2022/06/02

2022年5月22日(日)第351回グローバル・セッション・レポート

開催後のレポート

開催日:2022年5月22日(日)10:30~12:00
場所:ガレリア3階研修室
ゲストスピーカー:張穎(ちょうえい)さん(中国出身・宇治市在住・日本語学校教師・亀岡市内の小学校で外国につながる子どもの日本語指導員
コーディネーター:亀田博さん
参加者:25名

 今回のタイトル:「幸せとは?」

参加者の自己紹介

亀田さん:張穎さんはあとでお話しの中で自己紹介もしてもらいましょう。

今日は、張穎さんが。「幸せとは?」というお話しをされますが、世界の160カ国の中で、日本は、幸せの順位では、何位くらいと思いますか?ベストワンはどこと思いますか?

M.・Fさん:ブータンですか?

亀田さん:今は下がって、50位くらいのようです。1位は、現在NATO加盟で話題になっているフィンランドです。しかも5年連続です。ベストテンは、デンマーク・スウェーデン・アイスランド・スイス・オランダ・などです。なぜ、幸せと思うのかですが、人口密度は少ないけれど、社会福祉が整っているからでしょうか?フィンランドは、今サウナがブームで、サンタクロースやオーロラもあり、ムーミンが生まれたところでもありますね。日本は何位でしょう?実は62位です。中国の方も今日は多いですが、今は幸せ度は、72位ですね。日本の中で一番幸せ度の高いのは、実は福井県ですね。アジアやアフリカは低いですが、もっと下がって来ています。 幸せと思う要因はいろいろありますが、依頼感、経済的な面、寛容さ、健康、人間関係、自分に適した生き方をする自由などが挙げられていますね。

 幸せと感じるのは、どんな時でしょうか?おいしいものを食べたときかな?好きなだけ寝られる時?趣味や好きな事に没頭できる時かな?

 今日は張穎さんといっしょに「幸せ」について考えてみましょう。

張穎さん:「幸せはどこにあるか」を考える前に、幸せになりたい人は手を上げて見てください。たくさんいますね。今自分が幸せか気がつかなかった人も、今日は気づけるかもしれませんね。

サムさん(亀岡市国際交流員):幸せは過去にあると思います。その時は気が付かなかったけれども、「あのときは幸せだった」と気づくことが多いので。

ワンシー君:幸せは、自分で見つけるものだと思います。

張穎さん:例えば?

ワンシー君:たとえ、不幸であっても、自分で幸せを見つけていけばいいと思います。

Y・Yさん:私くらいの年齢になると健康が一番幸せかなと思います。

張穎さん:お金があれば幸せかな?ひとによるかもしれませんが。お金があってもさびしいこともありますね。友達がひとりもいないとか。さびしいなんて言えないような状態もありますね。どうしたらいいのでしょう?留学生のみなさんは、勉強していますね。卒業したら何をしたいのでしょうか?

D・Tさん:やりたいことはいっぱいありますが、今のことだけ考えていられることが幸せと思います。

張穎さん:今を生きることが幸せなのですね。チェンさんは?

チェンさん:自分の好きなことをすきなだけやれたら幸せと思います。私はマンガが好きなので、マンガを描いて行きたいです。

張穎さん:チャオさんは?幸せは?

チャオさん:自分が好きな事をできたら幸せです。

マさん:私の幸せは小さいです。家族といっしょにいて、どこかに行ったり、おいしいものを食べたりとか。将来京都大学に行って心理学を学び、医者になりたいです。

張穎さん:サラリーマンとかどうですか?忙しくても家庭に帰ればあたたかいご飯があるとか、子どもと遊べるとか。

亀田さん:大方のサラリーマンは、仕事は大変で残業もあるでしょう。しばられてストレスが溜まることもあるでしょうね。日本の人は真面目なタイプが多いのか、有休制度があっても50%しかとらないという統計があるようですね。回りを気にしすぎるのでしょうか?

張穎さん:どういうふうにがんばれば幸せと思えるのでしょうね。いろいろな職業があります。シェフなどはどうですか?料理が好きな人はいますか?

