丁、表紙のデザインは、自分でいたしました。『写真が語る近代アメリカの民衆の装い―Guidebook of Joan Severa: Dressed for the Photographer, Ordinary Americans and Fashion, 1840-1900」(ネクパブ・オーサーズプレス2022年4月中旬刊)という本です。写真が多いので大変でした。詳しい書誌情報は下記のホームページに掲載しています。

https://www.american-mode.com

さて、現在は、ロシアとウクライナの戦争という人道的に許しがたい戦争が起こっていますが、やがていつかは平和になると確信を持ちながら、私たちの文化活動を続けてゆきたいと心から願っています。今日は濱田講座の22回目で、Global Sessionは、349回目になります。

【濱田さんの講演内容】

今回は、前回に引き続き、「近代アメリカの写真が語る民衆の装い(その2)―1850—1860年代の生活文化を垣間見る―」というテーマでオンライン講座を開催させていただきます。よろしくお願いいたします。

【本講座の研究文献の紹介】

Joan Severa, Dressed for the Photographer, Ordinary Americans and Fashion (1840-1900), Kent State University, Ohio, Kent, 1995. p.592.

本書はJ・セヴラ女史(Joan Severa,1925-2014)が30年と言う歳月をかけて取り組まれた大作で、アメリカの服飾研究者から高く評価されています。彼女はウィスコンシン・ミュージアム歴史協会の学芸員を30年にわたって歴任する傍ら、アメリカ服飾学会の理事や多くの博物館のコンサルタントとして活躍してこられました。

本書は、ミドルクラスや下層階級のアメリカ人たちが、ダゲレオタイプの銀板写真技術が導入された1840年から1900年の60年間に、記念写真や日常生活の写真に、どのような装いでおさめられたのか、かれらのバックグランドや服装のディテールの分析も含めて、マテリアル・カルチャー(物質文化)の視点から書かれた大作です。掲載された写真は何と277枚。服飾の専門家の視点で写真のなかの服装が的確に分析されています。ヨーロッパやアメリカの上流階級の装いを扱った書物は、沢山、ありますが、アメリカの庶民、すなわち、アメリカの民衆の装いを扱った書物は、J・セヴラ女史の上記の著作以外には、一冊もありません。

二部構成です。

第一部では、クリミア戦争という歴史的背景、写真技術の発展の歴史を踏まえて、最初に、1850年代の写真が語る民衆の装いをコルセットの変化のあり方に焦点を当てて語らせて頂きます。前回はコルセットが女性の身体に及ぼす影響という視点から、議論が白熱し、レポートでも「このような目まぐるしく、仕事に追われる日々を送っていると貴族の女性のようにコルセットを付けてお洒落をした自分の姿を見てみたい」というご意見もいただきました。

次に、前回、男性の服装について、もっと知りたいとのリクエストがありました。今回は、この方のご要望にお応えして、1850年代の男性服をご紹介しましょう。

  

【第一部】

1.ヨーロッパの背景―第二帝政時代・クリミア戦争

☆1848年 2月革命⇒ルイ・フィリップの治世は終止符⇒王はイギリスへと亡命⇒ ブルジョア共和制の成立⇒ブルジョアジーとプロレタリアートの対立激化

☆1852年12月2日 ナポレオン3世 (ルイ・ボナパルト、ナポレオン1世の甥)が第二帝政を宣言

☆クリミア戦争

1854年~56年のクリミア戦争は、トルコ・フランス・ロシア間の聖地(イエルサレム)管理権問題にその端を発します。ロシア、トルコ両国が開戦。349日間にわたる攻囲戦でセバストポリが陥落しロシアは敗北しました。

戦争はヨーロッパとの貿易に大きな影響を及ぼし、アメリカでは商品が不足し、失業者が続出し、多くの企業が倒産しました。しかし、婦人用の記事から判断すると、貿易の崩壊は単に毛皮製品の不足から立証されたにすぎないと人々は信じることができたとのことです。

クリミア戦争は、この時期の歴史にいくつかの影響を与えた。国際政治の面でロシアの南下政策を一頓挫させたということも、むろんそのひとつでありました。

2.写真技術の発展の歴史

さて、次に1850年代の服飾に関わる時代背景として、アンブロタイプとティンタイプの写真技術の発達について述べましょう。

 ダゲレオタイプの写真技術は、庶民が気軽に写真撮影を出来るようなものではなく、非常に高価なものでした。銀板の準備は複雑で面倒なものであるため、より簡便で、安価で使いやすい感光材の開発が行われました。その結果、1851年に、イギリス人のフレデリック・スコット・アーチャーによって、銀板の代わりにガラス板を使う「コロジオン湿板写真」が開発されました。

(1)ダゲレオタイプDaguerreotype

ダゲレオタイプ(Daguerreotype)とは、ルイ・ダゲール(Louis Jacque Mande Daguerre,1787-1851)により発明され、1839年8月19日にフランス学士院で発表された世界最初の実用的写真技法であり、湿板写真が確立するまでの間、最も普及しました。銀板上に直接左右反転した白黒画像を得るダイレクトプロセスです。

(2)アンブロタイプとティンタイプ(フェロタイプ)

ダゲレオタイプの写真技術は、庶民が気軽に写真撮影を出来るようなものではなく、非常に高価なものでした 湿板写真を利用したティンタイプ、アンブロタイプ写真は、高価なダゲレオタイプ(銀板写真)に代わり直接ポジ画像を見ることができる写真として1850年代以降広く普及しました。

次に、カルト・ド・ヴィジット、グラス・プレイト・ネガティヴ、キャビット・フォトグラフ、スタジオ・ポートレート、およびステレオスコープ・ヴューの写真技術が1850年代以降に普及します。これらの写真技術について解説させていただきます。

(3)カルト・ド・ヴィジット

カルト・ド・ヴィジットは名刺の代用で、フランス人発明家のアンドレ・アドルフ・ウジェーヌ・ディデリ(André-Adolf-Eugè ne Disdéri(1819-1889)が、1859年に発明しました。最盛期は1863-1876年、衰退期は1877-1880年である。素材はアルビュメン・プリントです。

(4)ガラス・プレート・ネガティヴ

ガラス・プレート・ネガティヴは、アンブロタイプのすぐあとに登場したガラス乾板のことです。昔使用していた、35枚撮りのフィルムの前身は一点ずつのガラス板でした。アンブロタイプは薬品をガラスに塗布し、それが乾かないうちに撮影したため、湿板と呼ばれたのですが、ガラス乾板は、薬品がその名の通り、乾いた状態でガラス板についています。ネガポジ法です。この利点は、まず、どこでも写せたと同時に、現像処理をその場で施す必要がなくなったことにあります。また、複数枚数を制作することも可能としました。ガラスネガティブになってあらゆる意味で写真のフィールドが拡大したことになります。

(5)キャビネット・フォトグラフ

キャビネット・フォトグラフはキャビネットに飾られたことに由来する名前をもっています。このカードは、全くの第三者の目にプライベートなポートレイトがさらされるようになった時代の始まりでもあります。

(6)ステレオスコープ・ヴュー

ステレオスコープ・ヴューは、ステレオスコープを使って覗く3-D写真です。同じ写真を左右に一枚のボードに貼り付け、ステレオスコープを用いて、両眼で覗くと、3-Dに見えるのです。

1860年代の写真の大半は、ガラス・プレート・ネガティヴ、キャビネット・カード、ステレオ・カードの技術が開発されたため、1840年代、1850年代のスタジオでダゲレオタイプの写真に収められた写真とはかなり趣が異なっています。

3. コルセットの変化―写真に見る身体に優しいコルセットをつけた女性たち

「今もエリザベートのダイエットをするための木の機械が保存されていると聞いています。」

 このようなご意見もいただきました。ご意見を下さったご本人にもお尋ねし、ネットで調べてみたら、木製の器械の写真が出てきました。左の梯子を登って、木製の鉄棒のような器械にぶら下がったのでしょうか?

https://make-happylife.com/2020/09/21/sisi-sweets/ 参照して下さい。

 さて、1850年代のアメリカではコルセット装用の実態はどうだったのでしょうか。写真を通じて見て参りましょう。

ちなみに、ジョーン・セヴラさんは、次のように述べられています。

「1840年代後半の前身頃が長くて、胸部をおしつぶすコルセットは、1850年代には、妊婦や授乳中の女性や少し太り気味の女性に、実際問題として、どのように受け止められていたのであろうか。「このスタイルは、中年になった女性たちが流行の丈長で窮屈なコルセットを使うのをやめ、快適さを選んだことをあらわしていると推察される。」(Joan Severa,p.8)