Y・Yさん:おいしい料理ができて、家族が喜んでくれたときは、幸せと思いますね。このゴールデンウイークには、味噌を手作りしました。

張穎さん:おいしい料理を作ったら家族が満足して幸せと思えるかもしれませんね。

D・Tさん:料理は好きですが、今はひとり暮らしなので、いっしょに食べる機会がないです。それでも幸せと感じることはできます。自分のためでもあるけれど、他人のために何かをして幸せと感じることもできますね。

M.・Fさん:毎日幸せと思っています。ウクライナの問題などを見ていると、何でもなく普通の暮らしができることがしあわせなんだと気がつきました。昔、父親に「普通というのは、普通じゃないんやで」と言われていました。今はわかります。アフリカの子はライオンの来る道にいることもあり、弾のないところで生活できることも、寒さもふせげる家があるし、小さいことでも無事に過ごせることがしあわせと感じます。

 先ほど、過去の事で幸せを感じると言われた方がいますが、子どもは多分、そうは思わないと思います。今しか比べられないので。気持ちの中のことがらなので、家の層や地位は関係がないでしょうね。幸せには。

K・Yさん:自分の心の中でどう感じるかで幸せかどうかが決まるのではないでしょうか?自分の心次第ではないかと。例えば、「自分の庭に花が咲いた」ことで幸せを感じる事もあるでしょう。

ワンリンさん:ひとりの子どもの母親ですが、子どもが幸せなら、自分も幸せと思います。毎日学校の出来事とか、勉強の内容など話してくれますが、それが幸せです。

ハオさん:家族がいっしょにいて、病気でなければ幸せと思います。

R・Sさん:何が幸せかと考えたことがなかったと思います。意識はせずにすごして来て、まわりと関わり、幸せを感じていたと思います。なまけものなので、ゆっくり、ぼおっとしていることも幸せと思います。

N・Kさん:あらためて幸せとはなにかと考える機会になりました。人とのつながりのなかで、自分のしたいことをしたり、それが幸せと思います。学校の教員をしているときは仕事はハードでしたが、子どもたちができるようになった時はうれしいと思いました。人とのつながりが有ることも幸せですね。ウクライナの事例もありますが、日本の今は普通の生活があって幸せと思います。

Y・Hさん:夫が病気になった時には自分も奈落の底におちたような気分でした。夫と過ごせたことだけでも幸せと言えるのではないかと今は思います。今は、ひとりですが、孫と暮らせたりして幸せと思います。

M・Yさん:私は小さい頃から父から、「好きな事をやれ」と言われていました。教師になりたいと思ってなったのですが、60才まで仕事をし、今も好きな事を好きなだけやって、スポーツが好きなので、それもやり、子どもたちと親の中に立ち、喜びを感じています。

Y・Yさん:92才の母がいるのですが、今は老人ホームにいます。2021年までは手術をするとか言っていたのですが、今は元気にすごしているので、それで、幸せです。

A・Uさん:しあわせって何?と考えていました。ささいなことでも幸せを感じると思います。私はポテトチップスを食べ、映画を見るのが好きで、そうしていると幸せを感じます。暖かい布団にはいったり、おなかいっぱい食べたり、そして人の役に立てれば幸せです。

H・Mさん:私は自分の頭で考えるより、親のいうとおりにするように言われて育ちました。母は今はリハビリ施設にいるのですが、以前は遅く帰ると玄関で仁王立ちになって待っていたりしました。今は親の目を気にすることもなく、幸せかもしれません。ただ、最近この地方でも地震が多いので、それが不安でもありますが。

D・Tさん:幸せを語ることはむずかしいなと思います。それぞれ、形もちがうし。今が幸せで、特にみんなと話ができる今が幸せで大切だと思います。

チャンさん(女性):家族が大切ですね。コロナ禍で会いたくても会えなくて、スマホで話せるのでそれで、幸せと思います。

チャオさん(男性):自分を大事にされたら、それで、幸せです。

チェンさん(女性):好きな事がやれれば幸せです。

マさん(女性):家族と電話で話すのが幸せです。

サムさん:幸せは過去のことと言いましたが、今が幸せなら、明日も幸せと思います。計画することではなく、幸せは偶然の産物では無いかと思います。

ヤンさん(男性):今病院にいます。幸せは個人的で、家族を作り、安定した仕事があればいいと思います。お金の多少は関係ないかもしれません。関心があることができて、どれくらい自分の価値を発揮できるかが幸せの自分の基準です。(オンライン参加)

朝陽君:学校の中間休みがしあわせです。友達と遊べるし。

亀田さん:今は自然から幸せを感じます。夜の空、星、満月、桜、みどりのもみじ葉など。自分のこころが出会いを感じています。ルーティンではなく、新しい出会いからも。コロナが収まらないと。普通にできないことができるようになると、何でもないことなのに、幸せを感じると思います。今、中国の上海や北京もそうですが、地方の人ほど2週間ほどは、帰国しても自宅には帰れないでしょう。2年前に帰国して。コロナ禍になり、帰って来れない人もいますね。