4.男性服

 1840年代の細い袖とズボンは、1850年代になってもよく着られていた。 1850年代後半には、流行遅れになったスタイルの服が仕事着に格下げされたことが、写真から見てとれる。 男性は、時には平気で「普段のままの」格好でカメラの前に座ったように見える―つまり、職場からそのままスタジオにやって来たような格好をしていて、女性と比べてわりあい着慣れてしわが寄った、いくらか古く見える服を着ていることがよくあるのである。 特に袖はより幅が広くなり、アームホールが1840年代より高い位置にあった。

 ベストは1850年代にはダブルの打ち合わせが主流になる傾向が見られ、ノッチドカラー[刻み衿]が付くことが多かったが、写真にはショールカラー(shawl collar)のものも写っている。 手の込んだ模様織りのシルクは正装用のベストに用いられ、そのなかには燃えるような色のものもあったが、昼間用ベストは黒のウール地で、コートとお揃いであった。 夏には白または淡褐色のコットンのベストが着用され、一部は涼しさを考慮して打ち合わせがシングルだった。 チェック柄のベストは1850年代終わり頃の特徴的な品で、チェック柄のズボンと一緒に着用されたが、ベストとズボンのチェック柄のサイズは同じではなかった。

1850年代初めのファッション・プレートにはまだ細いスタイルのズボンも見られたが、当時の典型的なズボンは、足を入れる部分が比較的幅広の筒状で、折り目がなく、つま先の上で「しわがよる」よう長めに作られていた。1850年代中頃には格子縞やチェック柄や明るめの色のズボンが「あかぬけた」服装をする男性たちに人気があったが、それでも写真では黒が主流である。ウールは年間を通して使用され、リンネルは夏に着用された。

1850年代の男性用シャツでは、中ぐらいのサイズで首回りがあまり高く立ち上がらない衿を、ネクタイの上に折り返していた。この種のゆるいシャツは裾をズボンの中に入れて着用し、時には上にベストを着たが、スモックのように他の服の上に重ねて着用するものではなかった。当時の写真に見られるスモックは、膝が隠れるくらい長く、時にはシャツとネクタイをその下に着ていることが見てとれる(Joan Severa, p.105を要約)

帽子やネックウェアーやヘアー・スタイルや髭の写真も紹介させていただきました。

第二部】

 第二部では、1860年代の写真が語る民衆の装いを歴史的背景を踏まえて、考察させていただきました。歴史的背景は南北戦争(1861-65年)と戦後の再建期(1865-1877)です。1865年には合衆国憲法修正第15条で、奴隷制の廃止が規定されました。戦後の南部の再建はアメリカ合衆国に課せられた大きな課題でした。中でも解放奴隷の土地や仕事や衣食住の保障は、重大な課題でした。

1.南北戦争の背景と経過

   ☆南部地域における黒人奴隷を労働力とする大農園(プランテーション)の普及

☆奴隷制をめぐる南部と北部の対立

☆南部:イギリス産業革命以降、綿花の需要が増大。イギリスへの綿花の供給と工業

  製品の購入という相互依存関係。自由貿易制度を主張し、奴隷制度の存続望む。

☆北部:40年代以降、産業革命が本格的に進行。イギリスと競合関係。奴隷制に反対。

☆1861-65年―合衆国(United States of America)と脱退した南部11州が結成したアメ

 リカ連合国(南部連合 Confederate States of America)との間で戦われた戦争。奴隷

解放の戦い。

2.年表

 1820年 ミズーリ協定

1850年 カリフォルニアが自由州として連邦加入

1854年 カンザス・ネブラスカ法の成立。共和党の結成(奴隷制反対)

1860年 共和党のリンカーンが大統領に当選(南部は認めない)

1861年 アメリカ南部連合結成

1863年 奴隷解放宣言発布

1865年 南部の首都リッチモンドが陥落 

    合衆国憲法修正第15条で、奴隷制の廃止が規定。

3.写真に見る服装の解説

 本章には家庭裁縫に携わっていた人々、学校の教師、リフォーム・ドレスの運動に携わっていた人々、移民、西部入植者、農業労働者、解放奴隷、自由黒人、ネイティヴ・アメリカンなどミドルクラスや下層階級の様々なカテゴリーに属する庶民の写真が掲載されています。そこで、本講座では1840年代、および1850年代とは異なる視点から、写真の紹介、考察を行いました。階級的視点・ジェンダーの視点から見た服装、人種・民族の視点からみた服装という分類をおこないました。なぜなら、解説に掲載した一覧表に見るように、写真技術の発展に伴い、被写体の範囲が一部の金持ちの中流階級以上の人々から、中流・下層の民衆へと広がり、移民、西部入植者、農業労働者、解放奴隷、自由黒人、ネイティヴ・アメリカンなどミドルクラスや下層階級の様々なカテゴリーに属する庶民の写真が掲載されているからです。

 本講座では、なかなか目にすることのない、珍しい貴重な写真を紹介させていただきました。我が国でも、海外でもとてもマイナーな分野の研究です。

【参加者の自己紹介と感想】

オンライン参加者

K・Yさん:名古屋の大学で教えていて、フランス現代文学が専門です。濱田先生のリッチな発表ですし、書籍も手のこんでいる内容です。フランスの文化でもコルセットには言及されていますが、このように細かい説明は貴重です。この本は「写真が命」と言われましたが、写真の発展と共に出版の発展についても話されていますが、同じ写真でも、実際に服装制作を手がけてこられた濱田先生でなければ気づかないことも多いと思います。

第2部の歴史の流れを立体的文化論としていますね。貴族ではない庶民の服装に目を向けられ、奴隷解放後、自由人となった黒人の服装の写真を見て、限られた時代のその服装に目が行くという切り口は大変オリジナルだと思います。まだ写真という資料の少ない中での貴重な記録ですね。

S・Hさん:今回の講座は2回目になります。内容がとても豊富でよくまとめられていると思います。服飾界の習慣として、今までも貧困の人々の研究はあまりされて来なかったのではないかと思いました。

M・Mさん:鹿児島の大学と大学院で教えています。「観光旅行学」という学科で「観光学」は今まであまり重要視されていませんでした。この大学で4年目になりますが、2022年にゼミ生が京都大学大学院に進学し、これからの希望にもなりうれしいです。祖父は1760年から林業をやっていて、そこの土地や家を受けついでいます。Woodショックのあと、現在のSDGsの最先端を行けないかと考えています。

亀岡会場参加者

H・Kさん:Global Sessionは毎月1回開催されているので、毎回大津市から参加しています。1ヶ月ほど前に、BSテレビ東京の番組「Fashion 通信」で濱田さんがインタビューを受けられた番組がありましたが、私も見ました。その時の濱田さんの洋服は、ピンクでとてもきれいでした。

その時の放送では、日本が戦後になるまでにシルクの生産は、アメリカで使用されているシルクの60%を占めていたと聞きました。日本のシルクは以前の番組の「渋沢栄一」でもありましたが、明治初期から機械化されそこまで成長していたと知りました。

仕事はツアーガイドをしていて、この2年間はコロナ禍でフリーなので、仕事をしていませんでした。以前は、日通と企画もいっしょにしたり、日本ユースホステル協会とも企画から参加していました。2年前までは日本のツーリズムも発展していたと思いますが、コロナ禍のあとの、旅行業界の復興もかなり大変だなと思います。

濱田講座は、これから、第2次大戦後のアメリカの復興まで見られると期待しています。

M・Fさん:最初から参加していますが、今回は、170年ほど前のアメリカのコスチュームの話でした。写真もまだまだその時代のは見たことがなかったです。アメリカのコスチュームに視点を当てたことから、西洋中心の服飾業界であったのが、そのころからのアメリカの女性の服装が変わって来たことがわかります。写真を見て思ったのは、「女性もそのころから、働かなければならなくなったと思うが、パンツはなかったのか」という点です。

濱田さん:美を求めて機能的になるよう改善した服を着ていたと思います。日本の第2次大戦後の女性はモンペ姿でしたが、1850年代~60年代のアメリカ女性の服飾文化を比較するとかなりちがいがありますね。

M・Fさん:カメラマンに静止画像ではあるけれども、写真を撮ってもらった人がこんなに多かったのかと驚いてもいます。

S・Sさん:たくさんの資料を見せていただきありがとうございます。日本に来て21年になります。大学はAPUで、社会学が専攻で、エコツーリズムにも関心がありました。

今日の講座についてですが、写真がたくさんありましたが、写真から、こんなに情報が読み取れるのがすごいと思います。それと、いろいろな方面の写真もみられてすばらしいです。私の故郷のシリアもファッションは以前と比較すると大きく変化しました。歴史的な面もあり、人の大きな移動もありました。これを視ていて生まれた疑問ですが、人の移動は大きくなりましたが、今の時代のオンラインであれば、地球の反対側が今どうなのかが見えるのではないかと。これは、ファッションの研究にも使えるのではないかと思いますが。