張穎さん:日本に来て結婚してから、6年間は夫と共に頼まれて、コンビニ経営をして「いたことがありました。その後やめてから、世界一周の旅に出ました。写真もたくさんあります。私は、幸せというのは、自分さえ良ければではなれないと思います。平和出なければ、世界への旅にも行けないですね。私の父は日本人で、母は中国人です。中国で生まれました。第2次大戦後の中国での父の取り扱われ方はすさまじく、兄が生まれたばかりの時に、遠くの刑務所に送られ、8年間も止め置かれ、ようやく帰ってくると、今度は1966年から1969年の文化大革命が始まり、父はみんなの前で頭に紙で作った帽子をかぶられて、首に重いレンガをかけられ、家族にも「倒せ」と言えと強要されたりしたようです。それでも、母は、そのような試練にも耐え、私も生まれました。ところが、その後も日本人の父の子どもである兄や私は、大学進学を許可されず、二人の兄は、独学して、大人になってから大学に進学ができました。私自身は高卒で、日本で働いていた兄の友人であった夫が中国に遊びに来たときに知り合い、その後、自身も日本に来て結婚をし、今があります。 

私はいろんな国の友達がいます。たくさんのお金がなくても、たくさんのことを学んで、どこに行っても、友達がいる、話ができることは幸せです。なので、世界の平和を願っています。

歌を歌いましょう。1984年に歌われた歌です。

「幸福在哪里」(幸せはどこにあるの?)という歌です。

幸福在哪里、 朋友我告诉你、 他不在月光下、也不在睡梦里。

他在精心的耕耘中 它在知識的宝庫里。

啊!幸福就在你閃光的智慧里。 啊!幸福就在你閃光的智慧里。

張穎さん:質問はありませんか?

児嶋:お父さんは日本人と言うことでしたが、中国ではどのようなことがありましたか?

張穎さん:反革命の家庭ということで、二番目の兄は2,3才のころよからよく、地域でいじめられたそうです。でも、近所の人たちはやさしくて、いじめる子達を「そんなことをしてはいけない」と言ってくれたそうです。母は、日本人の工場で織物を織るエンジニアの仕事をしていました。明るくて何があっても気にしないような人でした。父が刑務所から帰ってきた時に、兄は父を覚えていないはずでしたが、「お父さんが帰って来た」と言って走ってきたそうです。刑務所を出てから父は、人力車で荷物を運ぶ仕事をしていましたが、文化大革命が起こり、また、日本人ということで、ひどい仕打ちを受けました。みんなの前で頭に紙で作った帽子をかぶられて、首に重いレンガをかけられ、顔の前に「倒せ」と描いた布を貼られたりしました。家族もそこに参加するようにも言われたそうです。母には、「離婚したら、工場に雇われるし、給料もあがる」と言われたそうですが、母は、「彼には罪がない」と言い、従わなかったそうです。兄も私も日本人の父の子どもということで、大学進学を許可されず、兄は、大人になってから大学に行きました。夫とは日本で働いていた時の友達で、中国に帰った兄を訪ねてきた時に、はじめて会いました。それから、毎日のように「友達になりたい」と電話がかかって来て私は日本語もできなかったのですが、兄から「この人はすばらしいひとだから、まず、付き合ってみたら」と言われ、付き合うことにしました。その後、結婚して日本に来てから、コンビニを頼まれて経営することになりました。もっとはやくやめたかったのですが、6年間はやっていました。このコンビニには、学校に行かず、勉強しない子どもたちもよく来ていて、「たばこくれ」とか、「まるめんくれ」とか言うのです。言われても最初は何にもわからないので、「そんなこともわからんの?」とか言われていました。それで、パソコンで自学自習で夜中の3時ころまで毎日勉強しました。その頃、夫の母は、日新電機の寮母をしていて、料理が好きでよく教えてくれました。材料も作り方も紙に書いて教えてくれました。その頃2週間に一度はカラオケに行って楽しんでいました。近所の人たちとも知り合いになり、「おいしいから食べて」といろいろな食べ物をもらったりもしていました。

中国語を話してみましょう。(張穎さん指導)

  • おはよう。 早啊!
  • おはようございます。早上好!
  • こんにちは。  你好!
  • こんにちは。您好!
  • こんばんは。晩上好!
  • お元気ですか? 你好吗?
  • お元気ですか?您好吗?
  • ありがとう。谢谢(你)。
  • ありがとうございます。谢谢(您)
  • ありがとうございました。谢谢(您)了。

張穎さん:さて、参加者へのプレゼントです。

じゃんけんしてみましょう。「じゃんけんぽん。」、「あいこでしょ」これで、勝った人は前に来てください。今治産のハンカチタオルをもらったのでプレゼントです。 10名の人がタオルはんかちをもらいました。