E・Tさん:2022年になって開催のGlobal Sessionには初めての参加です。今日の講座を見ていて思ったのは、時代を経るごとにコンセプトが少しづつ変化してきているなと思いました。写真技術も改良され、苦労も苦悩もあったのではないかと。

私は、男性のファッションに興味があって、コートやベストなども昔からいろいろ持っています。どれも似たようなスタイルですが。質問ですが、Pコートとか、マラソンパーカーなど今は普通にありますが、いつごろから登場したのかなと考えていました。服を買うお金のある人は、どのように買っていたのかも知りたいです。(仕立てとか、売り場にあるのはいつごろからとか)

M・Oさん:主催者であるオフィス・コン・ジュントさんが、亀岡市の生涯学習賞の共生賞を受賞されたと聞き、おいわいに参加しています。GSは毎回、お知らせとレポートをメールで送ってもらっていて、今回は349回目ということですね。

今までも、濱田さんのGSは知っていましたが、自分には服飾でもあり、関係ないと思い込んでいましたが、今日は参加してすごくおもしろいと驚きました。よく調べておられて、日本の歴史で言えば、江戸時代の終わりころの話なのに、写真がたくさん出てきます。

実は家に銀版の写真がたくさん残っていて、捨てようかと思っていたのですが、今日の講座を聞いて、これは調べておかないといけないなと思いました。

児嶋さんは、1999年からGSを開始して今まで続けていると言われていましたが、思い起こせば、その前のアメリカ大学日本校ブームで亀岡にもオクラホマ州立大学京都校(1990年~1996年)があり、児嶋さんはそのころから仕事をされていて、今に至っているのですね。現在は、ZOOMもあり、今日のように亀岡だけでなく、いろいろな地域からこのGSに参加されていることを考えれば、大きな変化があったなあと再認識しました。

S・Sさん:さきほど自己紹介の時に、シリアを含む中東のファッションについての情報があれば知りたいと思いました。中東に何があり、また、アメリカなどのどのような背景があり、今があるかと。

濱田さん:中東の服飾については牧畜種族としての古い昔の衣裳の資料は残っていました。銅像などの写真も。狩猟生活を反映した繊細な作品であったと西洋服飾史の書籍にはあります。生活形態と密着していたと思います。初期の織物でカウナケスという動物の皮で造られたという衣服を着た銅像を見たことがあります。残念ながら、戦争で、文化的資料であった銅像なども破壊されました。また、動物から摂取したすばらしいい衣服もありました。丹野郁博士が撮影されたものです。その時、ギリシャ、ローマ、エジプト、西アジアの服飾についても私は、基礎を学びました。アメリカの服飾史はヨーロッパの影響をどのように受けたのかという内容について、濱田は研究してきました。

H・Kさんの言われたテレビの出演の時のピンクの洋服はパリからの輸入品のカシミア製のチュニックです。1920年代のボーイッシュ・スタイルです。

M・Fさんの「ズボンをはいた女性の写真はないのか」というご質問ですが、スカートの下にはいている写真がありますね。アメリカではドレス・リフォーム運動があり、濱田の「パリモードからアメリカンルックへ」という本に、詳しく書かせていただきました。

2022年3月23日に、ネクパブアワード2022のZoomでの授賞式がありました。

私の『パリ・モードからアメリカン・ルックへ アメリカ服飾社会史近現代篇』が審査員特別賞を授賞しました。  

濱田さんの書籍

【授賞式の動画】 

3/29(火)午後アワード2022のサイトに選評、受賞者コメント動画、授賞式の動画などが公開されました。

https://nextpublishing.jp/award2022/

児嶋:今日の講座の中での一番印象深かったのは、「奴隷解放後、人々は皆、失業した」という点です。黒人が解放され、すばらしいという解釈が歴史上も残っているのですが、この点には初めて気がついたような気がします。

濱田さん:アメリカのリンカーン大統領による奴隷解放後の「南北戦争後の再建」として解放民管理局が担当していましたが、奴隷の処遇がどのように行われていたかはわかりますが、服装についての研究はあまりありません。マイノリティは写真の数も少ないです。解放されても生活は抑圧されていたはずで、研究の今後の重要な課題でしょう。

K・Yさん:バックグラウンドがないため、研究もされてこなかったでしょうね。

濱田さん:アメリカの現地民族の服飾の研究に行った時に、ナホバ族の織物も習いました。黒人奴隷の服装というのもバージニア州を訪問したときに探しましたが、一着も見つかりませんでした。

S・Hさん:濱田先生は、なぜアメリカを研究しようと思われたのでしょうか?

濱田さん:私は東京に10年間住んでいたのですが、その時に丹野先生のセミナーに参加し、西洋服飾史を学びました。その時に、「西洋の上流階級の研究は多いが、その他は少ない。あなたはだれもやっていないアメリカの服飾の研究をやったらいいですよ」と丹野先生に言われたのです。これが動機になったと思います。先ほど、「貧しい人たちはどうやって衣服を入手していたのか」という話がありましたが、ゼブラさんは「アメリカの人たちは、上昇志向があった」と言われています。S・Hさんも言われていますが、貧しい人たちの写真はあまり残っていません。セブラさんも博物館の学芸員として長く研究されてきましたが、19世紀奴隷の服装などの、実態のないのをどう研究して行ったのかについては、とても難しい今後の課題です。今年は、7月と11月のこのGlobal Sessionで続きをやらせていただきます。衣服の現代化の問題などとてもおもしろいですよ。よろしくお願いします。

セッション以後の感想集

M・Fさん:「「近代アメリカにおける写真に見る風俗研究」しかも女史の風俗はと考え興味を持って拝聴いたしました。19世紀の上流社会の女性は、エレガントな衣装(コルセットによる)を身に着けて魅力的に振舞っていたのは、凄いことと感じ入りました。同時代の日本は帯刀した侍が町を闊歩する社会の中で改革の足音が静かに聞こえ始めたころです。

そんなことを考えながら、浮かんできましたのは、「GONE WITH THE WIND」の映画です。1861年に始まった南北戦争を舞台にした内容で、ヴィヴィアン.リーの着ていた衣装が素晴らしいと感じていた当時の意味が解ったようです。西部劇が好きでよく見ましたが、何時の時も主役の相手役の女性は、エレガントなドレス着用の女優で、西部開拓時代にこのようなdressyな衣装があるのかと不思議に思っていました。当時の優れた写真技術によりアメリカンハイクラス女性の発展性には感じ入りました。濱田先生有難うございました。」   

S・Hさん:「今回の講義で特に印象に残ったことや感じたことを挙げたいと思います。

前回の講義ではダゲレオタイプについて学んだが、今回はその他の19世紀の写真技術や種類について学び、その中で、安価で撮れるティンタイプよりも高価なダゲレオタイプで撮る方がステータスであったことが、まず印象に残りました。

そしてJoan Severaさんのある時代の服装習慣について論じるのであれば、服を買うお金がない人々はどのような格好をしていたかも扱うべきである。という言葉が特に印象に残りました。

19世紀に写真の技術が発展し、残された貴重な写真たちを読み解くためには、服装だけではなく写真のバックグラウンドに意識を向けることが大事だとわかりました。

その一方で、残っている写真がその時代の全ての人々の服装を表しているわけではないことにも注意したいと思います。ただ服装のみに焦点を当ててしまいがちですが、様々な角度から服飾史について学ぶことの重要性を改めて感じました。」

K・Yさん:「1850年代-1860年代のアメリカを中心にした服飾」

コルセットを中心にした発表においては、カルナバレ美術館の貴重な資料を示しながら、コルセットの種類を提示され、刺激的な内容だった。

研究の基礎となる写真資料の技術革新について、まずきちんと整理された点が、資料の精緻さを示し、発表を説得的なものにしている。

写真の読み取りに関しては、発表者が服飾に精通しておられるため、実作者の視点からの分析も功を奏している。

プランテーション時代の発表は、歴史の流れに沿ってなされたので、客観的な時代への位置づけがスムーズであった。

庶民の服装というのは経済的な制約もあり限られたものとなりがちだが、庶民の服装という切り口はとても重要なものだ。「リフォーム」がキーワードになると思うが、資料が少ないだけに研究の困難さが想像できる。

M・Mさん:濱田 雅子博士より、アメリカの服飾史の発表がオンラインで開催された。資料として写真も提示された。この資料は一般人のものであり、当時のアメリカの文化の根源となすもので、たいへん貴重な資料であった。ポイントは当時写真は高価なもので、有名人や超富裕層ではなく、一般の人々であることである。
特に奴隷解放後のアフロアメリカンの資料も多数あり、社会学的にも貴重な資料であった。この研究が服飾というものを通じて、アメリカ史の発展に寄与するものであることを、改めて認識した、非常に貴重な視座にたってのものであった。

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